ep.07 高揚
薄寂れた最寄り駅へと僕らは降りる。普通電車しか止まらない駅の乗降客は、僕らを含めて片手で数えるほどしかいない。短い停車時間を経て、普通電車はベンチと自動販売機1台しかない薄寂れた駅を出発していった。
ゆっくりと電車の動きから遅れて風が吹きつける。吹き付けられた風は冷たく、僕はぶるると体を震わせた。電車で中途半端に上がった体温はいとも容易く攫われ、体の芯に冷たさが触れた。
もう日はすっかり暮れている。残照が落とす暗いオレンジ色すら空に残ってはいない。煌々と光る白色電灯だけが、上から来る明かりとして在った。
本当はもっと早く帰って来る予定だったんだけど、そこはそれ、笠松さんの買い物が長引いたのが理由で帰る時間が遅くなった。随分と悩んだ結果、笠松さんが選んだのは青いイルカのぬいぐるみ。そのぬいぐるみは、電車に乗ってからずっと彼女の腕に抱かれ続けている。
「……何よ」
「何でもない」
不躾に見つめる僕の視線に、笠松さんは不服な顔で睨みつける。そんな時だって、笠松さんはぬいぐるみを離しはしなかった。熟考に熟考を重ねて買ったものだから、よっぽど好きなんだろう。寝る時とかしばらく抱えて寝るのかもしれない。
想像したら可愛くて、笑ってしまった。そして、呼び動作なく笠松さんに叩かれる。
「ふんっ」
「――っぅ」
「今回は理由を言わなくても分かるわよね?」
「はい、ごめんなさい……」
うん、確かに自分でも流石に気持ち悪いって思ったよ。女の子が寝る姿を想像するのは。
不機嫌な笠松さんは「いくわよ」と短く言って、改札へと向かって行った。僕は慌てて彼女の背中を追いかける。
灰色のコンクリートと汚れた壁の駅に駅員はいない。ポスターやチラシなどもない。殺風景な構内には、ただただ天井の灯と真新しいICカードのチャージ機だけが明るく光り輝いているだけだ。
改札にICカードを通す。軽快なピッという2つの音が静かな夜に響いた。
「さて、じゃあ、送ってくよ。笠松さんの家の方向はどっち?」
「え……いや、良いわよ」
「駄目だって。こんな暗い中、笠松さんを1人で返すわけには行かないよ」
駅の周りは住宅街で、街灯は等間隔にぽつぽつとあるだけだ。おまけに休みのせいか通りを歩く人は誰もいない。今にも不審者が出てきそうな雰囲気の中、女の子を1人で行かせるのは絶対に危険だ。
ただ、笠松さんは食い下がる。
「いや、だから良いって」
「なんで?」
「貴方に私の家を知られたくない」
…………それもそうだね、うん。正論過ぎて、納得しか出来なかった。
とはいえ、とはいえだ。だからと言って、はいそうですかと彼女を1人で行かすわけにもいかない。
「うーん、近くまででも良いから」
「……なんか教室の時みたいに待ち伏せされそうだからイヤ」
「やらなないよ!」
一体僕をなんだと思ってるんだ、笠松さんは。そんなストーカー染みたことはしない。今と前とじゃ、状況も僕らの関係も違うし。
「とにかく、笠松さんの家の近くまでは送ってくから」
「はぁ……もういいわ、私が折れて上げる。ほら、行くわよ」
若干おざなりな様子で、笠松さんは言った。上手くいなされた、そういう感じがする。それは決して蔑ろにされているようではなく、どちからと言えばこなれた様子で「仕方ないなぁ」とでも言いたげな諦めと受容が籠った物言いだった。
なんとなく嬉しくなる。だって、それは笠松さんが僕を理解し始めたってことだから。僕からの一方通行じゃない。ちゃんと彼女も僕を見てくれてる。
「何してるの、さっさと着いてきなさいよ」
笠松さんが立ち止まっている僕に声を掛けた。
僕は彼女の呼びかけに応える。
「うん、今行くっ」
足に力を入れる。大地を押して、自分を弾ませるようにして進む。
笠松さんの隣に並び立てば、彼女の表情が良く見えた。
「なによ?」
「笠松さんの不満顔も見なれたな~って」
「貴方の目的としては、そんな顔させちゃ駄目だと思うんだけど?」
「んぐっ、それはそうだけど……」
「ま、精々頑張りなさい。何度も言うように、どうせ空回りするだけだろうけどね」
そう言って、笠松さんは悪戯っぽく笑った。それでいて不敵で、僕が挑みかかって来るのを楽しんでいるようだった。
彼女はそのままの様子で続ける。
「それで次はどうするの?」
「次かぁ。正直に白状すると、楽しい思い出作りに僕が出来ることってあんまりないんだよね」
「えぇ……あれだけ自信満々だったのに……」
笠松さんが呆れを隠さずにぼやいた。うん、当然だから僕からは何も言えない。
「まぁ、だからさ、今度は笠松さんから何か提案してくれない?」
「えぇ、嫌よ。貴方が考えてよ」
「僕でも考えるけど、笠松さんでもってこと。とりあえず次は僕が見繕うから、笠松さんも次の次のことを考えてくれない?」
僕が提案すると、笠松さんはしばらく唸る。けれども「気が向いたら、考えてあげるわよ」なんて最終的には言った。何にでも拒絶されてた頃を考えると、そういう風に前向きに考えてくれるだけでもやっぱり嬉しくなる。ちょっとばかり鼻歌でも歌いたい気分だ。
いやー、良かった良かった。今日1日は良い1日だった。笠松さんの虚しさも知れたし、仲も深まった。おまけに、ただ単純に楽しかった。なんというか、満たされた気分になったのは、随分と久しぶりな気がする。
すぅーっと息を深く吸う。肺を満たす夜の空気が心地良い。自身の体が熱を持つほどに高揚しているのは新鮮な感覚だった。
少し弾んだ足取りで、僕は彼女より先に交差点へ足を進めた。それからくるりと回転し、彼女と向き合うと自分でも不気味なくらい上機嫌に問うた。
「笠松さんは次は――」
「――篤史、帰ってきたのか」
聞き覚えのある大人の声が、左の道から聞こえてきた。
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