第7話 エリントン侯爵領へ

 次の日の朝、栞はユーインと共に王宮を出た。約一カ月程だったが、世話をしてくれたメイにお礼を言ってお別れをした。

 短い間だったけれど、毎日顔を合わせていた人とお別れするのはやはり寂しい。栞が、この世界にいるのは一年間と決まっている。短い間でも寂しさを感じるのに、一年後にこの世界とさよならする時、自分は何を思うのだろう。やっと帰れると思うのか、ここでの生活が楽しくて帰りたくないと思うのか……。

 一年後の自分がどうなっているのか、全く想像がつかなかった。


 王宮を出て馬車に乗った。エリントン侯爵領までは、治安も良く特に危険な道もないと聞いた。

 王宮から護衛の騎士を付けることも提案されたが、却って目立つ気がしたので遠慮させてもらった。

 王宮を出てから、山の中の道をひたすら走っている。馬車の窓から見える景色は、青々とした緑ばかり。たまに花が咲いているのが見えたが、栞が見たことがない花のようだった。


 栞の向かいにはユーインが座っている。今回、栞と一緒に行動を共にしてくれるのは、ユーインただ一人。仕事とはいえ、何だか申し訳ない気になってくる。


「ねえ、ユーイン。今更だけど付き合わせてごめんね」


 栞が、改まってユーインに謝罪する。


「別に、これが俺の仕事だし。エリントン侯爵領で暮らすのは大したことじゃないだろ? 王都よりは小さいけど、それなりにひらけた大きな街もあるし退屈しないと思うぞ」


 ユーインが、栞に向かって言う。


「そうなんだ……。ここに来てから、色々なことがありすぎて展開に追付いていけなくて、楽しもうって気にならなかったんだけど……。やっと少しワクワクしてきたかも知れない」


 栞は、自分の素直な気持ちを吐露した。王宮から出たら、見えない圧力から解放されたみたいでなんだか楽だった。

 信じられない事ばかりで、最初は夢だと思い込もうとしていた。少しずつ、状況が分かってきたけれど王宮という場所に気おくれしていたのだと思う。

 でも今は、何も知らなかった聖女としての役目も理解してきた。ようやっと異世界での生活を受け入れられたのだと感じる。

 だけど、充実した生活を送ることが役目と言われても、依然として何をすればいいかわからない。

 エリントン侯爵領に行ったら、ワクワクできることが見つかるかも知れないという道筋が少し見えた気がした。


「なら良かったよ。僕も、今まで散々読んできた聖女とかけ離れているから、どうしたもんかと思ったよ。魔女に受け入れて貰えるといいな」


 ユーインが、珍しく栞に笑顔を向けた。メガネの奥の目が笑っている。

 栞が、異世界に来てからユーインには迷惑ばかりかけていていつも申し訳なく思っていた。ユーインが栞に向ける態度は、呆れてがっかりしていたし、イラつかせてばかりで鋭い視線ばかり向けられていたと思う。

 こんな風に、優しい視線を向けられると何だかちょっとドキッとしてしまう。今まで、異世界に召喚されたことに動揺して他のことを何も考えられなかったけど……。

 ユーインって、黙っていれば格好いい。黙っていればだけど……。


「ユーイン、色々ありがとうね。私、エリントン領に行ったら頑張るね」


 そうして、ユーインとしゃべりながら馬車に揺られていた。しばらくすると、森を抜けた。森を抜けた先にはとても賑やかな街があった。人も沢山いる。

 街に入ると、馬車が通る道もレンガで舗装されたものへと変わる。道の両脇には、白くて四角い石造りの建物が、整然と並んでいた。

 建物の前に、テントを立てて色々な物を売っている。建物も、大きいものや小さいもの色々だ。

 まだ朝早いのに、沢山の人が行きかっている。栞は、見たことない人々を見つけて声を上げた。


「凄い! ライオンさんがいる。猫さんもいるし、ウサギさんもいる」


 栞は、この世界にきてから初めて胸が躍ったかもしれない。本の中でしか知らない獣人たちが、栞の目の前を行きかっていた。興奮せずにはいられない。


「ああ、栞の世界には獣人はいないんだったな。街に下りてから、じろじろ見たりするなよ。今はもう人間とか獣人とかで差別なんてないけど、一昔前までは差別されてた種族だから」


 ユーインから注意を受ける。


「そうなんだ……。わかった、気を付ける」


 栞は、馬車の外を見ながら呟いた。外を見ていたら、もっと早く王宮から出れば良かったと思う。

 王宮が山の中にあって、とても静かな場所だったので、まさかこんなに賑やかな街が広がっているなんて想像もしていなかった。

 エリントン侯爵領に行ったら、獣人ともお近づきになれるかなとワクワクしてきた。


 目を輝かせながら街を見ていた栞だったが、残念ながら王都には下りることなくそのままエリントン侯爵領に向かった。

 王都を出ると、今度はのどかなあぜ道が広がっていた。休憩することなく、ひたすら馬車に揺られる。

 平坦な田園風景が広がっていて、栞のおじいちゃんの家を思い出す。おじいちゃんの家がある場所は、東京から離れた田舎にあった。

 流石に道路はコンクリートで舗装されているが、田んぼと畑に囲まれたのどかな場所だった。


 馬車の中ではユーインからエリントン侯爵領の事を教えてもらった。栞が召喚されたこの国は、ホーリー国と呼ばれこの世界の中でも大きな国だった。

 王が平和を愛し開かれた国を理想としているので、色々な人種が暮らしている。ホーリー国の中で、三本の指に入るくらい大きな領地なのだそう。

 人口も多く、領主の館の近くに栄える街が一番大きくて何でも揃えることができる。領主の館を中心にした街の反対側には、大きな森が広がっている。

 その森に魔女は住んでいて、彼女しか作れない薬を売って暮らしているのだそう。


 王宮で暮らしていた栞は、余り気にならなかったが、この世界は文明が進んでいないようだ。電気、ガス、水道といったものがない。

 獣人がいるからなのか、自然を大切にして共存している。不用意に自然を伐採するようなこともない。

 ユーインから色々なことを、教えてもらっていたけれど、一度だけ休憩の為に馬車を停めて外に出ることができた。


 馬車から出た栞は、深呼吸をして外の空気を大きく吸い込む。人が多くて、建物がぎっしり建っている東京よりも空気が澄んでいる気がした。

 空を見ると、東京と同じように青い空と白い雲が浮かんでいた。どこまでも続くあぜ道には、星型の花が咲いていた。

 見たことがない物を発見すると、本当に異世界なのだと実感が湧く。この一カ月、何だかずっとフワフワして落ち着かなかった。

 だけど、やっと自分のいる所がどこなのかわかってきた気がした。

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