「君主論を掲げて」

商社城

第1話「君主論を掲げて」

これは皆様が良く知るパスタの国イタリアの物語です


そのイタリアはつい最近まで統一国家は存在せず


小国に分かれ、小国のどの国も軍が脆弱で

ルネッサンス文化・芸術が発展していたが故に

何百年もドイツ、フランス、スペインによる略奪の餌食でした。


そんな1533年8月

イタリアの小国の一つ

トスカーナ公国フィレンツェで

テーブルに狭しと並べられた宝石を数える少女がいました。


「・・・、大きいルビーの首飾りが1つ、ダイヤモンドが埋込まれた金の装身具2つに、平に広がったダイヤモンド1つ、そしてこれが、洋梨形のエメラルド6つと真珠の・・。全部私のお守り。大事にしなくては」


少女の名はカトリーヌ・ド・メディシス14歳。

もうすぐ、フランス王太子アンリと結婚する為フランスのニースに出帆する。

輝かしい人生の始まりに違いない。


この結婚を決めたのはローマ教皇クレメンス7世。カトリーヌの遠い親戚で当時55歳。

カトリーヌの父母は既に他界し、彼女を守るのはこのクレメンス叔父しか居ない。


そんな教皇クレメンス7世がカトリーヌを呼ぶ


クレメンスは成長した姪の美しく着飾った姿に目を細める。

世の父親が娘の花嫁姿に複雑な感情を抱くそれと同じだ


大きな椅子にゆったりと腰掛け、カトリーヌは立ったまま、叔父の言葉を待つ。


カーテンが閉められ、隙間から日光がカトリーヌの足元に差し込む。暗い部屋に二人きりだ。


「いいかい、可愛いカトリーヌ、よくお聞きなさい。」

「もうすぐフランスに嫁ぐね。しかもフランス王家ヴァロア朝の王太子妃だよ。」


「でもね、可愛いカトリーヌ。浮かれちゃいけないよ。言いつけ通り、目の前の宝石は全部覚えたかい?」


カトリーヌは無言で頷く


「そうかい、それじゃあ、これから大事な事を話すからよくお聞きなさい。」


クレメンス7世はため息をつき、目を閉じた。

そして大きな声で天井に向かって


「神を信じてはいけないよ!

神を信じるふりをするんだ!

しかしだ、いいかい?

周囲からは信心深いと思わせるんです。」


カトリーヌは目を見開いた。

この叔父は何を言い出すのだ?

カトリックの頂点ローマ教皇ではないのか?


クレメンス7世は立ちあがり、カトリーヌの胸倉を突然掴んだ。


「え?」


クレメンスは顔を近くに寄せて低くどすを効かせて囁く

その形相はいつもの優しいクレメンス叔父さんのそれでない。謀略で何人もの

邪魔者を殺し、のし上がってきた悪党の目つきだ


「怖がるのも無理はない。しかしね、カトリーヌ。お前は、そう、お前は、たかだか商人の娘!

それがフランス王家ヴァロワ朝の王太子妃だって?釣り合う訳ないだろうが! 違うかい?カトリーヌ?

宮廷フランス人どもは、お前など蔑むに決まって居ろうが!」


カトリーヌは敬虔な修道院以外の世界を知らない世間知らずだが


彼女は怯えてない。

泣き出すような軟(やわ)ではない

クレメンス叔父の目線を外さず、こう思った

(この叔父は、狂ってる!)


「・・・いいかい、カトリーヌ。だから、時には神を裏切り、非道を尽くせ。

なのにだよ、カトリーヌ、皆には信心深いと思わせなさい!神をも騙すのです」


クレメンス7世は、胸倉を掴んだ手を放し、座り直し、息を整え、傍らにあった本をカトリーヌに渡した

「Il Principe(イル・プリンチペ、君主論)ですか?叔父様?」


装丁は美しくない。そして何度も読み込んだ跡がある

「これがわしの聖書だよ、カトリーヌ」

そして教皇クレメンス7世はある男の物語を語り始めた

・・

今から100年ほど前、スペイン生まれの枢機卿でアロンソという者が居てね

ローマ教皇に昇り詰めたんだよ。教皇カリストゥス3世と名乗ったのさ。


ずるい男でね。地元スペインからローマに一族を呼び寄せて

良い地位を独占したよ。彼の若い甥なんてラテン語も読めない癖に枢機卿だよ?!


アロンソは愛人もたくさんいて子供も作ってね。やりたい放題さあ


そしてここからが大事なんだが、


彼ら一族はムーア人。

つまり、元々はイスラム教徒なのだよ。

スペインではイスラム教徒は処刑されるからね、彼らは仕方なく改宗した。いや、改宗した振りをしたんだ。神を信じてるってね。


イスラムには、秘術があってね、それを触ったり、口に含むと死んでしまう。それを極めたのがアロンソの一族ボルジア家さ。


アロンソの周囲はよくぼっくり死んだよ(笑)。

アロンソが秘術を使ったんだろうねえ(笑)


それから50年後にね、アロンソの子孫がまたローマ教皇になったんだよ。その名はアレキサンドル6世。彼も毒と謀略そして悪行を尽くしてねえ、邪魔者を消して身内を引き立ててやった


そしてついに最も恐ろしい男がボルジア家から出たんだよ

アレキサンドル6世の息子で、名前はチェザーレ・ボルジアといってな、

イタリアを侵略してきたフランス王と交渉して、なんと侵略者フランス軍を借り、

イタリアの小国を一つ一つ征服したんだよ


「フランス王ルイ12世殿の名代として私めがイタリアを征服します」ってね(笑)。

そして征服した国で自分の軍隊を作っていくんだよ。


しかし戦うのはあくまでフランス軍。自分の軍隊は温存してね。

な?狡猾だろ?。

しかも、チェザーレの都合の悪い人間は次々突然死するんだ。

ボルジア家秘伝の毒を盛ったのだろうよ。


しかし、この穢れた男の志には光があったんだ。

チェザーレはね

イタリアを統一してボルジア王国を作り

フランス、ドイツ、スペインをイタリア半島から駆逐したかったんだ

イタリアを食い物にしている外国の奴らをね


しかしな、このチェザーレがしくじった。毒を盛られたのだ


この本はな、カトリーヌ。このチェザーレから学んだフィレンツェの男マキャベリーが書いたんだよ。

・・

クレメンス7世の説明中、カトリーヌはパラパラと本をめくる

「・・第13章・・・ 叔父様、ここにフランスが取るべき道が書いてある。『傭兵に頼るべきではない。自国軍を強化せよ』と。」


カトリーヌの声が低くなった。落ち着いてゆっくりと相手を刺すような口調に変わった


「それから『第18章、王たるもの、狐とライオンから学ぶべし。狐は狼から身を守れず、ライオンは罠から身を守れない。信義遵守が不利ならば破棄せよ。しかし、周囲には信義を全うする立派な人物に見られるべし』・・」


カトリーヌは、更にページをめくり続ける。

もうクレメンス7世を狂人とは思ってない。

彼女も君主論に、狂人に堕ちたのだ。


カトリーヌが

フランスニースに渡りフランス王太子妃となって25年後、

彼女は、夫アンリ2世を暗殺し、フランス政権を牛耳った。


そして


更に15年後、彼女は

実の娘マルゴの結婚式の当日


このおめでたい日をカトリーヌはあえて選び、

油断したプロテスタント2,000人を殺害した。

世に言うサン・バルテルミーの虐殺。


しかし首謀者のカトリーヌは神に慈悲を請う姿を見せ、信心深いと周囲に信じさせた


カトリーヌは君主論を掲げて

まんまと神をも騙しおうせた

・・

嵐の時代から時を300年、時を進ませよう。


19世紀

この忌まわしい書物「君主論(Il Principe)」は、ローマ教皇から禁書とされ闇に葬られていたが


1830年

イタリアの小国家の一つサルディニア王国

軍隊を退役した20歳の青年がたまたま君主論を手に取った


「Il Principe(イル・プリンチペ) 第26章(最終章)・・イタリアは踏みにじられ、丸裸にされ、引き裂かれているのに耐えている。それは一条の光を信じ待っているからだ。チェザーレは光となる筈だったが、神は彼を見放した・・


・・息絶え絶えのイタリアは、ロンバルディアの略奪、トスカーナの重税、ナポリの没落と

長年に渡って化膿した傷口を癒してくれる人を待ちわびてるのだ」


青年の名はカヴール

彼は呟く「イタリアは何百年たった今も同じだ。ずっと惨めだ」


青年カヴールは後にサルディニア王国の首相となり


フランス・イギリス・オーストリアにチェザーレの如く謀略と剣で挑む。

君主論を掲げて。


1861年3月 ついにチェザーレの夢、

北はロンバルディアから南のナポリまで統一されたイタリア王国がなった。

そしてフランスもオーストリアもイタリアから駆逐された


チェザーレの死から350年後、イタリアに光が差した瞬間だ。

・・

今は2022年8月

君主論は歴史の授業で出るだけのつまらない存在に葬られている


これが私が大好きな、ワインの国イタリアの物語です


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「君主論を掲げて」 商社城 @shoushajoe

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