第二十四話-4

 さあ、五対一の、鬼ごっこだ。

 ひゅ、と左手の上に風を溜めて、鴎は投げた。気づけ、ぼくはここにいる。

 風を受けた白いこどもたちが、上空に浮かぶ鴎を見上げる。

 見下ろす鴎の瞳は穏やかだった。慈しみさえ宿していた。

 すう、と大きく息を吸って、鴎は言い放った。よくとおる、澄んだこどもの声で。

「欠けたものを、補いたいんだろ。来なよ。きみたちに与えられなかった瞳は、ぼくの眼窩に嵌まっている。欲しければ、ぼくをつかまえてごらん」



*



 本殿から動力炉のほうへ、逃げ惑う人々が流れていく。

「急げ! 浮力石を手に入れるんだ!」

「浮力石を持っていれば、奴に攻撃されない!」

「やめろ、ばかども! 動力源が断たれれば、この方舟は墜ちるんだぞ!」

「ひとつくらい何だよ! みすみすあの白いばけものにかれろっていうのかよ!」

「壊せ! 格納庫から浮力石を奪うんだ!」

 渡り廊下では、社の官僚たちの怒号がひしめいていた。その傍らをすりぬけて、燕は研究棟を目指して加速する。

 いつか、診療棟の窓から見上げた、堅固な石造りの楼閣。

(鴎は、囮になると、言ったけれど……)

 どうやって? 胸の隅に影のように刹那、疑念が差す。

 きっと、もう疲れていた。なにかとたたかうことにも、なにかを信じることにも。

(それでもわたしは、飛びつづけている。駆けつづけている)

 鴎が託した願いのとおりに。

(不思議ね……)

 研究棟へと辿りつく。門はあいていた。けれど、楼閣の扉は、溶接されたように動かなかった。窓には鉄格子が嵌まっている。裏口を探してみたけれど、大きなかんぬきが掛けられていて、刀の柄で叩いても、こどもの腕では、到底、壊せそうになかった。

 唇を噛み、閂に両手をかざす。風を溜めて、ぶつけた。扉が軋む。もう一度。今度は閂がすこし凹んだ。もう一度。何度も繰り返せば、壊せるかもしれない。

 でも。

 膝をついて、燕は、はあっと肩で息をした。風を操る力も、もう限界だった。床についた手を握りしめる。刀で体を支えて、立ち上がる。扉を壊さなきゃ、開けなきゃ、先に進めない。

「……嬢ちゃんか……?」

 ふらり、と人影がひとつ、視界の端を掠めた。振り向くと、柱に寄りかかって、若い男が燕をみつめていた。

ほむらさん……?」

「よかった。無事だったんだな。……って、そんなに無事でもないか。俺もだけど」

 わざと軽い口調で、苦笑をつくって肩をすくめてみせた焔は、左の手足がなくなっていた。銃を杖の代わりにして、焔は燕の傍らに進む。

「中に、入りたいのか?」

 燕は頷く。

「鴎と、ふたりで、あの子を止めるって、決めたの」

 でも、扉をあけられない。

「この中に、あのばけもんを鎮める引金があるんだな」

 かすむ目をこすって、焔は微笑んだ。下がってな、と燕の背中をぽんと叩く。膝を屈め、扉に向かって銃を構える。

「皮肉だなあ、このとおり、片手で扱えるように改良したばかりなんだぜ」

 焔は明るく笑った。

「さいごに会えてよかったよ、嬢ちゃん。とっておきの一発だ」

 どん、と衝撃。閂が、扉が、弾け飛ぶ。

 ぐらり。焔の体が傾く。駆け寄って、手を伸ばした。けれど支えきれなくて、崩れるように倒れ込む。

 お礼の言葉は届かなかった。燕が抱きかかえたときにはもう、焔の瞼は閉ざされていた。



 研究棟の中は、静かだった。逃げられる人々は逃げたのか。そして、逃げられなかった人々は死んだのか。廊下には、白衣姿のしかばね累々るいるいと転がっていた。

(このひとたち……目が……)

 かれて死んだ人々の亡骸は、全て、目が、えぐられたようになくなっていた。

(あの白いこどもが……奪ったの……?)

 廊下の奥に、艶のある黒い石でできた長い螺旋らせん階段があった。遥か下へと続いている。手摺てすりをひらりと飛び越えて、燕は風に乗って降りていく。

 しんしんと降り積もる雪の夜のように静かな黒の空間だった。

 闇の底へと降り立つ。螺旋階段を中心点に、狭く長い廊下が放射状に伸びていた。道は全部で八つ。照明のほとんどが壊れ、廊下の先は闇に沈んで見えない。

(どっち……)

 見回して、手を握りしめる。正解の道を選択できる確率は、八分の一。ひとつずつあたっていくしかないのか――

(光……?)

 ふと、胸もとから漏れる光に気がついた。闇の中、じわりと滲む、青い光。

(お守りの……かんざし……)

 そっと取り出す。血にまみれてもなお青い石は澄んだ光を放ち、すっと、一筋の光の糸を紡ぎ出した。ひとつの廊下の、先へと向かって。

(この建物は、外側から封鎖されていた)

 簪の光の指し示す方へ、燕は駆ける。

(封鎖された中で、ひとは死んでいた)

 それは、つまり。

(……居た)

 足を止める。鉄格子が延々と続く回廊。つきあたりの角に、ぼうっと浮かびあがる、白い影をみつけた。

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