第五話

 なめらかな黒い石の壁を、床を、天井を、吊り燈籠とうろうの光が、つややかに濡らしている。研究室の扉がずらりと並ぶ、薄暗い、長い廊下。白衣姿の人間たちが足早に行き交っている。《社》の本殿は、まだ朝の勤めが始まる前だけれど、この研究棟の中は、昼も夜も無いに等しい。

「きいたよ、医師の見習い試験に、合格したのだね」

 文献を借りに資料室を訪れたところ、帰りにひいらぎと鉢合わせた。穏やかな口調で科白せりふを編む、白い細面ほそおもてが柔らかく微笑む。

「……また痩せたんじゃないか」

 何日寝ていないんだよまったく、そう嘆息したつるばみに、柊は「心配してくれるんだ、さすが医師の卵だね」と、かるく首を傾けた。ばか、家族だからだ、という科白を、橡は飲み込む。

 柊の研究室は、いつも涼やかな薬草の匂いがする。壁一面に作り付けられた木の棚に、隙間なく並べられた幾千の硝子瓶。教科書で見たことのあるものから、名前も知らない薬草や標本まで、びっしりと収められている。よく整えられた、きれいな研究室だ。まるでその裏にある実験室の悲惨さを、覆い隠しているかのように。もっとも、他人から「柊の実験室は常人の立ち入るところじゃない」という噂を伝え聞いただけで、橡自身は柊の実験室を覗いたことは一度もなかったし、そこでどんな実験が行われているのかも全く知らなかった。いくら柊の弟分だといっても、《社》の研究機関にとって、研究者でない橡は、ただの部外者の一人でしかない。

「今日、先生と挨拶回りをしてくる」

「そう。面倒くさいおとなが多いだろうけど、頑張って」

 短い会話はそこで途切れた。じゃあ、ときびすを返しかけた橡を、いつになく柊は呼びとめた。

「合格祝いだ。受け取りなさい」

 差し出されたのは、小さな根付だった。小指の先ほどの大きさの青い石を、つたを模した銀細工がくるりと巻いている。青い石は、ほのかに内側から光を放っていた。橡にとって、とても見覚えのある石だった。

「浮力石じゃないか」

「そうだよ。でも、この大きさなら、普通の硝子と変わりない」

 お守りだよ、と柊は言った。お守り? と聞き返した橡に、柊は薄く笑った。

「そう。お守り。身につけていなさい」

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