第二話

からす。今日付けで君を、戦闘機から輸送機へ、異動させることが決まった」

 木組みの扉を閉めきった《やしろ》の一室。停滞した空気を僅かに揺らすひいらぎの声が、おれに静かにそう告げた。

 方舟の中枢をになう、最高機関、《社》。柊は、おれよりも七つほど年上で、方舟史上最年少で社の派生組織である研究所の主任になった人間だった。つまり、ただの一兵卒に過ぎないおれに辞令を言い渡すなんていうのは、本来、柊にとっては畑違いもいいとこで、それでも柊がそれを買って出た理由は多分、おれが柊の、弟分だからだろう。

 柊とおれのあいだに血の繋がりは無い。さらに言えば、この方舟に、おれとゆかりのある人間はひとりもいない。三年前、おれは柊に拾われた。のたれ死にしかけていたおれを見つけて、弟分にすると言って。柊に生かされたおれは、多分、至極、幸運なのだろう。

「わかった」

 おれは、ただうなずいていた。まゆひとつ動いてはいなかっただろうと思う。悔いも、憤りも、嘆きも、おれの胸には芽吹かなかった。いだいても無駄だと、根こそぎ、諦めのうろの中へ投げ込んでいた。

 予想はしていた。というより、自分が最もよくわかっていた。個体差はあるものの、総じて《羽人》の力は、永遠ではない。ただ、おれの力の寿命が、他の羽人よりも短かっただけの話だ。かろうじて速さは保っていたものの、徐々に飛距離が、瞬時に風の流れをつかむ感覚が、かげりはじめているのを自覚している。

「他にも何機か異動があってね、組の再編がなされたよ。君は、かもめと組んでもらう」

「鴎?」

「君は会うのは初めてだろうが、名前くらいは聞いたことがあるだろう。史上最年少で戦闘機になった少年だよ」

 厭味いやみだと思うかい? と柊はきいた。別に、と答えてやると、よかった、と彼は軽く肩をすくめた。

「では、早速任務にあたってもらおうか。鴎には、先に甲板で待つように言ってある」



*



 社と甲板を結ぶ橋からは、方舟の半分が一望できた。いびつな流線形の器に、大小様々な木箱や石組を無秩序に詰め込みうずたかく積み上げたら、こんなふうに見えるのではないかと思う。空に浮かぶ廃墟の街。崩れては修復し、壊れては建て直し、減築と増築を繰り返し、日々一定の形は保てないでいる。昨日かっていた橋が今日は別のところに架かっているなんてことはざらだったし、常にどこかしらで木槌きづちと石積みの音が響いている。

 空は黒に近い灰色。重く垂れこめた雲は低くたなびき、もやとなって街全体をまだらに包んでいる。

 甲板は、方舟の前端に位置する、小さな広場のことだ。もっとも、こんな場所なんてなくても、風さえ掴めれば、おれたち羽人は、どこからだって飛び立つことができるのだが。

『特別なもの、専用のもの、規則や形式や区別をつくりたがるのが、おとなの習性だからね』

 いつか柊が呟いた言葉を思い出し、すくなくともこの一点に関しては当たっているかもなと胸の内で頷く。

からすさん、ですか?」

 甲板へと続く階段に足をかけたところで、上から声が降ってきた。振り仰げば、甲板の柵に腰掛けて、こどもが、ひとり、こちらを見下ろしている。逆光で顔はよく見えないが、歳はおれよりいくつか下だろう、声はまだ高いままだった。吹き上げる風の中、暗灰色の空を背に、うしろでひとつにまとめた銀髪が、僅かな光にさえ、眩しくきらめく。

「おまえが、鴎?」

「はい」

 よろしくお願いします、と彼はひらりと柵から飛び降りた。背中の刀が、かしゃん、と小さく音を立てる。光を受ける方向が変わり、白い頬が、その面持ちが、あらわになる。

 そこに、鮮烈な青をみた。銀のまつげの向こうに、めこまれた空の青。ここまで澄んだ青の瞳をみるのは初めてだった。頬の、瞼の、色の白さが、その青を、いっそう際立たせている。手を伸ばせばたちどころに吸いこまれてしまいそうなくらい、深い、深い、青。

「鴉さん」

「鴉でいい」

「えっ、でも……」

「戦闘機として飛んできた年数は、おれとそう変わらないだろ」

 行くぞ、と軽く地面をる。気流に乗って、ひといきに雲を抜けていく。重く垂れこめた鈍色にびいろ。まるで今のおれの髪色そのものだと、胸の内で微かにわらう。飛ぶ力のかげりに比例するように、くすみはじめた銀の髪。にごりはじめたあおの瞳。いつか、そう遠くないうちに、おれは飛べなくなるのだろう。おとなになるより先に、この空の青を望めなくなってしまうのだろう。

(そのとき、おれは……)

 羽人の力を失くしてもなお、生きていたいと思えるのだろうか。


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