第十二話

 露台の白い提燈ちょうちんに灯をともす。ぼく、辰星が、今夜の客をとっているというしるし。客の指名が重なるのを防ぐため、星籠で働くぼくらには、ひとりにひとつずつ、模様の入った白い提燈が割り当てられていて、それを吊るして灯をともすことで、外の客に体の空き具合がわかるようにされている。

 夜空に、白い提燈は、よく映えるだろう。ぼくの提燈が明るいあいだ、瑠璃は、ここには来ない。来ないで、と思う。

「何を考えているのかな?」

 穏やかな、柊の声が降る。涼やかな薬草の匂いが、ふわりとぼくを包みこむ。

「今朝、あなたの弟分が、ぼくのところへ来たよ」

「そうか」

「驚かないんだね」

「いつかは訪れるだろうと思っていた。君を一目見たならね」

 くるりと反転する視界。柊は、ぼくを自分の体の上に乗せた。重なる胸。するりとぼくの中にさしこまれる長い指。

「君の瞳に宿る絶望は、否応なくひとを惹きつける力がある。誰もが少なからず抱えるほの暗い闇が、共鳴するんだ。絶望が深ければ深いほど、内包される望みは一際、美しく輝く。私は君の最初の虜囚だよ、辰星」

「面白い理論だね。いつから詩人になったの」

「ふふっ、私は君のそういうところがとても好きだ」

 引き抜かれる指。ゆっくりとぼくは体を起こす。柊は穏やかに微笑んでいる。とてもたのしそうに。

 希望なんて、どうやって描けというの。

 たとえこの先、ぼくの体に倡伎としての需要がなくなったとしても、ぼくはこの籠から解き放たれることはないのを知っている。実力があれば歳星のように、見世に留まり師匠としておとなになる。師匠の座につけなければ、悪趣味な金持ちのおとなに買い取られて、なぶられた果てに殺される。それが、ぼくたちの末路だ。

 繋がらない未来。ぼくはおとなにはならないだろう。おとなになるときが、ぼくの死ぬときだ。ゆらがない事実。この見世には、既に歳星という師匠がいる。ひとつの見世に、師匠は、ふたりもいらない。

 立てた膝を、ゆっくりと畳む。いつものように、心をするりと解離させて、ぼくは柊の欲をくわえ込む。瞳を閉じて、柊の奏でる旋律に合わせて、上手にぼくはゆれていく。


――ねえ、瑠璃。


 閉ざしたまぶたの裏に、ぼくは刹那の夢を描いた。ここではない、どこかの縁側に、ぼくは腰掛けている。空は雲ひとつない快晴だけれど、かみさまの牙は届かなくて、ただ燦々さんさんと光と温もりを享受している。縁側からつづく庭には、瑠璃の花壇と植木鉢がたくさん。朝顔に向日葵ひまわり芙蓉ふよう凌霄花のうぜんかずら、時計草。図鑑でしか見たことのなかった花々が、からりと乾いた夏の風に、微笑むようにそよいでいる。「玻璃」弾んだ声が、ぼくを呼ぶ。色とりどりの飾りがしゃんしゃんとゆれる大きな笹を抱えて、ふわりと、瑠璃が縁側に降り立つ。「今日は七夕だよ、玻璃」どんな願いを叫んでも、ゆるされる日だよ。瑠璃がぼくに、短冊を差し出す。白い短冊。影ひとつない、澄んだ笑顔で。


――ぼくの、願いは。


「っ……あ」

 柊の欲が、深くふかくぼくの中を穿うがった。引き戻される意識。再び頬に柔らかな布団の感触。ぼくを後ろから抱きすくめて、柊はぼくの内側をかき乱していく。反射で跳ねる体。生温かいものが、ももを伝う。大丈夫だ。痛くない。ぼくは欠片も痛くない。


――だから、ね、瑠璃。


 瑠璃はまだ、自由になれる。いつか、おとなになって、飛ぶことからも、たたかうことからも解放されて、ずっと、きっと、生きていける。

「皮肉なものだね」

 ぼくを抱きかかえながら、柊がささやく。

「空を望む君に羽は与えられず、空を望まない彼に羽が与えられるなんて」

 それでも、飛べなくなるまで生き延びられれば、瑠璃は、いくらでも未来を掴める。花屋にだって、何にだってなれる。

「今日も、あなたは、とてもお喋りだ」

 握りしめていた手の力を抜く。柊に体をゆだねて、ぼくは、もういちどゆっくりと瞳を閉じる。


――歩いていって、瑠璃。ぼくという最大のしがらみを、どうか、ふりほどいて。


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