ep.03 遭遇
キネマ大崎の大きなガラスの扉を開けば、柔らかい暖色の灯と若干暖房の効いた空気が僕たちを出迎える。内装は暗い深緑と燻んだ臙脂色のアラベスク模様のカーペットで、如何にも映画館と言った感じ。やっぱり映画館といえばちょっと上等な感じのする内装だ。なんというか異世界感? 日常から切り離されてる雰囲気が心を浮き立たせる。
入って右側にチケット売り場があるので、とりあえず笠松さんと一緒にそちらへ移動。チケット売り場の列に並ぶ前に、上映中の映画作品を一覧で確認する。
「じゃあ、何を観るか決めよっか」
僕は努めて弾んだ声を出す。少しでも雰囲気を盛り上げようとした結果だけど、笠松さんは相変わらずの仏頂面だった。
自分だけはしゃいでいるようで、恥ずかしさで頬が熱くなる。ノリにはついてきて欲しい。
目の前の上映作品一覧には、映画に詳しくない僕でも名前だけは聞いたことがある作品がずらりと並んでいた。アメリカのアクション映画に、邦画のホラー映画、ティーン向け小説が原作の恋愛映画などなど。ジャンルはバラバラで、偏りがないからよりどりみどりではある。
さて、一体どうしようか。笠松さんには好みの映画はないようだし。
なんて思っていたら、見覚えのあるタイトルがあるのに気づいた。
「『劇場版魔法少女まじかる☆まじかる ~永き夜の夜明け~』?」
これって前に修二が言ってた映画じゃなっかったっけ。確か「まじかる☆まじかる」が5周年記念で作られた映画だったような?
「それが見たいの?」
タイトルを思わず読み上げてしまった僕に、笠松さんがそう問うてくる。
「意外ね。貴方、アニメ見るタイプだったんだ」
「あー、まぁ嗜む程度には、かな。友達に好きな奴が居て、そいつに勧められた作品は見てるって感じ」
「魔法少女まじかる☆まじかる」もそんな作品の1つ。だから、僕個人としてはそんなに見たいというわけじゃない。そもそも今日は笠松さんのために来たんだ。彼女が見たいものじゃないと意味がない。
「何か見たいのある?」
「特に、ないわね」
うーん、まいった。でも確かに笠松さんがこれまで見てたものを考えると、絞りきれないのも事実。この映画館で上映してるのは基本的に有名作品だから、全部条件を満たしてしまう。
これはもう、アメリカの映画にするのがちょうどいいかな。映画って言ったら、アメリカの映画みたいなとこあるし。
そんなことを思い、万人受けしそうな無難な映画を考えていると、聞き慣れた声で名前を呼ばれた。
「よー、篤史じゃねーか。お前も映画見にきたのか?」
声の方を振り向くと、やはりそこには見慣れ過ぎた幼馴染の姿がある。
なんと間が悪い。思わず恨みがましい声を出してしまう。
「修二……」
「なんだよ、そのゲンナリした顔は」
そりゃ、ゲンナリした顔にもなるよ。今日は笠松さんを助けるための日なんだから。
こんな風に近づくなアピールをしても、関係なく修二はにこやかな顔でこちらに近づいてくる。無神経というか、人の気持ちに配慮してくれない。誰かを助ける人助けとは相性が悪い。
僕の気持ちに反して、上機嫌な修二は僕の隣に立つと肩に手を置いた。ちらりと反対側の笠松さんに視線を向けると、にやにやこんなことを言ってきた。
「デート?」
「違う」
あ~~もうっ。だから嫌だったんだ。笠松さんは怒髪天を衝く勢いだしさぁ。
「猿2号じゃない。何? 厄介なのが2人に増えた?」
「はっはー、噂に違わぬ狂犬ぶりだな。俺は小倉修二。篤史のダチなら、俺のダチってことで以降よろしく」
正反対な2人の視線がぶつかり合う。火花が見える。本来見えないはずの火花が。
笠松さんは、疲れ切った声色で僕にこう言った。
「ねぇ、大井。貴方の友達、貴方と似てすごいわね」
「ごめん、こういう奴なんだ。あと似てるって何? 似てるって」
僕の問いには答えず、笠松さんは口を噤んで、そっぽを向いた。答える気はないらしい。
まったく。修二の登場で、状況がめちゃくちゃになってしまった。ただでさえ、笠松さんとは微妙な間柄なのに。
そもそも修二、笠松さんのことめんどくさがってたよな。なんでこんなに積極的に絡んでくるんだ。幼馴染でも腹の底が読めない。
思考を巡らす僕に、特に何も考えてなさそうな修二は問うてくる。
「で、話は戻すけど、何の映画見に来たんだ?」
「それがまだ決めてなくて……」
「ふぅん? 笠松は見たいのあんの?」
「別にないけど。正直何でも良いわね」
僕らの返答を聞いて、修二はにかっと笑った。
経験からわかる。これはダメなやつだと。
「ちょっと待った修二——っ」
「だったら『まじかる☆まじかる』にしようぜ! 絶対、損はさせねーから!!」
ぅぅん……不味い流れだぞ、これは……。
修二の目が輝いてる。それはもうらんらんと。この目はあの時と同じだ。自分の好きなものに他人を引きずり込む、粘りつくような情熱が無尽蔵に湧いてる時と同じだ。
こうなった修二は止まらない。それが幼馴染の僕の経験則。
焼け石に水と分かっていながら、それでも僕は修二を引き止めにかかる。
「待ってくれ。そもそも修二は、もう見たんじゃないの? 前言ってたよな、見に行くって」
「馬鹿、お前。面白いものは何回見ても良いんじゃないか。俺なんかもう6回は見てる」
「見すぎだよ、それ」
どんだけ見てんの。
「だいたいさ、笠松さんがどう言うか」
「笠松は何でも良いって言ってたぞ。いいよな? 『まじかる☆まじかる』でも」
「良いわよ、全然」
笠松さんは短く答えた。投げやりな印象を受けるのが気になるところだけど、当然と言えば当然か。彼女は基本的に人と関わりたくないんだから、今日だってさっさと終わらせて帰りたいんだと思う。余計なやりとりは時間の無駄とでも思ってるに違いない。
ただ僕にだってプライドがある。妥協するわけにはいかない。
「あのね、修二。笠松さんはこれまでのアニメを見てこなかったわけだし、突然劇場版見せられても——」
「——ほらチケット買いに行くぞ、修二。早くしないと始まっちまう!」
「あ、だから待てってっ」
修二が僕の背中を押した。本当に人の話を聞かないなぁ! 僕のプライドなんて、修二の力強さの前には吹けば飛ぶような砂上の楼閣だった。
人に反論を許さない勢いでしゃべり続ける修二を尻目に、僕は笠松さんに視線を向ける。彼女は怒っているでもなく退屈そうな顔をしていた。
退屈顔の理由は映画の選択にはない。虚しさ、その影響。彼女の心の底は抜けてしまってるんだと思う。だから沸き立つ感情も、認める前にすとんと落ちてしまうんだ。だから積るものがない伽藍洞の心は何もかもが通り過ぎていく。
結局、修二の暴走を止めることが出来ずにあれよあれよと「まじかる☆まじかる」のチケットを買わされてしまった。他の映画の上映時間を見れば、返金してチケットを買い直す余裕もない。「まじかる☆まじかる」鑑賞はもう覆せないようだった。
「いやぁ、今回の映画はマジ良いんだってっ、桃瀬と蒼明が上手い具合に役割分担しててさぁ――」
上映ルームに向かう最中、修二の熱を籠ったプレゼン(ネタバレ含む)を聞き流し、僕は僕らのやや後ろを歩く笠松さんを気にしていた。
相も変わらずつまらなそうな顔。早く帰りたいという本音が見える顔だった。
そんな彼女が、ふと足を止める。
「笠松さん、どうかした?」
「ん……なんでもないわ」
「そう?」
にしては、少し表情が柔らかいような気がするけど……。
しかし、そんな違和感も修二の「ほら行くぞ行くぞ」なんて急かしに押し流されていく。
甘い匂いを漂わせる売店横を通り過ぎる。過ぎるとそこは各上映ルームに繋がるホールだ。「まじかる☆まじかる」が上映されてるのは8番ルーム。修二に連行されるようにそちらへ向かう。
もうここまで来たら仕方がない。大人しく鑑賞しよう。あとは野となれ山となれだ。
さて、それにしても。
いきなり「まじかる☆まじかる」を見て大丈夫かなぁ。
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