第17話 二度目の診療所

 さっきとは打って変わって足取りが軽い栞。他人から、大丈夫だと言ってもらえることが心を軽くする。

 ユーインだって他人だけれど、小言を言われることの方が多い。最近は、栞の気弱なところや消極的なところに呆れている。

 だから、身内のような感覚になってしまった。今日は、体が弱くてそのことに後ろめたさを感じているケイに励まされてしまっては、自分の悩みがちっぽけに思えた。

 体調だって凄く悪そうだったのに、栞を励ましてくれた。これでまだ、ぐじぐじしてたらケイに悪いと思った。げんきんだと自分でもわかっている。

 だから尚更、人から否定的なことを言われても気にしない強さが欲しいと思った。


 今度は、診療所への道も分かっているのでさっきよりも早く着く。ユーインに時間を確認すると、丁度お昼になろうかという時間だった。


「診療所の午前の診察って何時までなのかな?」


 栞は、ユーインに訊ねる。


「だいたいどこも、12時までだと思うけどな」


 ユーインが、診療所の建物を見ながら答えた。


「じゃー、もし時間が早くても今度は中で待たせてもらえばいいかな?」


 栞は、更にユーインに訊ねる。


「そうだな。あと、これからは何時にくればいいのかちゃんと確認しろよ」


 ユーインが、栞に念を押す。それは、栞もそう思っていたので深く頷く。絶対に忘れないようにしないと。

 二人は、もう一度診療所の扉を開けて中に入った。栞は、やっぱり少し緊張していた。怖がらないって自分に言い聞かせていたけど、また迷惑だと言われるのが怖かった。


 診療所の中に入ると、さっきは待合室にたくさん人がいたけれど今は誰もいない。受付を見ても誰もいなかった。

 栞は、想定していない展開に焦る。誰も人がいない……。どうしよう……。隣のユーインを見る。ちょっと考えるそぶりを見せたが、すぐに言葉にした。


「とりあえず、昨日入った診察室をノックしてみたら?」


 そっか、そうだなと栞は思い直して診察室の方に向かって歩く。深呼吸を一つしてノックをした。するとすぐに、中から声が聞こえてきた。


「開いてるよー」


 カイ先生の声だった。栞は、先生がいて良かったと思いながら診察室の扉を開ける。


「失礼します。栞です。ルイーダさんの薬を持って来ました」


 栞が診察室の中に入ると、カイ先生が診察机に向かって何かを書いていた。切の良い所まで書いたのか、顔を上げて栞を見る。


「ああ、ご苦労様。朝も来てくれたのに、対応できなくて悪かったね」


 カイ先生が、拍子抜けするほど簡単に朝の事を謝ってくれた。ぐちぐち考えていた栞は、本当に馬鹿みたいと肩の力が抜けた。


「いえ、こちらこそお忙しい時間に申し訳ありませんでした」


 栞は、深々と頭を下げる。頭を下げながら、本当に良かったと息を吐き出していた。

 カイ先生が、座っていた椅子をクルリと回転させて体ごと栞に向いた。


「そんな大げさな。ルイーダから何も聞いてなかったんだろ? 仕方ないよ」


 カイ先生が、おおらかに笑っている。灰色の狼が白い白衣を着て、笑っている姿が何だか信じられなかった。

 こうやって人ではない方と向かい合うと、ここは異世界なんだと強く感じた。


「あの、今後は何時くらいに伺えばいいでしょうか?」


 栞は、忘れてはいけないと一番に聞いた。


「うーん。できれば、今の時間帯か昨日みたいに夕方の方がありがたいかな」


 カイ先生は、右手に持っていたペンで頭を叩きながら答えた。


「わかりました。今後は、そうします」


 栞は、頭にしっかりと叩き込む。そしてカイ先生に薬の入った紙袋を渡した。彼は、すぐに中身を確認してくれる。自分のメモ帳を見ながら間違いがないこと確認していた。

 大丈夫だったようで、ルイーダから渡された薬のリストにカイ先生のサインをもらった。診療所の薬は、毎月末にまとめて払うことになっている。だから、薬の受け渡しの時はカイ先生のサインだけもらえばいいと教えてもらった。


「はい。確かにサイン頂きました」


 栞は、これで今日、頼まれた仕事は無事に終了だと安心する。それが分かり易かったようで、カイ先生に言われてしまった。


「初めての仕事が上手く行って良かったね」


 栞は、またしても自分の心情がバレバレで恥ずかしい。苦笑いで誤魔化す。


「そんなに恥ずかしがらなくてもいいのに。みんな誰だって初めてのことは緊張するし、終われば安心もするさ」


 カイ先生は、見かけはとても怖そうな狼なのだがとても優しい方だった。椅子の背から出ている大きなフワフワのしっぽが左右に動いている。そんな様子も伴って、栞は自然に笑顔が零れていた。


「ありがとうございます」


 励ましてくれる気持ちが嬉しくて、お礼を口にする。カイ先生は、ちょっとだけ言おうかどうしようか考えるそぶりを見せた。栞は、なんだろう? と思ったら驚く事を言われた。


「ねえ、栞。君、聖女だよね?」


 栞は驚き過ぎて、何と言っていいかわからない。何で分かってしまったのだろう? 私、何か変なことしたり言ったりしたのだろうか……。


「カイ先生! なぜ、そう思うんですか?」


 栞の後ろにいたユーインが、口を挟んだ。栞は、後ろを振り返って彼を見る。ユーインは、カイ先生に鋭い視線を向けていた。


「獣人って人間よりも、五感が鋭いからね。なんだろうね? やっぱり、この世界の人たちとは違う匂いがある。ルイーダが面倒みるって言うのも、何か特別なことなんだろうって思うしね」


 ユーインは、諦めたように残念な表情を浮かべる。


「このことは内密でお願いします。領民たちにバレたりしたら大変です」


 カイ先生も、大きく頷く。


「ああ、わかってる。しかし、本当に聖女様を見られるなんてねー。びっくりだね」


 栞は、先ほどからびっくりすることばかりで言葉を失っていた。匂いでわかるって凄すぎじゃない? ってか、もしかして私って変な匂いがするの? 栞は、自分の匂いが気になりだす。


「あはは。変な匂いとかじゃないよ。栞は、まっすぐな子だねー」


 カイ先生が、笑っている。まっすぐと言う表現を使ってくれたが、要するに単純でわかりやすいと言われている。


「すみません……」


 栞は、聖女がこんなんで何だから申し訳ない気持ちで一杯になる。


「なんで、謝るの? 素直で可愛いよ」


 カイ先生が、椅子のひじ掛けに肘をかけながら呟く。今度は可愛いと言われてしまい、栞は恥ずかしくなる。

 この世界に来てから、もしかしたらそんなこと初めて言われたかもしれない。


「ねえ、栞。折角この世界に来たんだ。遠慮なんかしないで、とことん楽しんでいきなさい。若い子の特権だよ。失敗も迷惑もそんなの考えなくていいんだ。そりゃー勿論、目に余る行動は問題だけど。栞は、そんなこと考えそうにないしね」


 カイ先生が、栞に向かってウインクを飛ばす。さっきから、栞は言われ慣れないことばかりで落ち着かない。

 栞の中で、失敗も迷惑も考えなくて良いと言われても、すぐに行動に移せるのかわからない。新しいことをするのには勇気がいる。怖がってばかりの自分を変えるのは一朝一夕ではないのだ。

 だからとりあえず、その場は頷くことしかできなかった。


 そんな栞を、カイ先生はお見通しだった。


「できると思った時に行動に起こしたらいいよ」


 そう言って、優しい笑顔で笑ってくれた。

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