第三話
箏の音色が、わたしを包む。十三本の絃が奏でる、艶やかな旋律にのせて、わたしは扇をひらりと返し、くるりと滑らかに円を描く。
姉様に教わった、扇の舞。かるく瞳を伏せながら、わたしは目に焼きつけた姉様の所作をひたすらになぞっていく。腕の角度も、指先の表情も、視線の使い方も、姉様と等しくできるように。
「これはなかなか」
織りなされた座興の舞に、客のおとなは満足げな笑みを浮かべて頷いた。鳴り止む箏。わたしはそっと扇を下ろし、会釈をして、すっと脇に下がる。
「初めて見る子だねえ。こんな子を、いつのまに育てていたんだい?
姉様の
「睡蓮といいます。ひと月前に、
楼で働くわたしたちには、苗、蕾、花、という三つの段階がある。売られてきて芸を身につけるまでが《苗》と呼ばれる仕込み期。芸を覚えて座敷に出ることがみとめられれば《蕾》と呼ばれる見習い期。さらに芸を磨いて姉様のようにひとりで客をとれるようになると〝
一人前、じゃなく、一輪前。もともとは客のひとりが
「ひと月前というと……ひょっとして、
「ええ」
姉様は頷いた。わたしの存在は、おとなたちのあいだで、既に有名になっているらしい。
「なるほど、こうして近くでよく見れば、まさに、噂にきいた通りだなあ。精巧につくられた陶器の人形のようだ」
客の男が興味深げに、わたしの顔を覗きこむ。こういうときは目を
「是非、私の手で咲かせて、なかせてみたいものだな」
骨張ったおとなの男の指が、わたしの顎を持ち上げる。男の瞳に浮かんだ色に、わたしはひゅっと息を飲み込み、袖の中に隠した両手を
助けてくれたのは姉様だった。
「光栄です。初夜の
客とわたしのあいだに、すっと、細い体を滑り込ませて、姉様は微笑んだ。白い右手で客の頬を撫でて、そして左手は、わたしの拳の上に重ねて。大丈夫よ睡蓮、そう、わたしに、語りかけるように。
「夜も更けてきました。
姉様がいざなう。わたしから離れた男の指が、代わりに姉様の、華奢な肩を
ぴたりと閉ざした襖の前で、わたしは唇を引き結んだ。お願い、酷くしないで。姉様を壊さないで。夜の底で、わたしは祈る。宛先などなくても。姉様。姉様。
早く夜が明ければいいのに。姉様とふたりで客を送り出す、透きとおった青い朝の風景を、わたしは夜闇の中、思い浮かべる。楼の前に横たわる、黒く水を湛えた水路。そこに架けられた、朱色の橋。青に包まれた大気の中で、
繋いでくれた姉様の手を、わたしは、そっと握り返す。次に見世がひらくまで、姉様はわたしと一緒にいてくれる。
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