第28話 清水 伊織
「え、清水大尉って女性でしたか。」
幸は少し嬉しそうに立ち上がってそう言った。
清水は、海軍の艦内服ではなく、正装として軍服を着用し、その妖艶な美しさに拍車がかかったようであった。
幸が更に立ち上がり、自己紹介をしようとするより早く俊敏な動きの何かが、清水目がけて一直線に突進した。
そして次の瞬間、その「何か」は清水を力強く抱きしめたのである。
「・・・やっと再会できましたね、・・会いたかった」
と言い終わる寸前で、清水のビンタが思いっきり炸裂する。
「何か」の正体、それはまだ足を引きずる北条であった。
目の前で突然起こった仰天事態に、まず幸が自分の目を疑った。
「え、ええっ!」
幸が声にならない声を肺の奥から絞り出すと同時に、清水がその分、大声で怒鳴り声を挙げた。
「なんだ貴様、初対面の女性に抱きつくとは。セクハラで死刑にでもなりたいか!」
さすがに女性とはいえ、海軍将校である。
この尋常ではない行為に対し、それはご立腹であった、が、北条の次の一言は更に火に油であった。
「あの、・・・け、結婚してください!」
これにはさすがの城島や龍二の二人も、動揺が出るレベルであった。
先ほど差し出されたコーヒーの一部が、口から飛び出すほどに。
そして清水は、躊躇なく北条の鼻をめがけて、見事なストレートパンチを食らわすと、さすがの打たれ強い北条も、戦闘艦の床に沈んだ。
「さっきから一体何なのだ。三枝弟が来ると言うから私がこの役を引き受けたというのに。今の国防大学校ではこのような遊びでも流行っているのか?・・・まあ、流行っていようがいまいが、貴様のような輩は最低でも重営倉送りにしてやるがな。」
ワナワナと小さく震えながら、それでも毅然とした態度でそう叫ぶ清水に、龍二は立ち上がりこう話した。
「当方の者が大変失礼を致しました。普段はこのようなことをする男ではないのですが、少々こちらで事情を確認しますので、まずはどうかお気を鎮めいただけませんか」
そんな丁寧な言葉を遮るように北条が呟いた。
「三枝中尉、そんな必要はない。オレから説明する。・・・覚えていませんよね、あの時はまだ百人もいましたからね。」
そう言うと、激昂していた清水の表情が見る見る落ち着きを取り戻し、もしやという表情へと変化した。
「ひょっとして、貴様はドグミス日本隊の・・・。」
そう言う清水に、ニヤリと笑い返し北条は続けた。
「思い出してくれましたか?三枝1尉のかつての部下、北条です。」
「そうか、なるほどな。しかし、何なんだ結婚って、それは図々しすぎないか?」
「ほら、清水大尉のお部屋に、みんなで書いた寄せ書き、見てないんですか?」
清水は少し考えこみながら、記憶を辿ってゆく、・・・そして思い出す、そう言えば、「すげー美人ですね、今度結婚してください!」と自室のドアに書かれた寄せ書きの一部を。
「・・・あれはお前か!、まったく、死んでいった奴らのものだからと思って、消さないよう頼み込んで保存してあったのに!貴様のものだけ早急に消してやる!」
漫才のようにやりとりされる清水と北条の応酬は、4人の学生からしてみれば、かなり年上の人たちによるコントのようにしか見えなかった。
そんなやり取りを横目に龍二は考えていた、「寄せ書き」。
それは、龍二も初めて聞くものであった。
もしかしたら兄、啓一のものもあるのではと考えていたその時、清水は北条とのやり取りを中断し、龍二を見てこう話した。
「君が三枝弟か、いや失礼、三枝中尉。早くも兄の階級まで、あと一つだな。・・・とんだ所を見せてしまったな。」
「いやまったくですよ、感動の再会かと思えば。」
「貴様が言うな、本当に図々しいな!、ほら本題から逸れるだろ。三枝中尉、色々噂は聞いているが、大変だったようだな、忙しいんじゃないのか?」
国防大学校での経緯は、防衛大学校OGである清水の耳にも当然入っていた、というより、今日までの珍事は、全軍の話題でもあった。
それは、三枝兄弟のこれまでの経緯も手伝ってのことであった。
しかし、清水は少し違う視点で龍二を気にしていたのである。
死に別れたかつての悪友、三枝啓一の弟、それだけで十分に愛情を注げる存在であった。
もちろんこの時、龍二と清水は初対面であったが、清水は龍二がもう少し啓一と似たタイプの、エネルギーの塊のような男を想像していた。
その場に居合わせた男子の中では、むしろ城島が一番印象に近いような気がした。
この無表情で、堅物な、生まれながらの軍人のようなこの男が、あの啓一の弟ということに、清水は少し水が注したように感じたのである。
「君も見たいだろ、寄せ書き」
清水の提案に、龍二は「はい」と答え、一行はそのまま清水の自室に案内された。
「普段、女性居室には男子禁制なんだけどね。今日は特別だ。」
そう言うと、皆を彼女の部屋に招き入れた。護衛艦独特の小さな作り、それでも少しは女性らしい小物で満たされた可愛らしい部屋になっていた。
せっかくの招待に、この時、北条だけは部屋の外におり、部屋には入らないでいた。
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