第二十四話-3

 街が燃え落ちていく。方舟がほろぼされていく。

 黒い炎にあぶられたおとなのとなりで、牙に頭を咬み砕かれたこどもの亡骸なきがらが転がっている。傍には動きを止めたかみさまが二柱。突き刺した刀をずるりと引き抜き、ゆらりと立ち上がる燕の横を、逃げ惑う人々の悲鳴と影が流れていく。

「……切れ味、わるくなってきた……」

 刀を見遣る。刃に映る燕の瞳は淡々と冷やかだった。凪いだ心がそのままあらわれたように、表情の一切は削ぎ落とされていた。

 黒い煙が方舟を覆う。夜空のように。その中を、きらきらと火の粉が瞬く。星のように。

 炎に包まれた屋根が、がらがらと崩れ落ちていく。まるで、いつかの夜のように。

 亡骸のつづく細い路地を、ひとり、燕は歩いていく。

 男は女を助けようとした、女は男を逃がそうとした、そのままのかたちで、ともに焼かれていた。とけた皮ふがろうのように、繋ぎ合ったふたりの手を固めていた。親が子供をかばおうとして、子供が親を護ろうとして、抱き合って、そのままふたりとも、貫かれて死んでいた。おとことおんな、おとなとこども、さまざまなものが、対をつくって瞼を下ろしていた。その傍らで、ひとりきりで死んだ老婆の右手が、虚空に伸ばされたまま留められていた。こずえのかたちに似た、縋るような指は、げた燕の刀を引いた。足を止め、燕はその手を刀から解き、そっと胸の上に、左手と組むように置いた。いささかも表情を変えることなく。

 淡々と、歩いていく。燕の歩みのあとには、点々と血の花が咲いていく。

 遠く、近く、鳴り響く悲鳴と怒号の中で、ふと、色の異なるざわめきが耳を叩いた。社の方からだった。

(……歓声……?)

 ふわり。風をまとう。地面を蹴って、もういちど空へ。



*



 立ち上る黒煙をくぐり抜け、鴎は社を目指して飛んでいた。かみさまは、前方から後方へと押し寄せているのか。前側には、もう一柱もいないようだった。ただ、撃滅された街の亡骸が、社のほうへとくすぶりながら、燃えながら、つづいていた。

「燕……?」

 煙の向こう、茫然と空に佇む、小さく華奢な背中を見つけた。瞠目した瞳が社をみつめている。煙が立ち込めて視界は悪かった。けれど、燕の視線の先だけは、容易たやす辿たどることができた。煙を晴らす、風を生むものが、その先にあったから。

「鴎……」

 燕の声に温度は無かった。けれど、ゆれる心をそのまま映したように、それは低くくらく激情をはらんでいた。

 社から飛び立ってゆく、白い、しろい、光。人々の歓呼の声。

「どういう、ことなの……?」

 どうして、あいつが、社から出てくるの。

「たたかったことはないよって、いつか、言ったよね、鴎」

「言ったよ」

「それは、こういう意味だったの……?」

 人々の歓声が、燕の問いかけを掻き消していく。社の中から、流星のように、白い光が放たれる。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ……いつつ。胸に、青い光を宿して。

 どうして、あいつが、《かみさま》と、たたかっているの。

「鴎……あなたは、知っていたの……?」

 こどもの姿をした、いつかの白いばけもの。忘れもしない、あの炎の夜に現れた姿のままで、それは風をまとい、空へと……《かみさま》へと、向かっていく。姉様をいた、白い炎で、《かみさま》を、次々に灼きながら。

「かみさまだと言った……あのひとの言葉は嘘だったの……? あれは……《かみさま》じゃなかったの……? わたし、ずっと、今まで、ずっと……」

 たたかってきたのは、なんだったの。

 白い閃光が、黒く煙る空に走る。一柱、二柱、三柱、一斉に、どろどろと融けて、一部は灰になって、人々の上にひらひらと舞い落ちる。紙吹雪のように。湧き上がる歓声。

「いいぞ!」

「滅ぼせ!」

「かみさまを殺せ!」

「殺しつくせ!」

 はやす声が鳴り響く。

「燕」

 ふわり。鴎は、燕の前へと回った。社に、あの白いこどもに注がれる視線を遮って、鴎は燕をみつめる。

「落ちついて、よくきいて」

 はやく、とめなければ。

「あれは、人工の戦闘機。社のつくりだした、羽人だ」

「羽人……」

「そう。でも、今かみさまとたたかっているのは、《親》の放つ命令を実行するだけの《子》にすぎないんだ。《親》をたおさなければ止まらない。でも《親》を斃そうとすれば、《子》は全力で《親》を護ろうとする。だから、組をつくる必要があるんだ」

「組?」

「ぼくが《子》のおとりになる。そのあいだに、きみは《親》の核を破壊してきてほしい。《親》は社の研究棟の最深部にいる」

「破壊……?」

 どうして、と燕の唇が問いかけを編む前に、人々の歓声が、悲鳴に変わった。白い光が、方舟に走る。

 喝采かっさいしていた腕が、喜びの顔が、白い炎に融かされ吹き飛ぶ。

 破裂したように溢れる悲鳴、悲鳴、悲鳴。

 かみさまを葬った白いこどもは、今度は人々を襲いはじめた。

 かみさまも、ひとも、見境みさかいなく、そのこどもは灼いていく。

 暴走だ、と誰かが叫んだ。狼狽を孕んだ、怒声と叫喚。

「どうして……ひとがつくったものだというなら、ひとの手で制御できるのではないの……?」

 燕の言葉に、鴎は静かに首を横に振った。

「心なんて、制御できると思う?」

 鴎は微かに笑った。かなしそうに、わらった。青い左の瞳と、黒い右の瞳。まっすぐに受けとめて、燕は言った。

「あなたが、それを、知っているのは……」

 それは、問いかけではなく確かめのかたちをしていた。鴎の銀のまつげが、頷く代わりに伏せられ、静かに瞬きを打つ。

「あれは、ぼくをもとにつくられたものだから」

 とん、と鴎は空を蹴った。ひとりで、白いこどもたちの中へ飛び込んでいく。燕は唇を引き結んだ。ぎゅっと刀を握りしめ、燕は社へと飛んだ。

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