第29話  旅立つ前日

 遂に、栞が1000年振りの聖女として役目を果たす時が来た。栞が召喚された異世界の年越しが、次の日に迫っている。

 季節は冬のはずだけど、日本のようにコートを着るような寒さではない。寒くても、長袖を着て薄手の上着を着れば充分だった。


 明日から栞たちは、10日ほどの旅に出る。栞は大きめのリュックを購入して、数着の着替えや日持ちのする食べ物を詰め込んだ。

 ルイーダ曰く、10日間はお風呂などには入れない。精々、水場を見つけて体を拭くくらいだと言われた。

 食べ物も、聖域にある果物が中心になる。あまり動物たちを刺激したくないので、狩りは期待しないで欲しいと言われた。


 理想は、何も傷つけずに無事にみんなで行って帰ってくること。栞もそれに賛成だ。栞自身の危険は心配していないが、同行者たちは生身の人間なので何があってもおかしくない。

 それは、充分頭に入れて行動しないといけないと栞は思っていた。


 聖域に一緒に行くのは、魔女のルイーダ、医者のカイ、記録係のユーイン、騎士のドミニクだ。

 騎士のドミニクは、先日この領地に到着して顔合わせをした。王宮騎士団の副団長なのだそう。背が高くてガタイのしっかりした、大きな男性だった。年の頃は、30代前半くらいだろうか? 声も大きくて最初びっくりしてしまった。


「聖女様にお会いでき光栄であります!」


 直立して、栞に向かって挨拶をした。日本で言う自衛官のような佇まいに、栞は気後れする。

 聖女様と敬われるのも違和感しかなかった。それでも挨拶を返さなければと、押され気味に言葉を返した。


「栞・住吉と申します。10日ほど、大変だと思いますがよろしくお願いします」


 ドミニクは、目を輝かせて返答する。


「いえ、まさか自分が1000年に一度のお役目に同行させて頂けるなんて、光栄の極みであります。こちらこそ、よろしくお願いします」


 ぴっちりと腰を90度に曲げて頭を下げる。栞は、ドミニクの熱い思いに押され苦笑いするしかない。


「役目はおっているが、栞はただの女の子に変わりない。あまり神聖視するもんじゃないよ」


 ルイーダが、間に入ってくれた。栞は、うんうんと激しく首を縦に振る。


「はっ。申し訳ありません。自分、これがいつものしゃべり方で。以後、気を付けます」


 ドミニクが、申し訳なさそうに謝罪をする。栞は、それを聞きながらキャラなら仕方ないか……と心の中で納得した。


 そんな風に、聖域に同行する5人は顔を合わせて聖女の役目を無事に完遂しようと心を一つにした。

 栞は、明日からの準備を終えて窓の外の景色に目を移す。暫く、この領地ともお別れだと思うと何だか寂しさを感じる。

 たった10日間留守にするだけなのに、こんな気持ちになるなんて自分でも驚く。こんなんで、日本に帰る日はどうなってしまうのかと考えがよぎる。

 でも、それは心の底に沈めた。今考えたって仕方がないこと。今は、明日からの旅のことが大切だった。


 栞は、よしと気合を入れる。居間に行ってルイーダに声を掛けた。


「ルイーダさん。今日の配達はどうする?」


 ルイーダやカイが、この領地を暫く留守にすることは領民にもお知らせ済みだ。ルイーダの薬が必要な人は、少し多めに処方を出した。

 カイの代わりには、王都から派遣された医師が到着済み。だから、今日が当分の最後の配達になる。


「ああ。今日は、ケイの薬だけ持って行ってくれるかい? ケイの薬はそんなに長く置けるもんじゃないから、ギリギリ今日まで作らなったんだ」


 ルイーダが、もう用意していた薬の紙袋を栞に渡す。栞はその紙袋を受け取って、配達に出掛ける準備をした。


「ルイーダさん。では行って来ます」


 そう言って、栞はルイーダの家を出た。もう慣れ親しんだ森の小道を歩いて行く。今日は、ユーインも明日からの旅の準備で一緒にいない。

 一人で配達に行くのは、久しぶりだった。通いなれたケイの家に到着すると、呼び鈴を鳴らす。暫くすると、玄関の扉が開いてケイが顔を出した。


「栞か。今日も配達ありがとう」


 ケイが、そう言って笑いかけてくれた。見慣れているはずのケイの笑顔が何だか胸に響く。暫くケイにも会えないから、少し寂しさを感じているのかもしれない。


「あの、聞いていると思うけど明日から暫く来られないから……。体調崩さないように気をつけてね」


 栞は、ケイを気遣うように言った。本当に心配だったから。


「ああ、聞いてるよ。ルイーダさんたちと、どこかに行くんだよね? 最近調子がいいし大丈夫だよ。それよりも栞の方が心配だな。またドジなことしないか」


 ケイが、栞を揶揄う。こんな風に、砕けた話ができるようになったのはきっと仲良くなった証拠。

 栞は、異性とこんな風に話せるようになったのは初めてでちょっと反応が難しい。


「私、結構成長したから大丈夫だよ」


 栞は、言われた内容が面白くない感情と、気軽にしゃべれるようになった嬉しさとが混じってはにかんだ表情を零す。


「そっか。栞も成長したもんね。じゃあ、これはお守りだよ」


 そう言って、ケイが自分の腕に付けていた腕飾りを栞の腕に付けてくれた。栞は、その腕飾りをまじまじと見る。

 色々な青の細い糸で編まれた腕飾りだった。日本のミサンガに似ている。


「でも、これっていつもケイが付けているやつだよ。大切なものでしょ? 悪いよ」


 栞が、ケイに腕飾りを返そうとする。それをケイに止められた。


「いいんだ。栞が持ってて。僕は、一緒について行ってあげられないから」


 ケイが、どこに行くのか分かっているような微妙な言い方をした。栞は、でもそんなはずはないしと自分に言い聞かせる。


「わかった。ありがとう。大切にするね。帰って来たら返すからね」


 栞はケイを見上げて言った。


「ああ、帰ったら返してくれればいいよ」


 ケイが栞に向かって優しい笑顔を溢した。

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