第101話 第3堡塁の側壁より
「えええ、昭三さんへのメッセージが、オープン回線で?」
それは、まだピアノコンクールの会場で、佳奈が着替えも終わらずに優勝の高揚感につつまれた時に起こった。
親友の橋立真理が、携帯端末に祝福の連絡をしてきたのだ。
佳奈は最初、どうしてまだ誰にも話していない、昭三と自分しか知り得ない結婚の話について、真理が知っているのかが不思議であった。
まったく、昭三は意外と口が軽いのかと、少し不満であった。
しかし、実体は全く別であった。
よりによって、生配信に乗ってしまったのである。
実は、これは愛娘の気持ちを思いやっての父親からの配慮であったが、まさか結婚の単語を出すとは思っていなかった父親としては、オープン回線を第3堡塁内に融通した配慮を少々悔いていた。
それでも、父親として、愛娘が得た将来の夫が、勇敢な少年であることに心からの祝福で一杯であり、上条師団長にとって、嬉しい誤算と言えた。
龍二は、昭三と城島からの安全化終了報告を受け、指揮所のみんなに「少し出て来る」と言い残し、指揮所を後にした。
生徒会参謀とその場に居た生徒達は、それが何を意味しているのかを早々に察した。
恐らく、第3堡塁の側壁に向かったのだと。
国防大学校の外套は、旧海軍のものによく似たロングコートである。
龍二は素早く外套に袖を通し指揮刀を吊るすと、指揮所の小型車両を使い、夕日が沈みかけている落城の側壁に到着した。
龍二には、奮戦した弟に駆け寄るより先に、まずは確認しなければならない事があった。
それこそが、第3堡塁の側壁である。
あの、三枝家長男、ドグミスで戦死した兄啓一が残したとされる、側壁に記されているとされるメッセージ。
龍二はその側壁を辿っていると、後ろに北条曹長が立っていた。
「、、、こっちだ、この壁、、」
それは、まだ相模54連隊時代の啓一と、走って到達した第3堡塁の側壁位置だった。
そこには、ボイラーペイントで書かれた文字が、まるで昨日書かれたように、龍二を出迎えた。
「龍二、オレは常にお前の側にいる。だから諦めるな。困ったことがあればいつでも問いかけてくれ」
それは決定的な文章であった。
なるほど北富士第3堡塁の側壁には、謎を解く鍵があると語り継がれたのは嘘では無かった。
なぜならここに書かれたメッセージは、啓一が小隊長時代のものであり、龍二はまだ軍人になるとは夢にも思っていない時代、龍二は実家の剣術を継ぐと思われていた時代。
そんな頃に、兄啓一は、弟の龍二が将来、軍人として一部隊を率いて必ずここにやってくる、そして自分が到達したこの第3堡塁の側壁に、次にたどり着くのは弟の龍二であると予想していたことになる。
その先見の明は、龍二を驚愕に貶めるには十分であった。
「三枝1尉は、、、お前がここに来ることを、既に知っていたんだな、、、あの人らしい、、、」
北条は、そのメッセージを見つめながら、懐かしい日々を思い出しつつ、あの日、遂に果たせなかった第3堡塁の完全攻略を、天国の啓一に伝えたのである。
北条の目から、感無量の涙が流れ落ち、何か一つの区切りを迎えた事を感じていた。
「、、、上条師団長」
龍二が振り返ると、そこには上条師団長が無言で立っていた。
てっきり、嫌味の一つも言われると覚悟していたが、その表情は意外にも和やかなものだった。
「、、、まったく見事な手並だったよ、龍二君」
それは、闘将と言われた上条将軍からの、賛辞であった。
「君がこれからの陸軍を背負って立つのだ。優秀な者は敵が多い、しかし、内側の敵に構っていられるほど、これからの世界情勢はそれを許さないだろう。うちの娘が、君の義理の妹となるのだ、これからも親子ともどもよろしく頼む」
そう言って、夕日を背に笑う師団長に対し、北条は何か好感を持って眺めていた。
この二人の名将が、落陽に照らされている光景は、もしかしたらとてもレアなものを見ているのではと、北条は気付いた。
それは、新旧の名将が向かい合う、きっと歴史の1ページを見ているのだという事を。
「さ、この物語一番の主人公に、挨拶せねばならないな、義理の父親としてはな」
師団長が照れも半分に、第3堡塁内にいるであろう、昭三に声をかけようと龍二を誘った。
もちろん、龍二が次にすべきは、昭三に対する祝福に他ならないのだが、龍二は最後に一度だけ第3堡塁の側壁を振り返る。
それは、きっと忘れられない光景となるだろう、勝利の恍惚感を、一瞬で吹き飛ばす衝撃的なメッセージ。
どうして龍二がそれだけの衝撃を受けていたのかについて、その真意に気付く者は皆無であった。
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