第七話

 最初の夜の、夢をみた。

 閉ざされたふすま。雲に覆われた夜空も、軒下で揺れる灯火ともしびも、遮られて、ここからは見えない。ただ、しんしんと街を染める冬の冷たさだけが、隙間からひたひたと流れこんでくるだけ。

「痛かった?」

 ごめんね。そう、言い添えるように、彼は、ぼくの頭を撫でた。ふわりと包み込む、涼やかな薬草の匂い。優しい愛撫だった。なんて矛盾だろう。やめるつもりなどないくせに。

「初夜の子は泣いてしまうことが多いってきいていたけれど、よかった、君が泣かなくて」

 頬にかかる髪をすくって、このひとは微笑んだ。なにを言っているの? 瞬きをひとつ数えて、ぼくはこのひとをみつめ返す。ぼくが泣かなかったのは、あなたがぼくの泣き声を望んでいないと察したからだ。あなたが望めば、ぼくは、いくらでも声をあげただろう。歳星に教わったとおりに。

 ひんやりと熱を吸う白い手が、涙の伝わないぼくの頬に触れる。輪郭を確かめるように数度、撫でてから、あやすような穏やかさで、ゆっくりと首へ、胸へ、下りていく。対の手は、そこからつづくさらに下、ももの後ろを辿たどって、はざまの窪みに。優しければ優しいほど、白々しかった。

 泣けば誰かが助けてくれたの? 泣き叫べば誰かがぼくの手をひいて、ここから連れ出してくれたの? 救いだして、くれたの?


――ねえ? 瑠璃。


 薄くひらいて呼吸をととのえるぼくの唇に、このひとのそれが降りてきて、ぼくは再び息をとめた。重ねられる胸。かち合うあばら。このひとの体の重みがぼくの体に圧し掛かる。このひとは、まだ若かった。おとなになったばかりのようだった。握られた手、絡められた脚、華奢だけれどしたたかなこのひとの体に、ぼくは縫いとめられていく。再び押し寄せる波。このひとの指が、舌が、掌が、もういちど、ぼくを奏ではじめる。ゆっくりと、ぼくは、瞳を閉じた。このひとの望むままに正しく体を動かしながら、ぼくは上手に、心と体を切り離す。いつの頃からか身につけた、ぼくの特技だった。痛い、とか、嫌だ、とか、助けて、とか、そういうのは全部、体に置いて、心はするりと、ぼくの体から抜け出していく。おとなの体の下でゆれるぼくの体を、ぼくの心は冷やかに見下ろして、寝台から離れた部屋の隅にふわりと浮かんでいる。体から切り離した心に、痛みは無い。ただ、空への望みがあるだけ。おとながぼくの体に満足して眠りにつくまで、ぼんやりと天井の向こう、空の彼方に思いを馳せる。ぼくを囲うふすまの部屋も、ぼくの両手を縫いとめる指も、ぼくの呼吸を封じる唇も、ぼくの体を貫くくさびも、空には無い。


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