第17話(最終話)
六甲戦の最終レースは対校エイト同士の一騎打ちだった。関西選手権でも優勝している阪和大のエイトは六甲大に大きく差をつけていた。俺たちは翔太さんを欠いていたが、相手は剛田さんと友永さんを欠いている。15秒ほどの大差をつけ、阪和大のエイトが先にゴール付近に姿を見せた。たが俺は喜びよりも、自分の実力不足に打ちひしがれていた。
”自分があのシートに座るかもしれない”
そういう気持ちで見るエイトの漕ぎに気圧されていた。翔太さんは、「杉本、雄大の漕ぎをよく見とけよ。ちょっと小さくなっちまったけど、やはり俺らのチームでは一番あいつが漕げてるよ。兄弟贔屓を抜きにしてな」と言っていた。
翔太さん。雄大さんの漕ぎって、小さいですか?
俺から見ると、その漕ぎはほとんど完璧に思える。雄大さんの代わりは誰にも務まらない気がする。オールのしなやかさなら翔太さんの方が上だろう。漕ぐ長さなら、ストロークのすぐ後ろ7番の下屋さんの方が長い。でも翔太さんにも下屋さんにも、欠けているものがある。
エゴだ。
自分の決めたリズムで一度漕ぎ出すと、後ろの他の7人がどんな動きをしようと変わらず漕ぎ続ける。無機質に思えるほど、冷淡にリズムを刻み続ける。雄大さんの漕ぎには、強烈なエゴが備わっていた。まるで後ろには誰も乗ってないみたいだ。そして、それは決して悪いことじゃない。あのでかいエイトの全体にリズムを伝えるには必要なことだと俺は思った。自分はまだそんな風には漕げないだろう。
そして雄大さんどころか、同期の岡本と井上とも差がついていると思った。先輩クルーと切磋琢磨する中で、ふたりとも明らかに漕ぎの力強さとスムーズさが増していた。調子を落として、腐ってしまった自分とは違う。ふたりは先輩と自分の漕ぎを比べて、少しずつ修正したんだろうな。俺はしてなかったな。テクニック以前の、もっと大切な何か。そこに大きな差があるように思う。反省だ。でも、もう腐ったりしない。俺だってちゃんと練習すればまだまだ上手くなれるということを、翔太さんに教えてもらった。今すぐ雄大さんのように漕げなくてもいい。少しずつ、ひとつずつ、良くなっていけばいい。自分が変われば、ボートは今までとぜんぜん違う進み方をしてくれる。
「自分の限界はまだまだ先にある」
そういう気持ちを取り戻すことができたのが収穫だった。
クルーを決めた翔太さん、川田さん、下屋さんに感謝しなきゃ。いや三人に対してだけじゃない。精神的主柱である翔太さんが一時的にエイトから離れることを認めてくれたメンバーのみんなにも感謝しなければ。今日の試合は、そういう色んな人の心意気のおかげだ。
目の前にエイトが迫る。
艇の真ん中あたりに、力強く艇を進める岡本と井上の姿が見えた。
「スパートいこう、さあいこう」
COXの川田さんの声が耳に入る。エイトは独漕状態だ。
雄大さんはまたペースを上げ、それに後ろのシートの7人も呼応して、動きのキレが増した。ストロークは雄大さん、7番の下屋さん、このストロークペアは不動だ。6番に井上、5番に岡本、ここが二回生コンビ。これは改めて考えるとすごいことだ。先輩クルーにも引けを取らず堂々と漕いでいる。
4番が山上さん、3番が八木さん。この二人は四回生で流石の安定感という感じだ。2番が三回生の橋本さん。同じ三回生の雄大さんと辰巳さんの影に隠れることが多いが、橋本さんのクセのない綺麗なフォームが艇のバランスを整えていた。そしてバウに三回生の辰巳さん。いつもこの人は俺のことを気にかけてくれる。こないだのエルゴのトライアルでも、倒れ込む俺に声をかけてくれた。今回は、翔太さんの代役でエイトのバウに座っている。それもすごいことだ。
エイトのメンバーのひとりひとりに思いを馳せる。誰も俺のことを嫌ってなんかいないだろう。心を閉ざしていたのは、自分の方だ。
目の前に迫るエイトが通り過ぎる前に。ひとつでも、少しでも、自分を変えようと思った。
「岡本ー!井上ー!ファイトーー!」
思い切り叫んだ。これで、応援してくれたことおあいこにしてしまおうとは思わない。ふたりが陸に上がってきたら、ちゃんと面と向かってありがとうと言おう。
ゴールへ向かうエイト。それに向かってひとりひとりの名前を叫び続ける。避けてきた怖さに立ち向かう自分のことも、応援している気持ちになった。
漕艇場に正午の鐘がなる。
近頃、顔を潜めていたコートの男が顔を覗かせた。さっと辺り一面が暗い砂漠地帯になる。晴れているのか。空には星が出ている。数歩先の位置に男がいる。でも俺の呼吸はもう乱れたりしない。
「これがお前の選択だろ」
男が手に持った銃の先は、自身のこめかみに押し当てられていた。
「もう俺は必要ないみたいだな」
そういって銃のトリガーに人差し指をかける。俺は男に向かって声をかける。
「銃を貸してくれ。最後は俺が選ぶんだろ?」
男がほくそ笑んだように見えた。近寄ってくると素直に俺に銃を手渡すと立ったまま脱力して目を閉じた。どこか満足気にさえ見える。
俺は一度男に銃口を向けたが、そのまま銃を天高く掲げた。
男は姿を隠し、砂漠地帯はいつかの陸上競技場に姿を変える。あの日は曇天だったけれど今日は快晴だ。トラックの内側に敷き詰められた芝生の緑が風に揺れて眩しい。スタート地点にはランナーが密集している。近くに海はあっただろうか。なぜか微かに潮の香りがした。人差し指に力を込めると、空に向けて弾丸は放たれてランナーたちに向けた号砲になった。
一斉にスタートを切った集団の中に自分の姿を探す。心の中で唱える。”懸命に走ること自体に意味があるぞ”
たとえどんな位置にいても、どんな表情をしていても、その姿が見えた瞬間ここから精一杯の声援を送ろう。
Drive!! 第1章(全17話) 〜ボート X 小説〜 まさき @masaki_novel1
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