ep.02 自転車

 下駄箱から出ると、秋の始まりらしい空気が僕と笠松さんを出迎えた。ひんやりとした、そんな感じの空気だった。

 ブレザーを着てきて良かったとつくづく思う。寒がりな僕にはクールビズじゃあちょっと寒い。衣替え期間だからクールビズの生徒もいるけど、よくクールビズで居られるなぁと感心している。僕には無理だ。


「さて、と。映画にいくなら、やっぱりキネマ大崎だよね」


 キネマ大崎は佐渡川生御用達の映画館だ。そこそこ大きな映画館で、メジャーな映画は勿論のこと、少しマイナーな映画も取り揃えているから、よっぽどの映画マニアじゃない限り事足りる。笠松さんは昔映画を見るのが好きだった程度だから問題ないだろう。

 問題があるとすれば、交通手段だ。

 キネマ大崎は学校から自転車で10分くらいの場所にある。そして佐渡川生の通学手段は電車か、自転車だ。もし笠松さんが自転車通学じゃないなら、徒歩で映画館まで行かないといけなくなる。徒歩で自転車10分の距離を、だ。中々億劫な移動ではある。学校近くにバスは通ってないし、もし自転車通学じゃなかったら折角掴んだチャンスを不意にしてしまう。

 ただ、僕の心配は杞憂に終わった。


「笠松さんは、自転車通学?」

「そうよ。キネマ大崎? とやらは、自転車だと遠いわけ?」

「いや、10分くらい」

「なら良いじゃない」


 短く会話を切って、笠松さんは足早に駐輪場へと向かう。

 少しくらい声を掛けて、なんて思うけど、まぁ、あんなに強引なことをした後じゃ反感も止む無し。怒ってるよね。

 去っていく細い背中に置いてかれないように、僕は彼女を追う。

 それから、それぞれ自転車に乗ると校門で一旦待ち合わせた。

 笠松さんが言う。


「それで、その映画館は何処にあるの?」

「此処から右に曲がって真っすぐ言ったところ。自転車なら割とすぐだよ」


 笠松さんは僕の返答を聞くと、「ふぅん」と気のない返事を返す。どうでも良さそうだった。

 僕は苦く笑う。ま、僕がやりたいから勝手にやってるだけ……というより彼女の弱みを握って強制させてるんだから、乗り気じゃないのは当然だ。

 それでも自殺願望を抱えてる彼女を放っておくわけにはいかないわけで、此処は心を鬼にして無理矢理にでも連れ出そう。


「じゃあ、僕が先に行くからついてきてね」

「はいはい」

「逃げないでよ」

「……逃げないわよ」


 一瞬の間は何、一瞬の間は。

 不安に思いながら、僕は地面を蹴って自転車を転がす。

 自転車で風を切れば、頬で感じる冷たさをより一層強く感じた。

 これから秋が深まれば、もっと寒くなっていく。ぼーっとしていれば、木の葉が彩りを増す季節を通り過ぎ、道路の隅で色褪せた無惨な山となる季節にいつの間にかなっている。

 

(そして、その頃に笠松さんは死ぬんだろう)


 雪に塗れて、あるいは水の中で、冷たい体になるんだろう。

 世界の冷たさと同じになって、自分と世界の違いがなくなって、世界に融けてしまうんだろう。

 それはとてつもなく楽だ。自分がなくなってしまえば、自分が感じる苦しみも、辛さも、悲しみも、感じられないんだから。

 虚しさなんて、抱く理由がないんだから。


(だけど、見過ごすわけにはいかないんだよ)

 

 例え彼女の思いと反していても、僕は彼女の自殺を止める。

 そう簡単に死んでもらうわけにはいかない。簡単に生を諦めてもらってたまるもんか。

 あがいて、あがいて、あがき続ければ、活路はきっと見出させるはずだ。

 だからこうやって、ポリシーに反して強引にでも押し掛けてる。

 自殺を止める方法があると信じてる。

 とりあえず今日は、そのための試金石。彼女の楽しい思い出の1つの映画を観に行くんだ。

 そう思った時、一番肝心なことを思い出した。後ろの彼女に聞こえるように大きな声で呼びかける。


「ねー」

「何ー?」

「そういえば、見る映画決めてなかったねー」


 都合が良いことに広い道に出たので、僕はスピードを緩めて彼女と並走する。並走は良くないけど、ちょっとの間だから許して欲しい。

 

「昔は何の映画見てたの?」

「何って、適当に話題になってたやつよ」

「特定のジャンルとかないの?」

「ないわね」


 うーん、となると映画館に着いてから決めるしかないかな。自転車に乗ってる間、スマホで検索するわけにもいかないし。

 さてと、どうしようかな。僕は流行に疎い。だから流行りの映画とか全然知らなくて、何が面白いのかなんてさっぱりだ。

 ただ、それでも今は笠松さんが楽しいを再発見するための時間。精一杯やろう。

 そう密かに決意して、僕はペダルを蹴る足を強めた。




 

 

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