第一章-星籠-

第一話

 ぼくと瑠璃るりは双子だった。けれど、ぼくと瑠璃が並んでたたずんでいたとして、ぼくたちを双子だと認識できるひとは多くはいないだろうと思う。姿形は同じでも、髪の色や瞳の色が異なれば、ひとの印象はがらりと変わるものだから。瑠璃のもつ、月の雫をあつめたような銀色の髪も、雲の覆いの向こうにあるという真昼の空をそのままめこんだような青い瞳も、ぼくにはない、瑠璃だけのものだった。瑠璃が《羽人はねびと》であるというあかしだった。《羽人》、ハネビト、それは、いつの頃からか、おとなたちが決めた区別の名前だった。銀色の髪と青い瞳を特徴に、空を飛ぶ力をもって生まれた者のことを《羽人》と呼んでくくり、それ以外の人間と区別する。空を飛べる瑠璃と、飛べないぼく。だから、ぼくたちは一緒にはいられない。

 でも、それ以上に、決定的に違っていたものがあった。微笑み方だった。瑠璃は、とても、綺麗に笑う。白いかすみそうが一斉にそよぐように、瞳いっぱいにいつくしみをたたえてはかなく笑う。子供でありながら子供特有の獰猛どうもうさは宿さず、かといって大人特有の狡猾こうかつさもはらまない、まじりもののない透明な笑顔。瑠璃は、世界を愛していた。きっと。愛せていた。瑠璃は微笑む。崩れそうな廃墟に瓦礫がれきを積み上げてぎりぎり保たせているような壊れかけの方舟を、世界だと言って、微笑む。

 月明かりが薄く射していた。天球を覆う灰色の雲が、所々、刷毛はけぬぐわれたように途切れて、したたるように月の光が降りてきている。ほんの少し右側を欠いた白銀しろがね色の光の源が、薄雲の向こうに滲んで見えた。こんなふうに、空からの光が雲にふるわれずに届くことは珍しかった。空と地上のあいだでぼくたちを乗せて浮かぶ《方舟はこぶね》は、雲の中から出られない。雲の覆いの外へ出れば、さいご、《かみさま》に見つかって、たちどころに撃墜されてしまうからだ。ある舟は焼かれて、ある舟は砕かれて、雲の切れ目が命の切れ目、なんてことわざができるくらい、今までに何隻もとされていったのだと、おとなたちからきかされた。

 ひらいた障子しょうじから、わずかに薄靄うすもやが流れこんでくる。方舟が再び雲の中へと進路を変えたのだろう。月明かりが消えていく。完全な闇が戻ってくる。ひとつだけ灯していた行燈あんどんの油を注ぎ足して、ぼくは、羽織を一枚、肩にかけた。季節はそろそろ夏の盛りを迎える頃だけれど、夜も更ければ肌寒い。

(瑠璃)

 再び雲に閉ざされていく空を眺めながら、ぼくはそっと、彼の名前を心の中で呟いた。遮るものの何もない夜闇の中、煌々こうこうと輝く月の光を全身に浴びて飛んでいるだろう、ぼくの片割れ。

 水の粒子を含んだ冷たい空気が頬を撫でる。方舟を包む白のかすみ。雲の中で、ぼくたちは生きている。ぼくたちの何世代も前に、人は地上にめなくなって、《方舟》をつくり空へと逃れたのだと、いつか、おとなたちが、ぼくらに語った。雲の中に浮かんだいくつもの方舟、そのうちの一隻であるこの舟に在るもの、さらにその中で、この窓から望めるものが、ぼくの知る世界の全てだった。ぼくを含めて、雲の中に隠れて生きる人間は、生まれてから死ぬまで、ほんものの空の青を瞳いっぱいに映すことはない。薄曇うすぐもりの日に、あるいは、さっきのように、わずかな雲の隙間から、うっすらとその青さを垣間見ることはあっても。でも、瑠璃たち羽人は違う。羽人は、空を飛べる。風を読み、風に乗り、風を操り、空を舞う。……かみさまと、たたかいながら。

 ふわ、と頬をかすかに風が撫でて、ぼくは、ふっとまぶたをひらいた。窓の縁に寄りかかって、いつのまにか、ぼくは、まどろんでいたらしい。

「瑠璃?」

「あっ、ごめん、起こした」

「ううん。おかえり」

 空から戻った瑠璃を抱きしめる。瑠璃の手も、脚も、肩も、震えていた。平静を装っているつもりだろうけど、明白だった。足なんか、体を支えるのがやっとなくらいすくんでいた。引き寄せて、ひとつの布団に、ふたりで倒れ込む。ぼくの黒髪の上に、解いた瑠璃の銀髪が、さらりと重なる。こわくないよ。もう、こわくないよ。

玻璃はり

 瑠璃が、ぼくの名前を呼ぶ。凛と空気を震わせて、ぼくの胸を静かに打つ。奏でるように心地良い声。

「ん?」

 問いかけてうながすと、ぼくの腕の中で、瑠璃が、ふわりと、ぼくを見上げた。

「今日も、ちゃんと戻ってこられた」

 玻璃のところへ。そう言って瑠璃は微笑んだ。たてとりでも築かない、全ての防備を手放した面持ちで。

「ただいま、玻璃」

 瞳を閉じて、再び伏せられる顔。いでいく肩の震え。ことことと響く、胸の音。

 瑠璃を抱えたまま、ぼくも、そっと瞼を下ろした。今夜はもう、客は来ないから、夜が明けるまで、ふたりで眠ろう。


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