第十二話

 鮮やかな朱に彩られた社の正門。吹き抜ける風の冷たさを、雲間から僅かに射す陽の温もりが和らげている。

 正殿へとつづく渡り廊下を歩きながら、さかきは後ろに付き従うたちばなを目線だけ振り返り、薄く笑みを浮かべた。

「なにを不満そうな顔をしておるのだ?」

「不満ではなく、心配をしているのです」

「わらわが、こどもだからか?」

「かけがえのない、みかどだからです」

 高く結いあげたまげをゆらして、橘はぴしゃりと言った。

「心配性だなあ、橘は」

 くすくすと笑いながら、榊は歩調を少しゆるめる。

 先代の急逝により、即位して〝榊〟の名を継いでから、まだ数か月しか経っていない。表向きは平伏していても、髪上げも迎えていない榊をあなどるおとなは多く、幼い頃からの従者である橘は、榊にとって気を許せる唯一のおとなだった。

「しかし、この衣装は長いわ嵩張かさばるわで歩きにくいな。襲われたときにけられぬではないか」

「そのときは、私がほこになりますよ」

 わざと軽口めいた調子で唇を尖らせた榊に、橘は、さらりと微笑を浮かべて返答した。榊の口角に満足そうな笑顔が浮かぶ。

「矛か。良いな。盾になると言わない橘が好きだ」

「光栄です」



 御簾みすの向こうで、おとなの男が深々と礼をする。床につけた禿げた頭の先には、三日前に榊が破り捨てた草案と同じものが広げて置かれていた。

「何故、私の案を、却下なさったのですか」

 正殿に、憤りを押し殺した声が響く。大柄な年かさの官僚を、榊は冷やかに見据えた。

「働けぬ者に日々の生活を保障する金の給付を、と申したな」

「はい。人は皆、平等に生きる権利があります。金も、《籠》や研究機関の運営にかける分を削れば、充分まかなえる計算です」

 自信に満ちた声だった。自分の考えは正しいのだと、信じて疑わない、どっしりと構えた口調だった。こういう話し方をする人間は、榊は嫌いではない。自然と口もとに浮かんだ笑みを、さりげなく扇を添えて隠した。姿勢を正して、榊は言う。

「それのどこが平等なのだ。むしろ、不平等ではないか」

「……と、仰いますと?」

 顔を上げた男の瞳には怪訝の色が浮かんでいた。その視線を真っ向から受け止めて、榊は問いかける。

「お主、もし勤めずとも金が貰えると言われたら、この勤めをつづけるか?」

「……もちろんです」

「嘘だな」

 ばっさりと両断するように、榊の声は淡々としていた。

「人が働くのは、おのれや己の家族を生かし養うためであろう? 己で己を生かせぬ者が死ぬのは、ただの淘汰、自然の摂理ではないか。懸命に働いた者の取り分を削り、働かぬ者にまわせば、方舟の民は誰も働く気など起こらなくなってしまうであろうよ。平等というなら、働かずにのうのうと生きる者の存在をゆるすことのほうが余程、不平等だ」

「お言葉ですが、人には助け合いの精神というものが備わっています。自然の摂理と切り捨てるのは、あまりに動物的すぎるではありませんか。それに、私が申し上げているのは、働かぬ者ではなく、働けぬ者です」

「働かぬ者と働けぬ者を、どうやって見分けるというのだ? 人は容易たやすく嘘をつき、容易く騙される生き物だぞ」

「……先代は、もっと慈悲深い御方でいらっしゃったのに」

「慈悲深いことと甘いことは違うだろう」

「貴女様は、こどもです。たとえ帝といえど、おとなの世界を何も、ご存じないのです」

 男は俯いた。喉の奥から絞り出すように、半ば吐き捨てるように、こぼれ落ちた言葉が床に散らばる。広げていた扇を閉じて、榊は立ち上がった。すそからげ、御簾のきわまで大股で歩いていく。ひざまずく男を見下ろし、榊は言った。

「ああ、わらわはこどもだ。今のおとなが死んで遺したこの方舟の行く末を、背負ってゆく当事者のひとりだ。だからこそ、わらわの甘さで方舟の未来を内側から食い潰されることがあってはならないのだ」

 言い放った。よく通る、こどもの声だった。

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