第13話 素晴らしき愛をもう一度 美佐雄の夢2

「こんにちは」


 コップの問題を解くと、不思議なことに置いてあった机やコップは消えてしまった。そして、現れたのが目の前の青年である。


「君は誰」


 青年は不思議な現象には驚かずに、目の前の青年への疑問をぶつける。


「僕は君だよ」


 目の前の青年は訳のわからないことを言う。鏡と言うことだろうか。しかしそれらしきものはない。そもそも姿形がいつも鏡で見ているものと違う。目の前の青年は医者の格好で、どこか大人びている。自分はいつものTシャツジーパンだ。勉強している時の自分。そう、浪人生の格好だ。


「僕。何言ってるの。僕は僕だよ」


 青年は至極真っ当なことを言った。


「うん、君は君だよ。でも僕も君だ」


 不思議なことを言っているのは目の前の青年だ。


「どういうこと、意味わからない」


 青年は困った顔で頭を抱えた。


「ここは君の心の中。僕は君の心なんだよ」


 目の前の青年がそう言う。つまり青年は今心と対峙していると言うことだろう。


「心の中。君は僕の心」


 青年は自分の心を改めてよく見た。医者の格好をしている。それは自分の夢だ。確かにいつも医者の自分を思い描いている。立派になった自分の姿を思い描いている。顔つきこそ違えど、顔のパーツは確かに自分だった。


「そう。君は今心の中に迷い込んだんだ」

「迷い込んだ……。だから迷路があったんだ」

「そう、そういうこと」


 迷路の謎が解けた。どうして自分がここに居るのかもわかった。ただ、わかると同時に疑問も出てきた。


「でもなんで、なんで迷ってるの」


 そう、なんで迷っているのかがわからないのだ。


「それは、思い出してごらん」


 青年の心は不敵な笑みを浮かべてそう言った。


「どうだった、いい人は見つかったか」


 父親の声が聞こえてガバッと目が覚める。青年はまた寝てしまっていたようだ。


「だから急に入ってこないでってば」


 いつの間にか横にいる父親に憤慨する。


「わかった。じゃあノックする」


 そう言ってわざわざノックしに行く父親。


「今さら遅いよ」


 青年がぷーっと頬を膨らませた。


「別に良いじゃないか。勉強してただけだろ」


 父親は一向に悪びれなかった。


「そうだけど、だから親しき仲にも礼儀ありって――」

「わかった、わかった。次から気を付けるよ」


 青年が注意するがそれは遮られてしまう。


「本当だね。約束だよ。この前はパパとの約束守ったんだから」

「そうそう、その約束だ、で、どうだったんだ」


 父親が身を乗り出して聞く。


「いたよ」


 一方で青年は勉強机に向かっていた。


「おっ、いたのか」

「美樹さんって看護師さん。精神科でやってるんだって」

「ほぅ、看護師さんか。なかなか良いところに目がいったな」


 父親が嫌らしい言い方をする。


「そういう言い方止めてよ。フィーリングがあったんだ」


 青年は手を止めて抗議した。美樹を馬鹿にされたようで耐えられなかったのだ。


「良いじゃないか、フィーリング。私が母さんと出会ったときもフィーリングだった」


 しかし、そんな抗議も虚しく父親は回想し始めるのだった。


「その話は良いよ。何度も聞いた」


 再び机に向き直る青年。


「それもそうだな。よし、これで美佐雄も勉強から解放されるな」


 父親は青年の背中をポンポンと叩く。


「勉強は止めないよ」


 しかし青年は意に介さないで手を動かす。


「どうしてだ」


 父親はショーウィンドウ越しに見える人形のような表情で聞いた。


「お医者さんにはなりたいから」

「受験なんて良いじゃないか。恋に専念しなさい」


 父親としての本音だ。


「嫌だよ。仕事も無いんじゃ、頼りない男じゃないか」


 遂に青年は手を止めて抗議する。


「仕事は無くてもお金はある。それで良いじゃないか」


 それがこの世の真理だと言わんばかりの台詞だ。


「良くないよ。僕は医者になる」

「本当に医者になりたいのか」


 窺うように父親は聞いた。


「勿論だよ、そのために勉強してるんじゃないか」


 青年は一歩も引かない。今まで幾度となく繰り返されてきた親子喧嘩だ。


「なら、どうして私が紹介すると言っている学校に入らない」


 そう、父親の息のかかった学校なら問題なくは入れるのだ。


「そんなの不平等だ」


 青年の言う不平等とは、自分だけが試験を免除されることを言う。


「目的は医者になることだろ。手段なんてどうだって良いじゃないか。もう七浪もして。青春の大事な時期を勉強に費やし過ぎだ。パパは心配なんだ」


 そう、本当に医者になりたいだけなら父親の言うとおりにすれば良い。


「手段も大切だよ。僕は立派なお医者さんになるって決めたんだ。平等な試験で合格して、自信を持ちたいんだ」


 しかし青年の目的は試験に受かることなのだ。一人の自立した人として生きたいと願っている。


「志は立派だ。パパもそれは認める。だが、若い頃の時間も大切なんだ。そろそろお前にもまともな人生を歩んで欲しい」


 父親の言うことにも一理はある。若い頃の時間を勉強ばかりに費やすのは大人から、いや親から見て耐えられないのだろう。


「大丈夫だよ。今年には受かるから」

「それはもう何年も聞いたよ」

「今年は大丈夫だって」


 いつものやりとりになる。こうなると延々と同じ話になる。


「わかった。勉強は続けても良い。ただし、恋愛に手を抜くことはしちゃいかんぞ。いいな」


 父親も妥協せざるを得ない。


「まあ、美樹さんは良い人だと思うし、それくらいなら良いよ」

「よし、パパとの約束だ。いいな」


 父親は今日のところは大人しく出ていった。

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