第十三話

 まだらに陰影を描く雲の端から昼下がりの光が滲み、ささやかな温もりとともに、中庭をぼんやりとやわらかく照らしている。

 姉様は縁側に腰掛けて、わたしはまりをついている。透きとおった姉様の歌声が紡ぎ出す、手鞠唄に、合わせて。


   ひとつ ひとよに おうせのおはし

   ふたつ ふみにて ちぎりをつづり

   みっつ みそぎの みぎりはいつか


 この楼で生きるこどもなら、ちいさな苗でも知っている唄だ。《花籠》で生まれた手鞠唄なのだという。《籠》の外では、これとは全く別の唄が口ずさまれているらしい。どんな唄なのか、確かめるすべを、わたしたちはもたないけれど。


   よっつ よごとに つむぐはあそび

   いつつ いとしは まことかうそか

   むっつ むつめば たわむれならず


 冬が来るのがこわかった。時間が経つことがこわかった。

 姉様の唄に合わせて、いつまでも鞠をついていたかった。

 姉様の隣で、蕾のまま、ずっと赤い振袖を着ていたかった。


   ななつ なづけは かごのななれば

   やっつ ややこは みずにさく


 うたって。姉様、もっと、ずっと、うたって。そばにいて。いなくならないで。


――もしそれが、叶わないのなら。


 手をとめた。転がっていく鞠を放り出して、姉様のもとへ、駆けていく。どうしたの、と席を立った姉様の細い腰に、わたしはぎゅうぎゅうと抱きついて、やわらかな胸に顔をうずめた。

 ことことと命の音がする。着物越しに伝わる、あたたかな音。

「睡蓮?」

 姉様の声が降る。そうっと顔を上げて、わたしは手を伸ばした。

 いた茘枝れいしの実のように、透けそうなくらい白く冷たい、姉様の頬。みつめるわたしの瞳が、姉様の黒い瞳に映り込む。夜空の瞳。宿る光に願いをかけたら、この瞳に灯る星に願いを伝えたら、叶えてくれますか。姉様、叶えて、くださいますか。

 ずっときつく締めていた心の結び目。それを今、わたしは解く。中にあるのは、闇だろうか、それとも、光だろうか。

 かかとを浮かせて、背伸びをする。あえかな姉様の吐息が、唇にかかる。ふりほどかないで。拒まないで。ふわりと、重ねた。やわらかな温もり。呼吸をとめて、瞳を閉じて。わたしは伝える。姉様に触れたい。ううん、姉様に触れてほしい。心に刻むだけじゃ足りない。もっと、もっと。わたしの体、こころ、すべてに、姉様を憶えさせてほしい。宿させてほしい。うしなうことからのがれられないのなら、消えないあとを、どうかわたしに。

 重ねた唇を、そっと離した。浮かせていた踵も、頬に添えていた掌も、下ろして、距離をとる。わたしをみつめる姉様の瞳に、泣きそうな色をしたわたしの顔が映っていた。

 ふわり。

 唇を花弁はなびらが掠めた、気がした。姉様の右手が、わたしの左手を、包むように握る。雪のように白く、冷たい手。あたためたいと、とっさに、思った。右手を重ねて、握り返す。姉様が淡く微笑んだ。結った手を、そっと引かれた。導くように。頷くように。

 一歩を踏み出す刹那、目の端に、鞠の影がとまった。てんてんと弾み転がった鞠は、桜の木の根もとで動きをあやめていた。

 部屋へとつづく廊下を歩きながら、姉様は一度も振り返らなかった。一言も話さなかった。敷居を越え、その白い指が襖を閉ざすまで、繋ぎ合った手と手は、ほどかれることはなかった。

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