第二話

 あとどれだけ飛べるだろう。

 あとどれだけ、この瞳に、空を映すことができるだろう。


 昨日の夜から降りはじめた細雨は、夜明けとともに本降りになり、時折雨脚を強めながら、昼近くになっても止まなかった。雲は重く厚く空を覆い、所々、鼠色を濃くしている。

 潤んだ空気を震わせて、遠く、近く、鐘の音が響いた。任務の中止を告げる鐘だった。雲に隠れて移動する方舟にとって、雨は至極、身近なことだ。降らない日のほうが珍しく、大抵の任務は決行される。けれど、日常茶飯の霧雨程度ならともかく、土砂降りに近いこの雨では、任務の中止を決めた上の判断は、間違ってはいないのだろう。雲を抜けるまでに体が濡れれば、その分、動きが悪くなる。そうなれば、《かみさま》にほふられる確率も高くなる。

 かもめの部屋の露台からは、寮の玄関がよく見えた。鳴り響く鐘の音に、寮のあちこちから歓声が上がった。廊下に足音が溢れ、玄関がにわかに賑やかになる。ささやかな休日を楽しもうと街へ繰り出す羽人はねびとのこどもたちが、はしゃいだ会話を交わしながら、続々と連れ立っていく。

 露台に並ぶ数々の植木鉢。枯葉を除く手を止めて、鴎は徐に空を見上げた。風が冷たい。ふじばかまが花の終わりを迎えていた。もうすぐ冬がはじまる。

 壁に立てかけていた刀をとって、部屋を出た。街へと流れるこどもたちの波に逆らって、演習場の方へ。たとえ柵の中でも、飛んでいるほうが落ちつくし、刀を振るっているほうが、街に出るより気がまぎれる。

 大粒の雫を降らせる、重く垂れこめた雲を睨みながら、早く雨が止めば良いのにと鴎は思う。一刻でも長く、一日でも多く、この体を、空に。絡みつく引力を振りほどいて、分厚い雲の天井を抜けて、混じりものの何もない澄みきった空に、この体を舞わせていたい。


――玻璃。


 あとどれだけ飛べるだろう。あとどれだけ、空高く吹き渡る澄んだ風を、雲にふるわれない陽の光を、この体に受けていられるだろう。果てのない、透きとおった空の青を、この瞳に映していられるだろう。この右目に、見せてあげられるだろう。


――玻璃、これが、空だよ。


 空におとなはひとりもいない。おとなは空を飛べないから、その手は絶対に届かない。

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