第2話「その扉をたたく音」読書感想文
届けたい音
稲穂乃 シオリ
「夏は終わる。無邪気なままではいられない。九月の終わりに起こしてほしい」そんな切なさを感じる一節が、物語を表している。
老人ホームにいるサックスの「神様」。それはどんな神様なんだろう。きっとすごい人に違いない。
そう思ってこの本を手に取った私にとって、その神様は、意外なほど普通の人だった。神様は、老人ホームで介護士をしている、渡部という男だった。
その神様が特別そうに感じられなかったのは、私の姉も介護士をしているからだ。
姉が語る介護の仕事は、とても大変だ。自分より重い人を起こして立たせ、お風呂に入れなければならない。重労働で、夜勤もある仕事で、姉はたまにとても眠そうにしている。神様のいるような所とは、思えない仕事だ。
それはミュージシャンを夢見る宮路も同じで、渡部をプロになるように説得しようと、施設に押しかける。そんな宮路を、水木というおばあさんがぽかりと殴りつけた。
施設の利用者である水木は、宮路を「ぼんくら」と呼んだ。宮路には、その言葉が刺さった。働かなくても生きていける、ぼんやりした無職のミュージシャン志望だからだ。
正直に言うと、宮路は息苦しいことばかり書かれてるな、と感じた。ミュージシャンになると言いながら、心の底では諦めてる。友達もいなくて一人ぼっち。そんな「ただ生きているだけ」の人だったから。
水木は毎週買い物を頼み、宮路はそれを口実にして、渡部に会う為に施設に通い詰めた。けれど、頼まれた買い物を選ぶ時は、宮路はきちんと水木のことを考えて、一つ一つ吟味しながら選んでいた。その時、私は彼の「ぼんくら」ではないところを見つけられたような気がして、嬉しかった。
宮路はだんだんと利用者と交流を深めたり、
渡部とも友達になっていった。宮路の熱心な誘いに、乗り気でなかった渡部も施設のレクリエーションでなら、と共演すらしてくれた。
そんな宮路に、水木が「もう無邪気でいるのは終わりだ」と告げて、別れの手紙を渡す。それは突然で、衝撃的なことだった。けれど、私は水木のしたためた手紙の内容が、とても嬉しかった。
「生きているだけ」な宮路の息苦しさを、老人ホームの利用者である水木は、気付いてくれていた。きちんと彼の良いところを見つけられたからこそ「起こしてくれ」た。その水木の気持ちが、優しく伝わってきたからだ。
最後の最後に、宮路は目を閉ざそうとする。起こさないでくれと頼んで、耳を塞ぐ。けれど、渡部が彼を呼び覚ます。目を覚ました宮路が、渡部のことも揺り動かそうとするにまで至って、私は胸を打たれる思いだった。
この本を読んだ私は想像する。私のところに夏の終わりが来たとき、きちんと目を覚ませるだろうか。
自分を見つめ返せば、私にも「ぼんくら」なところがある。すごい人への憧れや、将来への不安で、自分が「ただ生きているだけ」なんじゃないかと思ってしまう。
私に必要なのは、きっと人の扉を叩くことだ。自分の中で閉じこもらずに、目の前の人へ届けようという心を持つこと。
宮路が水木のことを思いやって、買い物を選ぼうとしたように。心の濁りや汚れを削って、綺麗なものを届けようとする。それこそが、目覚めに必要なことなんだろう。
姉に小さな贈り物をした。綺麗に盛り付けたご飯だ。神様がいるかもしれないところで働いてる姉は、ちょっとだけ喜んでくれた。
夏の終わりに、起こしてくれる人がいるように。起こしてもらえる何かが、あるように。綺麗なものを届けられるように、私も日々の小さなことを、大切にしようと思う。
読書感想文 稲穂乃シオリ @nagatanobuori
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