第24話 箒に乗ったお迎えが来た
栞とケイは、お互い無言でベンチに座っていた。栞は、ケイからとても大切なことを言われた気がして頭の中でずっと考えていた。
ケイは、そんな栞をそっと見守っている。正面を見据えて何かを考える栞には、もう言葉はいらない気がしたから。
段々と空が暮れ始めていた。夕方になると残暑の暑さがやわらぐ。この時間帯が一番気持ちがいい。沈む夕日が、流れる白い雲にかかってそこだけが真っ赤に燃えているみたいだった。
栞は、ぼんやりと夕日が落ちていく様が綺麗だなと思った。そろそろ、帰らなくてはと思っていた時だった。
真っ赤に染まる雲を背に、いつも見ていたルイーダが箒に跨ってこちらに向かって飛んでいた。ルイーダが箒に乗っていると驚いていたら、あっという間に栞の前に降りて来た。
「栞、見つかって良かった」
ルイーダが、栞に声を掛ける。栞は、迎えに来てくれたのだとわかると申し訳なさが襲ってくる。
「すみません。途中で投げ出して」
栞は、気まずさを押し殺して言葉を発する。
「ああ、いいよ。あれは、ユーインが悪い。片付けなんかは、全部ユーインにやらせたから気にしなくて大丈夫だ」
ルイーダが、右手に自分の背よりも長い箒を持って左手は腰に当てながら言った。いつものルイーダで栞はホッとする。
中途半端に投げ出した栞に、怒っていたらどうしようと不安が少なからずあったから。
「迎えに来てくれて、ありがとうございます」
栞は、頭を下げてお礼を言った。流石の栞も、また歩いて帰るのかと憂鬱だったから。
「流石に、栞も疲れてんだろ? こんなに遠くまで来て。迎えに来て正解だったわ。隣にいるのは、ケイだね? 栞と一緒にいてくれて、ありがとよ」
ルイーダが、ケイの頭を雑に撫でまわす。
「ちょっと、子供じゃないんでやめて下さい」
ケイが、とても嫌そうにぼさぼさにされた髪を直している。
「あっはっは。私から見たら、みんな子供みたいなもんさ」
ルイーダが、豪快に笑いながら言う。栞は、何だか可笑しかった。私からみたら、ケイは年上のお兄さんなのに……。
ルイーダからみたら、まだ子供と一緒だなんて。一体、彼女はいくつなのだろうと新たな疑問が沸いた。
「さあ、もう暗くなるよ。ケイは、自分で帰れるかい?」
ルイーダが、ケイに聞く。
「はい。大丈夫です。いつもこの時間は、散歩しながらこの辺りまで来ているので」
ケイが、ベンチから立ち上がってルイーダに言葉を返す。
「じゃあ、気を付けて帰りな。栞は、私と行くよ」
ルイーダが、右手に持っていた箒を地面と水平に構えて自分の足に挟む。栞は、彼女が何を言っているのかわからなかった。一緒に行くってどうやって?
「え? ルイーダさん、どうやって一緒に帰るんですか?」
栞は、ベンチから立ち上がってそのまま訊ねた。
「箒に乗って帰るに決まってるだろう。二人なら、何とか飛べるんだよ」
ルイーダが、さも当たり前のように答える。栞は、目が点になる。えっ? 箒に乗るの? 私が? 嘘でしょ?
「そんなの、無理です。私、落ちちゃいます!」
栞は、頭を振って後ずさる。
「私が抱えて飛ぶから大丈夫。さあ、早く。暗くなってからの方が危ないよ」
栞は、心の準備が整わないまま恐る恐るルイーダに近づく。危ないって言われたら、早くするしかないじゃない……。
「ルイーダさんがああ言うのなら大丈夫だよ。今度、感想きかせて」
隣にいたケイが、栞を優しく押し出してくれる。彼がそう言ってくれたから、そうか私、箒で空を飛べるのかとほんのちょっとワクワクする。
「うん。わかった。今度、絶対教えるね。今日は、話を聞いてくれてありがとう」
栞は、ケイの顔を見てお礼を言った。ケイに会えて良かったと、心の中が温かい気持ちで包まれる。ずっと一人でいたら、きっとあのまま暗い思考から抜け出せなかった。
「またな」
ケイが栞を見て言った。栞は、頷いてからルイーダに促されて箒に跨る。彼女の前に跨ると後ろから栞を包み込んでくれた。
「じゃあ、行くよ。箒にしっかり掴まって」
ルイーダは、そう言うとリズミカルな歌を歌い出す。栞は、箒の柄をギュっと掴む。足元の地面にフワッと、風が吹いた。
同時にルイーダが地面を蹴る。すると、箒が上昇して足が宙に浮いた。ぐんぐん箒が空に昇って行く。
栞が目にする空は、赤く色づきあと少しで足元に広がる街を暗闇が支配しようとしていた。こんな景色を見るなんて、なんて贅沢なんだろう。
「ルイーダさん、凄い。空が赤く染まって、街が綺麗」
栞は、世界ってこんなに綺麗なのだと目の前の景色に目を奪われる。声が、自然に零れていた。
「そうだね。私も何度見ても、綺麗だと思うよ」
ルイーダがそう栞に返事をする。栞は、箒に乗って空を飛ぶという夢の体験を噛みしめていた。さっきからずっと、胸がドキドキしていて鼓動が早い。
自分は今、空を箒で飛んでいるんだと笑顔が止まらなかった。
ルイーダの家に戻って来ると、辺りが暗くなる一歩手前だった。箒から降りた栞は、空を見る。あの空を、今箒で飛んで来たのかと思ったら興奮が収まらない。
ほんの数時間前までは、消えてしまいそうなほど落ち込んでいたのに……。
「ルイーダさん、迎えに来てくれてありがとうございました」
栞は、ルイーダに改めてお礼を言う。
「ああ。もう今日は疲れたろ? 先にシャワー浴びといで。夕飯は、用意しておくから」
ルイーダは、そう言うと玄関の扉を開ける。栞は、走ったりして汗をかいたことを思い出して、彼女の言葉に甘えることにした。
「はい。そうさせて貰います」
それからルイーダは、箒を玄関入った脇に置いて居間の方に歩いて行く。栞は、階段を上って一度自分の部屋に向かった。
栞は、先にシャワーを浴びさせてもらってから、身軽な服装に着替えて居間に向かう。一階の廊下を歩いていると、もういい匂いがキッチンの方から漂って来ていた。
「凄い、良い匂いです」
栞が居間に入ると、ルイーダがすでに料理をテーブルの上に並べていた。
「ああ、丁度準備できたところだよ。さあ、食べよう」
ルイーダが、椅子に座ってグラスにワインを注いでいる。栞も、キッチンの方から水差しを持ってきて自分のグラスに注ぐ。
「じゃあ、いただこうか」
「はい、いただきます」
栞は、テーブルの上の料理を見る。今日は、いつもよりも豪華な食事が並んでいた。目の前の分厚いステーキにナイフを通すと、スーッと簡単に切れる。
フォークに刺して口に運ぶと、肉の旨味が口の中に広がる。そしてそれを噛むと、さらに美味しい味がする。栞は、幸せだと笑顔が滲む。
「ルイーダさん、このステーキ凄く美味しい」
ルイーダは、ステーキを切る仕草を止めると栞の方を向いた。
「ああ、ユーインがさっき持って来たんだよ。謝罪のつもりらしい」
ルイーダが、笑っている。栞は、えっ? と驚く。謝罪って……。確かに、さっきのことはすっかり忘れて、美味しさに幸せ感じちゃったけど……。なぜだか、負けた気がする……。ステーキを凝視してしまう。
「ステーキは悪くないから、美味しくいただきな」
ルイーダが、ステーキを頬張りつつ言う。栞も確かにそうだと思い直し、さらに食べ進めた。
二人の食事が粗方終わると、ルイーダが食後のお茶を淹れてくれた。今日は、安眠にいいとされるハーブティーだった。
栞は、そのお茶に蜂蜜をスプーン一杯入れる。
「じゃあ、さっきの話をするかね。薬作りはどうするんだい? もう止めるかい?」
ルイーダは、マグカップを持ちながら話し出す。栞が、彼女に言われて思い浮かんだのはケイの言葉だった。
『諦めたくないから、また頑張る』
栞も、諦めたくないと思った。だって折角見つけたこの世界でやりたいこと。また失敗するのは怖いけど、まだ諦めたくないって思う。
それに、ユーインだってきっともう笑ったりしない。多分、応援してくれるはず。
「今日は、途中で投げ出してごめんなさい。まだ続けたいです」
栞は、ルイーダの目を見てはっきりと告げた。この世界に来てから、自分の意思が強く出たのはもしかした初めてだったかもしれない。。
「それじゃあ、明日も同じ薬を作ってみるかね。きっと一回目よりも上手にできるよ」
ルイーダは、何か説教する訳でもなく諭す訳でもなく淡々と話をする。栞は、いつも不思議だった。彼女は、初めから親切だった。
何もできないただの女の子の世話をするなんて、面倒臭いだろうに。今日みたいに、時間を作って薬作りを教えるのだって手間だと思う。
それなのに今まで一回も栞を、邪険に扱ったことがない。何でこんなに良くしてくれるんだろう……。
「ルイーダさんは、何でそんなに私に良くしてくれるんですか? 私、自分で言うのも何ですが、面倒臭い子だと思います」
栞は、テーブルの上のマグカップに手を伸ばして両手で包み込んだ。ルイーダの方を見て、話しをするのが少し気まずい。
ルイーダが、少し考え込んでから返答した。
「あまり知られていないけど、魔女はね寿命が長いんだよ。だから、聖女のことも本の中だけではなくて、実際に召喚された時代に生きていた魔女もいるんだ」
栞は、思いもよらない話を聞き驚く。それが本当なら、100歳は越えているってこと? 栞は、ルイーダを驚きの表情で見る。
「あはは、私が今、何歳かは聞かないどくれ」
ルイーダは、可笑しそうにそう笑って話の続きをしてくれる。魔女は、実際に聖女の召喚の大切さを肌で感じる。
聖女が召喚される前の一、二年は徐々に世界の瘴気が広がって、普通の人には気づかれないような悪い事象が起こる。なぜ分かるかと言われても、説明するのは難しいらしい。
それが、聖女が召喚されるとパタリと収まって、召喚の一年が過ぎると世界が浄化されたのが分かるんだそう。
例えるなら、息が吸いづらかったのがとても綺麗で美味しい空気に変わるらしい。
なぜ、創造主がそんな仕組みの世界にしたのか理解できない。だけど、初めて目にした聖女が普通の女の子で安心したと笑った。
「何で、安心したんですか? 逆に、心配になるところじゃないですか?」
栞は、さっぱり意味がわからなくて質問をする。
「んー言葉にするのは難しいが……。そんな凄い力を持っている人間が、傲慢で自尊心が高くて誰の手も借りずに生きられる人間じゃなくて、良かったと思ったんだよ」
その先も、考えながら栞が理解できるように話を続ける。
聖女は、この世界にただ居ればいい。充実した生活を送れれば、この世界に幸運をもたらす。これは逆に言えば、聖女に満足した生活を送らせるような世界でいろってことだ。
人の気持ちなんて、簡単なことで崩れる。完璧な人間に充実した生活を送らせるよりも、普通の子に充実した生活を送らせることの方か簡単な気がするだろ? と言うとルイーダは、マグカップを口に運んだ。
栞は、ルイーダが話す内容が何となくわかった気がする。人の手を借りなくても何でもできる完璧な人間がいたら、周りは何もできない。手をかすことも、教える必要もない。
それに、完璧な人が充実感を得ることができるのか疑問だ。最近感じていた充実感は、失敗しながらも少しずつ成長してできることが増えたから感じたものだったから。
言葉にするのは難しいけれど、多分こういうことをいいたいんだ。
「えっと、では、聖女がいるからこの世界に住めるから、こんな面倒な子でも世話をするしかないってことですか?」
栞は、ルイーダに最初に投げかけていた質問の答えを聞く。
「何でそうなるんだい……。私はさ、この世界を綺麗に浄化する手伝いができているのかと思うと楽しいんだよ。それだけだよ。それに、栞は面倒臭くなんてないよ。言ったろ、普通の女の子だよ」
その日の夜はそう言ってルイーダが、ニヤリと意味深な笑顔を浮かべたのが印象的だった。そして、この時の栞はまだ知らない。次の日の朝早く、ユーインが訪れて栞が引くほど謝って来ることを。
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