第九話
任務の無い日は、ぼくは大抵、演習場に行く。
「おっ、今日も一番乗りだな、鴎」
扉をひらいたところで、ちょうど開場の準備を終えた師範のひとりと出会った。おはようございます、と、ぼくはぺこりと頭を下げる。
「実戦訓練、お願いできますか」
演習場は、巨大な檻だ。訓練時の事故に備えて、施設全体が頑丈な鉄格子で囲われている。いつか、《社》の一部のおとなたちが見物に訪れたとき、まるで
「ちょうど新しい訓練機が届いたところだ。試してみるか?」
「はい。是非」
ぼくは頷く。おとなである師範が剣術を教えるのは、まだ空に飛び立つ前の初期のこどもたちだけだ。どんなに優秀な戦闘機でも、おとなになれば飛べなくなる。だから、師範の手を離れたあとは戦闘機同士や、輸送機と組んで相対稽古をすることになるのだけど、ぼくは大抵、訓練機を使うことを選んでいた。
演習場の一角、鉄格子を更に増やした厳戒態勢の特別区画に、ぼくは入っていく。訓練機は、数年前に社の研究機関が開発した《かみさまの模造体》だ。反対の声も多数あったようだけれど、実際、より実戦に近い演習を可能にする訓練機の導入によって、戦闘機の死亡率は、格段に下がったらしい。研究機関の主任――柊の、最初の功績だった。
区画の中央に浮かんで、刀を構えて、待機。柵の向こうで、「放つぞー」と師範が合図を送る。訓練機といっても、殺傷力を制御しただけで、それ以外は《かみさま》とほとんど同格だ。区画に接続された檻の鍵があけられる。躍り出たのは、頑丈な鎖に繋がれた、赤黒いもの。ぼくの二倍くらいの大きさ。以前、図鑑で目にした、
*
「柊様が、視察に?」
演習を終えて、休憩室で水を頂いていると、扉の向こうから師範たちのざわめきが聞こえてきた。予定されていたものではなかったみたいで、おとなたちの慌てた声色が空気をゆらす。休憩室にいるのは、ぼくだけだった。このまま通り過ぎてくれればいいと思いながら、時間稼ぎにもう一杯水を頂こうと席を立ったとき、うしろの扉が急にひらかれた。柊。
「やあ。君がここにいると、きいたものでね」
「こんにちは。急なご来訪ですね」
「新しい訓練機を君が使うと連絡を受けたからね。開発者としては見届けたいところだ」
どうだった? と柊は笑った。以前のものよりずっと《かみさま》に近かったです、と、ぼくは当たり障りなく真顔で答えた。頭は一度も下げなかった。
「彼とふたりきりで話をしても?」
付き人だろう傍らの男に、柊は声をかけた。男は、ぼくをちらりと見遣って、渋々のように頷いた。痩身の影法師が、するりと部屋に入り込む。静かに閉ざされた扉が、背後のひとだかりをひといきに遮断する。満ちる静寂。
「全く、不便なものだな。主任という肩書は」
「それだけ重宝されているということじゃないですか」
やれやれ、と長椅子に腰を下ろした柊に、ぼくはつとめて淡々と返した。声も低めた。冷ややかにきこえればいいと思う。
「先刻見せてもらった君の演習、なかなか良い資料になったよ」
ふふっと楽しむように柊は言った。
「人工の戦闘機の、開発ですか」
壁に立てかけていた刀を、ぼくは静かに手に取った。
ゆるく足を組んで、柊は笑った。嬉しそうだった。
「うん。さすが、君なら気付くと思ったよ。私の周りのおとなたちは、まだ誰も気付かないし、考えてもいない。戦闘機や輸送機となるこどもたちを、消耗品としてしか捉えていないんだ。君たちを、一人、二人、という数え方じゃなく、一機、二機、なんて数え方をするよう定めたのも良い証拠だ。まぁ、だからこそ未だに私は、あれをただの訓練機ということにできているんだけれどね」
私と君だけの秘密だ、と、柊は唇の前にひとさし指を立てた。こどもじみた仕草はわざとだろう。
「私はね」
柊の笑みが深くなる。
「君が飛べなくなるより先に、あるいは、君が撃墜されるより先に、実用化したいと思っているよ」
言うな。
「君たち羽人が、君が、もう飛ばなくてすむように」
言うな。
「君の双子の片割れが、かなしむことがないように」
言うな!
「私を殺したいか、鴎、いや、瑠――」
最後まで、言わせなかった。刀を引き抜いていた。柊の白い喉元に、刃の切っ先をつきつける。ぼくのほんとうの名前を唇にのせて良いのは玻璃だけだ。
「凛々しいな。私は君のそういうところが好きだ」
「あなたは、あなたの研究をすればいい。ぼくは、ぼくの腕を上げるため訓練機を使わせてもらう。あなたは訓練機とぼくとの戦闘で、自分の研究を進めるための資料を得る。双方向の利益です」
「ああ。これからも頼むよ」
湛えた穏やかな微笑をいささかも崩すことなく、柊はぼくを見据えた。睨みつけたまま、ぼくはゆっくりと刀を引く。柊は立ち上がった。ふわりと涼やかな、薬草の匂いがした。今夜、玻璃のところへ行くのだろうか。
――ほんとうは、世界なんて、これっぽっちも愛してない。
知っていた。気付いていた。玻璃は言わないけれど、玻璃がどんな仕事をしているのか。任務を終えて方舟に戻るとき、夜空から見える、鈴なりに揺れる赤い提燈。大門をくぐっていく、おとなたちの背中。
その汚い手で玻璃に触れたの? その濁った瞳に玻璃を映したの? その腐った唇で玻璃を塞いだの?
――どうして、ぼくは、玻璃を助けないの?
玻璃がいるから、飛べるのに。玻璃がいるから、この方舟を守ろうと思えるのに。玻璃がいるから、世界だって愛せるって、玻璃に向かって微笑むことができるのに。
玻璃の痛みに比べたら、怪我なんてちっとも痛くない。おとなたちの相手をすることに比べたら、かみさまとたたかうことなんか、これっぽっちもこわくない。
――ごめん。玻璃。ごめん。
ただ玻璃をうしなうことだけが、ぼくは、こんなにも、こわい。
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