第28話 休みの日が、楽しみに変わる時

 栞は、この異世界に来てから聖女の書を最後まで読まなくてはと、ずっと追い立てられていた。聖女の書を読み終わった今、とてもすっきりしている。

 読んだ内容は、自分が思っていたよりも大変な内容だったけど何とかなるだろうと思えた。なんせ、神様は死ぬことはないと言っていた。必ず日本に帰れると保障付き。

 同行者が命がけだと言っていたが、平和しか知らない栞は危険なイメージが沸かない。この世界に来るまで、どうしようが口癖な栞は影を潜めていた。


 今は、失敗しても次頑張れば大丈夫と思えるようになっている。ケイが励ましてくれて、彼のように少しでも強くなりたいって思った。

 それに、どんな栞でもルイーダが受け入れてくれる。失敗しても、怒らないで呆れないで見守ってくれる。そんな人の元で働けたことを幸せに思った。


 栞の日課は、朝から薬の配達に行って午後はルイーダの薬作りを手伝わせて貰っている。作れる薬の種類も増えて来た。薬草の名前や材料も少しずつ覚えている。

 ルイーダが作っているのを見ると、簡単なように見えていた薬作りは実は結構難しかった。材料を切る時は形を揃えて重さを均等にする。

 薬草を手でちぎったり、粉々になるように細かく砕いたりする時は必要な重さ通りの量にする。手についた薬草を払ってしまったりするだけで上手くいかないことも学んだ。


 見ているだけなのと、やってみるのは全然違うのだと身を以て経験した。ルイーダは、いつも栞に言う。

 何事も経験こそが人生の道しるべ。やって損することなんて何もないって。長い人生の中で、経験したことが活きてくることが稀にある。

 それが十年先かもしれない、二十年先かもしれない、いつくるのか分からないけど、あの時の経験が今に繋がっているって思える瞬間がある。

 それが、人生って楽しいと思える瞬間なんだってルイーダが言っていた。


 正直、栞にはそんなことが本当にあるのか疑問だし信じられない。でも、長い時間を生きているルイーダが言うのだから、そうなのかもしれないって不思議と納得してしまう。

『つまらない』って呟いてこの世界に来てしまった栞だけど、今はそんなこと言っている暇がないくらい忙しくて楽しい毎日を送っていた。


「これが、充実した生活ってことなのかな……」


 栞は、ポツリと呟いた。自然に笑顔も零れる。


 現在栞は、居間で時間を潰していた。今日は、栞の仕事はお休みの日だ。

 ユーインに笑われて家を飛び出した日に、ケイに広場で会って話をしてから、栞のお休みの日はケイに会うのが日課になった。


 あの日のあと、いつも夕方は散歩をして広場にいると話してくれたケイを思い出して、栞はこの前のお礼に行こうとお休みの日に彼に会いに行った。

 何も約束はしていなかったけれど、ちゃんとケイに会うことができた。あの時に、ケイが声を掛けてくれて、話を聞いて貰えたから落ち着くことができた。

 それに、素直にルイーダの家に帰ることもできたとお礼を言った。するとケイは、「それは良かった」と喜んでくれた。

 その時も、時間が許す限り二人で色々な話をした。そして、それが恒例になった。


 お休みの日は、特に予定がある訳ではない。だから、街に買い物に行った帰りにふらりとケイのいる広場に足を向ける習慣がついた。

 配達でしょっちゅう顔を合わせているはずなのだが……。お休みの日に会うケイは、栞の話を聞いてくれる。自分の話も色々してくれる。

 ケイは、出会った当初とは変わって見違えるように元気になっている。諦めずに続けているトレーニングの成果が、出ているようだった。

 そんな彼の姿勢に、栞は尊敬の念を抱く。ケイを見ていたら、自分ももっと頑張れるはずって思えてくる。

 話をするのが楽しくて、ケイに会いたいって思ってしまう。時折、栞に向けてくれる笑顔が格好良くてドキドキする。


 だから今日も、これから街に出てショッピングを楽しんだ後にいつもの広場にいくつもりだ。最近の栞は、休みを楽しみにしている。

 だけど栞は、この気持ちを深く追求なんてしない。会って楽しくおしゃべりできれば、それでいいのだとそれだけを心に留めていた。


 今日は「おまかせ」の食堂で仲良くなったリンと、一緒に買い物に行った時に選んだワンピースにした。

 黒と白のチェックのワンピースで、差し色に赤が入っていて可愛い。いつもだったらこんなに可愛い服は選ばないのだが、リンに似合うからと押し切られた。

 いつも同じような服しか着ていないことも言われる。折角女の子なんだから、おしゃれして可愛くしなさいと……。でも、そう言うのが嫌いなら仕方ないけどと、押し付けることはしなかった。

 栞だって興味がない訳ではない。ただ、自分に似合わないと思っているだけで。クラスで地味で大人しくしているような私が、お洒落で可愛い服なんて似合わないと決めつけていた。

 リンに言われて、ここは日本じゃないから着てみようと思い切って買った。


 それと、紺色のポシェットを下げて玄関に向う。今日は、ルイーダもどこかに出掛けていていない。

 季節は、段々と冬に向かっていっているようで半袖では寒くなっている。だけど、本当にこの国は、温暖な気候が一年中続くようでとても過ごしやすかった。


 いつも通っている、森の小道を通りながら色々なことを考える。薬作りのこととか、配達にいくお客さんのこととか、この世界での残りの時間などを。

 この世界での時間は、あと四か月程。残りあと三分の一だ。最初は、どうなることか全く予想がつかなかったが、今はあっという間だった気がする。

 色々な家に配達に行くからか、知り合いも増えた。顔を見たら挨拶してくれる人が沢山いる。自分がこんな風に暮らせることができるなんて全く思っていなかった。


 日本では、人目を気にして自分なんて所詮何をやっても駄目だと決めつけて……。そんな風に生活していたって、面白くないのは当たり前なのに……。

 今だからわかるが、当時の栞はそれ以外の考えがあるなんて思いもよらなかった。


 街について、服屋を見たり雑貨を見たりフラフラとウィンドウショッピングを楽しむ。栞は、自分の物を増やす気はなかったが見て回るだけで楽しかった。

 最後に、焼き菓子が売っているお店に入って手軽に食べられるお菓子を買う。今日は、クッキーにした。

 そして、お店を出る時にガラスに映り込んだ自分の姿をチェックする。髪が乱れていないことを確認して、いつのも広場に向かった。

 今日も、大きな木が広場の真ん中に聳え立っていて何度見ても感動する。星の木の花が咲くところを早く見たい。


 広場をゆっくりと回る。ケイの姿がまだ見えないので、空いていたベンチに腰かけた。ずっと歩いていたので、流石に少し疲れた。

 それでも、かなり体力がついたのでは? と自分では思っている。日本にいる時は、もっぱら自転車ばかりで殆ど歩くことがなかった。ここに来てからは、歩いてばかり。

 それでも、空や緑や周りの景色を見ながら歩くのが楽しいと感じる自分が今では好きだ。


「栞、今日は仕事休みなのか?」


 考えに耽っていた栞は、ケイが来たことに気づかなくて声を掛けられて驚く。


「あ、ケイ、そうなの。今日はお休みだから、また広場に寄って見た」


 栞は、少し照れながら言葉を返す。いつも約束をしている訳ではないから、会えるとやはり嬉しい。ケイが、何も言わずに栞の隣に腰掛ける。


「そっか、一週間経つのは早いな。配達でも会っているしね」


 ケイが、栞を見る。いつもと違って何だか栞の全身を見てるみたいだった。栞を見る視線に、ちょっとドキドキしてしまう。


「今日の洋服可愛いね。栞に似合ってるよ」


洋服を褒められるなんて思ってなかったから、一気に顔に熱を帯びる。


「あっ、ありがとう。友達のリンがね、選んでくれたんだ。ケイも最近は、調子良さそうだよね?」


 栞は、褒められたのが恥ずかしくて話を逸らしてしまう。それに、会った当初のように咳き込んでいる様子を最近見ていない。


「ああ。少しでも体力を増やせればと思って、トレーニングしていたのが良かったのかも。こうやって夕方散歩しているのとかもいいのかもね」


 ケイが、空を見上げながら誇らしげな表情を浮かべている。ケイも、色々頑張っているんだなと栞は思った。


「そうなんだ。トレーニングは、いつから始めたの?」


 ルイーダに、この領地に来たばかりの頃に聞いた気がするがもう記憶がおぼろげだ。元々、体が弱いのは小さい頃からだと聞いていたので、どうして始めたの気になった。


「ここ一年くらいのことかな。体を動かしたいって意欲はあったんだけど、体が言うこと聞かなくて……。最初は、本当にストレスだったよ。何もしなくても健康なんて、それだけで感謝することだったんだって今では思ってる。」


 ケイが、何かを思い出したように話す。ただ健康であることが感謝することだなんて、昔は健康だったような話し方をする。


「そういうもんなの? ケイは健康だったこともあるってこと?」


 栞が聞く。


「うーんと、そうだったらいいのにってずっと思っていたってことかな」


 そう言われて、単純な栞は納得する。確かにずっと病気ばかりだったら、健康な体でいるだけで幸せって思えるのかも。栞だって、風邪を引いて辛い後はいつもそう思う。

 これ以上聞いてもしょうがないと思った。だから会話を変える。


「そうだ、今日はクッキーを途中で買って来たんだけど食べる?」


 栞は、さっき買ったクッキーをポシェットの中から出す。ケイと一緒に食べようと思って買ったのだ。


「女の子は、甘いものが好きだよね」


 そう言って、ケイがクッキーを一つつまんで口に入れる。


「えっ? もしかしてケイって甘い物好きじゃないの? 私、いつも買ってきていたけど……」


 栞は、初めて聞いたことで驚く。


「別に嫌いじゃないよ。そこまで好んで食べないかな。でも、あったら食べるよ」


 そう言って、もう一つクッキーを口に入れた。これは、もしかして私に気を遣っているのでは? と栞は気まずくなうる。


「最初に言ってよー。いつも食べてくれるから、てっきり好きなのだと思ってたじゃん」


 栞は、気まずくて居たたまれない。


「いや、別に嫌いって訳じゃないよ。栞が、いつも美味しそうに食べてるの見るの好きだから」


 ケイが、クッキーをまた一つつまむ。そして今度は、栞の口にそのクッキーを向けた。何も考えずに、栞は条件反射で口を開けてしまう。

 ケイが、クッキーを口にポンと入れたので、栞はモグモグと租借する。悔しいが、とても美味しい。

 しかも、さっきケイが最後に口にした言葉を思い出すとどんな顔をすればいいのかわからない。


「美味しいけど……」


 恥ずかしくて、栞は下を向いてしまう。


「えっ? 今更照れているの? 栞ってすぐに照れるよね」


 悔しい、また揶揄われている。栞は、パッと顔を上げてケイを睨みつけようとして失敗した。だって、顔を上げたすぐそばでケイが優しい顔で笑っていたから。

 その顔を忘れたくなくて、睨みつけるよりも栞も一緒に笑顔を溢した。そしたら、ケイが栞の頭に手を伸ばして撫でてくる。


「栞は、そうやって笑った方がいいよ。卑屈になって泣いているよりずっといい」


 そんな風にケイが言うから、栞の心は複雑だった。間違いなく嬉しい。でも、嬉しいと思う先の感情に辿り着いたら泣いてしまいそうだった。

 だから、栞は小さな声で呟くだけ。


「ありがとう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る