第十四話
今後の方舟の進路を決めるために雲の動向を偵察に行った、任務の帰りだった。
社で手短に報告を終えたあと、星籠の上空に回って、玻璃の灯火を探す。灯は消えていた。
人目につかないように気をつけながら、玻璃の部屋の露台に降り立つ。ぼくがあげた夕顔の鉢が、
「玻璃?」
「瑠璃」
玻璃の咽喉が生んだ声は掠れていた。組んだ腕に伏せていた顔を上げて、玻璃は、ぼくをみつめた。ただでさえ白い頬から血の気が引いていて、その顔は真っ青だった。今にも壊れてしまいそうな面持ちだった。
「玻璃、教えて、何があったの」
駆け寄って、ぼくは玻璃に手を伸ばした。ぼくをみつめる夜空の瞳は、
瑠璃、と震えた声が、ぼくを呼ぶ。
「……こどものままでいられないことが、こんなにも、こわいことだったなんて、しらなかった」
長い
「……甘かったんだ、ぼくは……おとなになるということがどういうことなのか、わかったつもりでいて、悟ったつもりでいて、諦めたつもりでいて……でも、ほんとうは、望むことを、完全には棄てきれていなかったんだ。瑠璃、ぼくの体は、こんなにも今、生きたがってる。それがすごくこわいんだ……生きたがる自分の体がこわい。望みを吐く自分の心がこわい。歳星を殺してしまいそうな自分がこわい」
――なによりも、瑠璃を
涙の代わりに溢れた言葉は、涙よりもずっと透明だった。澄んだ薄氷のような玻璃の心がそのまま融けて、ぽたぽたと滴り落ちていくようだった。
「玻璃」
それでも玻璃は、ぼくに、助けてとは言わなかった。
腕をまわして、玻璃を抱えた。ことことと響く心音は、ぼくのそれと全く同じだった。呼吸も、胸の音も、温もりも、ぼくたちふたり、どこまでも等しかった。
「ねえ、玻璃」
抱きしめた玻璃の耳に唇を寄せて、ぼくは
「七夕の夜に、ここを出よう、玻璃。手を繋いで、一緒に、この方舟を出よう」
七夕祭のあいだ、警備の網は緩くなる。そこをくぐりぬけて、ふたりで飛び立とう。
腕の中で、玻璃が身じろいだ。顔を上げた玻璃の瞳が、食い入るように、ぼくをみつめる。
「そんなことをしたら瑠璃が――」
「大丈夫。ぼくは戦闘機だ。たとえ追手が来ても、切り抜けられる。玻璃ひとり抱えて飛ぶくらい、何でもないよ」
ぼくは微笑む。やっとなんだ。やっと、ぼくは、ぼくの望みを叶えられる。ずっと助けたかった。ずっと守りたかった。でも、今まで、ぼくは、できなかった。いや、しなかった。臆病だったからだ。でも、玻璃、今ならできる。どうか、ぼくに、きみを助けさせて。ぼくに、どうか、きみを守らせて。
「ぼくは
「狡くないよ」
「ぼくは汚い」
「汚くないよ」
「ぼくは」
「玻璃」
抱きしめる腕に力をこめた。玻璃が壊れないように、そうっと。大丈夫、だいじょうぶ、心音にのせて、そう、繰り返し、囁くように。
「一緒に生きよう、ふたりで」
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