第十話

 天才になりたかった。ひとつのことに夢中になっているうちに遥か高みに上りつめているような人間を天才というのなら、私はそれになりたかった。

 医学、薬学、生物学……僅かに方舟に残された旧文明の書籍も集めて読み漁り、私は学びつづけた。土がなくても育つ作物、数々の新薬、おとなたちが行き詰まり丸投げした課題を、私はひたすらに解いていった。それとともに、私自身の研究も生みつづけていった。知識をむさぼり、創造にふけり、私は幸福だった。

 いつしか私は《社》の研究機関の主任に抜擢ばってきされ、柊という名を与えられていた。

 天才であるということは、ずっとこどものままでいられるということだ。こどもの遊びは終わらない。このままでいたかった。心が望むままに、夢中になっていたかった。

 なのに、


――おめでとう。今日から君も、我々と同じ、おとなだ。


 いつのまにか、周りが見えるようになってしまった。ただ純粋に研究に没頭する私でいたかったのに。研究以外のことにも、意識を向けられるようになってしまった。私は所詮しょせんただの凡人だったのだと、悟った。ひとつの夢がめてしまったような心地だった。

 雪の舞いそうな冬の日が、私の初冠ういこうぶりだった。

 《社》の上層部に連れられて初めて訪れた座敷で、私は今夜から初夜の競りにかけられるという少年と出会った。今夜から一週間、競りにかけて、最も高値をつけた客が、そのこどもの初夜を買えるのだという。吐き気がした。これが、おとな、なのか。一刻も早く、座敷から出たかった。少年の瞳を、見るまでは。

「辰星といいます。よろしくお願いします」

 お辞儀とともに、肩を流れるまっすぐな黒髪。形の良い眉がちょうど隠れる長さで切り揃えられた前髪の下で、黒く澄んだ、絶望を見た。挨拶代わりの舞を披露しているあいだも、私は、彼の瞳から目を離すことができなかった。深淵のように凪いだ、がらんどうの瞳。こどもらしく微笑みながら、おとなの求めに応えながら、その心は、此処には無い。おとなたちの手の届かないところへ、するりと逃れているのだ。

 そのことに、私以外のおとなは気付いていないようだった。

「君はおとなになりたいと思う?」

 順に酒を注いでまわるその子が私のところへ来たとき、私は小声で問いかけた。深淵の瞳が、なにかを見定めるように私を捉える。私がどんな答えを求めているのか、探っていたのかもしれなかった。やがて瞬きをひとつ数えて、こどもは言った。

「おとなになれば、棄てられます」


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