第十六話

 社の人たちがやって来たのは、午後をすこし回った頃だった。ぼくは昼見世に向けて湯をいただいたばかりで、薄い浴衣一枚でぺたぺたと廊下を歩いていた。

「辰星」

 階段の手前で、いつになく硬い声で女将が、ぼくを呼びとめた。振り返ると、上がりかまちの前に何人ものおとなが整列している。質の良い、紫を基調にした衣装。左胸には、交叉したさかきかたどった紋章。《社》の直属の部隊だった。黒い布で鼻から下を覆った彼らの面持ちは見えない。

「そなたが戦闘機の片割れか」

 外見の物々しさに反して、物腰は柔らかく、口調は丁寧だった。

「お迎えに上がりました。柊様が、お呼びです」

「どうして、今、ぼくを?」

「それは、我々には、知らされておりません。ただ、丁重に、お迎えにあがるよう、と」

 まさか。

「行って! 今すぐ、ぼくを瑠璃のところへ連れていって!」

 予感がした。部隊の列に飛び込む。ぼくに話しかけたひとりの衣を掴み、ぼくは叫んだ。開け放たれた扉の向こう、朱塗りの橋の先に、黒い漆塗りの輿こしが待機している。ぼくの手を引くおとなたちの手。この見世に売られて以来、ぼくは初めて、橋を越えた。きっと、最も、望まないかたちで。



*



 その部屋は、社の研究棟の最奥にあった。壁も床も天井も、つややかな黒い石でできていた。どんなに灯りをともしても、明るくなることはない気がした。なにもかもが、ひんやりと、冷たかった。

 黒い木組みの寝台、清潔な白い布団の上に、瑠璃は横たえられていた。顔の右半分は包帯で隠されて、残った左の目も血のこびりついた瞼で閉ざされている。着せられた白い浴衣の衿元えりもとから、幾重にも巻かれた包帯が覗いている。左腕がつづくべき袖は、ひじから先がぺたんこだった。

「……瑠璃……?」

 ぺたぺたと、石の床を歩く。草履をはく余裕なんてなかった。ぼくは裸足だった。

 傍らに、白衣を着た柊の姿があった、気がした。目の端を、掠めただけ。ぼくの瞳はただ、瑠璃だけを捉えていた。

 頬に触れた。あたたかかった。そっと顔を寄せる。かすかな呼吸を、たしかめる。瑠璃は、生きていた。かろうじて、まだ。

「彼を、助けたいか?」

 穏やかに、淡々と、柊の声が、ぼくの背中を撫でた。ぼくは振り向く。崩れそうな脚を支えて。力なくほどけた瑠璃の右手を、握って。

「君が望まなければ、あと半刻ほどで彼は死ぬだろう。だが、君が望むなら、もしかしたら彼を生かせるかもしれない」

「ぼくが望むなら……?」

「欠けた彼の体に、君の体をてるんだ」

 柊の笑みが深くなる。なぜ、笑うの?

「今まで成功例は無かった。他人同士の体を繋げても、互いに拒絶し合って、ただれ落ちる。実験ではね。でも、双子である君たちなら、可能かもしれない」

「難しい話はいらない」

 穏やかに流れる柊の言葉を遮る。ぼくの答えなんか、とっくに決まっている。

「ただ、君の体は羽人の体じゃない。君の体をつぎはいだ彼は、もう二度と飛べなくなるかもしれない」

「そんなこと」

 ぼくは微笑わらった。多分、わらった。なんだ、そんなこと。むしろ好都合だよ。ね、瑠璃。

 瑠璃の手を、ぎゅっと握った。そっと、屈んで、瑠璃の額にぼくは自分のそれを重ねる。

 瑠璃、ぼくの体をあげる。もう飛ばなくて良いんだよ。花屋にだって、何にだって、なれるよ。

 顔を上げて柊を見据えた。刃の切っ先を、つきつけるように。

「ぼくの答えは変わらない。瑠璃を助けて。ぼくの体、全部使って、瑠璃を助けて」

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