7
(あらすじ:実家に帰ってきた栄治。絵瑠は栄治の代わりに、栄治の両親に話をしに行く。しかし、それを盗み聞きしていた栄治はやがて怒りを覚える。)
*
「さて、家の前までには来たわけやけど」、ありきたりな一軒家の前に立って三枝は言った。「このあとどないするんです?」
「どうするもこうするも、お前らが勝手に連れてきたんだからな」
ちょうど土曜日の真昼間ということもあり、家の中には間違いなく両親がいるだろうと思われた。休日に出かけるということは滅多になく、たいていこの時間はワイドショーなどを見ているはずだ。
「でも、栄治さんは確かに実家に行きたいって思ってましたよ」、絵瑠は言う。
「アンビバレントなんだよ。絵瑠ならわかるだろ」
「アンビバレントですか? よくわかりませんね」
「わかれよ」
「栄治さんが会いたくないなら、私が会います。というか、はじめからそのつもりでした。私には責任があるわけですから。栄治さんがしばらく帰れないことと、あと栄治さんの気持ちとかを伝えて来ます」
「じゃあ僕は外で待っているわ」と三枝。
「ちょっと待て、行ってもいいなんて一言も言ってな――」
栄治が言い終わるよりも先に、絵瑠はインターホンを押していた。ピンポーンという音が家の中から漏れてきた。
「はーい」とインターホン越しに声が聞こえた。母親の声だった。
「あ、はい。あの、水守絵瑠というものですが……」
他人の家への訪問に慣れていないのが見て取れた。村で育ってきたのだから仕方ないが。
「どちらさまですか?」、母親が追って言った。
「あ、栄治さんの友達です!」
「栄治の友達? 栄治は今旅に出ていて、ずっと帰ってきてないですよ」
「はい。知っています。あの、私は栄治さんのことについて話しにきたんです」
「栄治のことについて……?」
「栄治さんは今少し困った状況にあるんです。それでしばらくは帰ってこられないんです」
そこまでは言わなくていい! と栄治は言いかけたが言えなかった。隣りでは三枝がにやけ顔で状況を俯瞰している。憎らしかった。
「そうなんですか? とりあえず中に入ってお話を伺ってもいいですか?」、そう言って、母親はインターフォンを切ると、まもなく玄関ドアがガチャリと開いた。
絵瑠は道から家の敷地内に入っていった。栄治は見つからないように生垣の陰から母親をのぞき見た。母親は数か月前に見たのとまったく変わらない姿でそこにいた。
絵瑠が母親にあいさつをして、玄関から中へと入っていった。ドアが閉じられてしまうと、家の外観は屹然として見えた。内側の情報をまったく外に現わさないということの厳しさを示しているようだった。
「栄治はん」と三枝が言った。「あそこの窓、ちょっとだけ開いてない?」
三枝が生垣から頭を出して、小さい庭に面した縁側のところにある、大きなガラス窓を指さした。確かに少しすき間が空いている
「ああ、開いてるな。換気のためだろ」
「そうやなくて。勘が悪いなあ。あそこから盗み聞きできるんちゃう? 栄治はんなら」
「なるほど、確かに」
「僕はここで待ってるから、行って来たら?」
栄治は一瞬迷った。人が自分についての話をしているのを盗み聞くのは、気持ち悪いと思ったからだ。だが、それよりも父親を久々に見てみたいという気持ちが勝った。
「じゃあ、行ってくるか」
そう言い残して、栄治は庭の中に入っていった。特に身を隠す必要もなく、すんなりと縁側まで近寄れた。縁側の上に乗り、全身が見えないように外壁に隠れつつ窓のすき間から中を見た。
そこはちょうどダイニングになっており、客が来たときにとりあえず迎え入れるところになっていた。すでに絵瑠がテーブルに座っており、その向かいに父親がいた。母親はキッチンにでも行っているのだろうか。
絵瑠はまだ話しはじめていなかった。父親はいつも通りの顔をしていたが、初対面の人間には機嫌を悪くしているとも取られかねない表情ではあった。絵瑠は緊張しているのか、口を固く結んでいた。
しばらくして、母親がお茶をお盆に乗せて持ってきた。三つの湯吞み茶わんが三人の前に並べられると、母親が言った。
「あなたの名前は?」
「水守絵瑠です」
「栄治とはどこで知り合ったんです?」
「栄治さんが旅をしているときに、私の住んでいた村を訪れたんです。そこで知り合いました」
「あなたの村はどこにあるの?」
「村は、宮城県の山奥にあります……」
「村の名前は?」
「……それは言えません」
「どうして言えないの?」
「……秘密にしておかないといけないことなので」、絵瑠は苦しくもそう言った。
どうして話せないことばかりなのに絵瑠は両親と話そうとしたのかと栄治が心配していると、
「なぜ話せないことばかりなのにうちに来たんだ?」と父親が言った。
「すみません」、か細い声で絵瑠が言う。「でも栄治さんがしばらく帰れないことだけは伝えないといけないと思って」
「しばらくというのはどれくらいなんだね」
「一年や二年では済まないかもしれません」
「なるほど。しかしあいつが勝手に出て行ったわけだから、こちらとしてもいつ帰ってくるかなんて気にしていないわけだが、君の様子を見るに、今、栄治はただ旅をしているというわけではなさそうだね」
「はい。詳しくは言えませんが、そのことだけでも伝えなくてはと」
「そうか」、父親はお茶を口に運びながら、絵瑠の左腕をちらっと見た。
絵瑠はおそらく左腕の刺青のことなど忘れているのだろう。そして刺青が普通の人間にとってどれだけ怪しく見えるかも、わかっていないようすだった。
「君が何か反社会的な組織に属しているのであれば、わざわざこんなことを伝えに来るはずがない。しかしだからと言って、まともな人間だと単純に判断することもできない」
絵瑠は何も言わず、黙っている。
「突然家にやってきて、訳も言わずに息子はしばらく帰ってこられないとだけ言う人間をまともだとは思わない。そうじゃないかね」
「ええ、それはもっともです」
「たぶんこれは君が良かれと思って独断でやったことだ。組織的な判断に基づいているのなら、こんな雑なやり方、礼儀をわきまえないやり方で伝えに来るはずがないからだ。ということは、栄治は君個人との間に何か問題を抱えているのかもしれない。どうかね?」
「……そうですね。おおむねその通りだと思います」
父親は的を外し気味だが、ある程度は妥当な判断をしていると、栄治は思う。
そこで、話を変えようとしたのか、母親が言った。「栄治は今は元気なんですか?」
「元気だと言えると思います」
「それならよかった」と、母親はわざとらしく明るい声を出した。「それにわざわざ伝えに来てくれるんだから、別に悪いことにはならないでしょう」
父親の方に向き直りながら、自分を言い聞かせるように母親は言った。しかしそれを半ば無視しながら父親はつづけた。
「栄治は、君に何か話したのか?」
「話したというか、色々あって知ってしまったんですけど、家を出て行く前に喧嘩をしてしまったこととか」と絵瑠は言う。父親が反応を示さないのを見て取って、つづけた。「栄治さんは私に巻き込まれたのに、私のことを助けてくれたんです。たぶんそれは、栄治さんのお父さんの言葉があったからだと思うんです。栄治さんはお父さんの言葉に反発しながらも受け止めようとしていました」
「そうなのか。私はもうなんて言ったかも覚えていないよ」
絵瑠は、父親がそのような言葉をこんなにもあっさりと言い放ったことに驚いているようだった。
「栄治さんの方はけっこう悩んでいるみたいでしたけど」
(そこまで話さなくていいだろ絵瑠!)、栄治はそう思ったが、絵瑠の緊張した意識には届かないようだった。
「まあ、あいつは何でも悩みこむからな」
「『凡人に生まれちまったもんは仕方ない。凡人としてできることをするだけだ。それでも幸せになれる』とか、栄治さんはかなり鮮明に覚えていたと思いますよ」
「ああ、そんなことを言ったような気もするが、でも、それは私じゃなくても、誰でも言えることじゃないかな? 当たり前なことだよ」
父親の声が少しずつ暗く淀んで聞こえてくるのが栄治にはわかった。彼は一貫して正しそうなことを滔々と口にだしていくのだ。栄治は傍目から見てはじめて、なぜ自分が家を飛び出すときに父親と喧嘩をしたのか、その本当の理由に気づいた。父親は、普通の人間として普通に正しいと言われていることしか言わないし、言えないのだ。それが栄治に刺さったのは事実だが。
父親はつづけた。「今の時代、誰でも努力すれば成功できる。自分の領分をわきまえればね。成功できないのは、努力を怠ったか、多くを求めすぎた人間だ。君たちはそういうところがわかっていないんだ」
(君たちだと……? 俺だけならいいが、絵瑠は違うだろ)
「どうですかね。栄治さんはわかった上で、そういう人生を拒否していたような気がします」
「そうか。あいつは、人生に不確定性があると思っているんだろう。確かにある程度そうかもしれない。だがな、現代においては、そんなものはほとんど平均化されているんだよ。誰もがある程度の教育を受けることができて、公正な競争に基づいて能力が計られて、評価される。そうなっている」
(違う。父さんは間違っている。今あんたの目の前にいるのは、魔師の村に生まれた奴で、魔師以外の人生なんか選べなかった奴なんだ。あんたの言ってることは、見当外れだ)
「私だってエリートと呼ばれる部類ではないが、こうやってある程度成功できたと思っている」、父親は両手のひらを上に向けて、絵瑠の方へとわずかに動かした。「そういうものがあらかじめ社会によって用意されているのに、それを諦めるなんて愚かだと思うんだよ。もちろんどの人生を歩むかなんて、その人の自由だ。だが、それがどのような人生になろうとも、それは、その人本人の責任だ。あとから社会に対して文句を言うべきじゃない。自分で選んだのだから受け入れるしかないだろう」
(絵瑠、もういい。これ以上話すことはない)、栄治は絵瑠の意識にそうささやきかけたが、届かないようだった。まだ能力を使いこなせないのか。
栄治には、父親の言っていることがあまりにも残酷に思えた。だが、普通の家庭に生まれて普通に育った人間にしてみれば、やはり正論なのかもしれない。栄治は絵瑠に出会って、はじめて普通でない人生を知った。絵瑠は、父親や栄治のような人生を、望んでも送れないのだ。
「君も、若いうちに軌道を修正しておいた方がいい」、父親はまた絵瑠の左腕を見た。「やり直しがきかないなら、はじめから正しい道を選んでおくことだ」
栄治の中に怒りがふつふつと沸き起こった。父親がこのようなことしか言わないと知っていたなら、はじめから実家に帰りたいとは思わなかっただろう。ここに来て、話を盗み聞きするまで、父親の言っていることが素朴に正しいと思っていた。しかし、傍から聞くと、その傲慢さは明らかだった。
「自分のやってきたことがくだらないことだったと気付く前にね」
(黙れ……)
絵瑠がテーブルの上に置いていた左腕を静かにテーブルの下に降ろした。そして「ええ、そうかもしれないですね」と言った。
そのとき、
「黙れ!」と栄治は叫んでいた。大声で。
「誰だ」、父親は、突然窓の外から聞こえてきた声に驚き、イスから立ち上がった。
栄治は縁側の上で、姿を見られないように外壁に隠れていた。
「父さんには、なんにもわからねえよ」
「栄治か?」
父親は縁側まで歩いていって、窓を開いた。庭が広がっているが、そこには誰もいない。
栄治は縁側の下に潜りこんで、姿を隠していた。そして、また言った。
「あんたはまともな人生を送れるだけの土台があったのかもしれない。でも、そんな土台がはじめからない奴はどうするんだ」
「栄治、出て来い」
父親は縁側の下をのぞきこんだ。その寸前に、栄治は縁側から出て、家の側面に入る細い道に隠れた。
「どこにいるんだ」
母親は、父親のうしろで栄治を探すでもなく立ち尽くしていた。
「俺はあんたみたいな、社会の構造の上でふんぞり返っているような奴にはなりたくないね」
そう言うと同時に、走りだして家の裏手に回った。後から、父親が声を追って、細道に入った。
「栄治、もう旅をするのはやめろ」
「俺はな……」、栄治の頭に浮かんできた言葉はただ一つだった。「あんたみたいになるくらいなら、一生あいつらについていってやるよ」
父親がだっと走りだして、家の裏手を見た。しかし誰もいない。また駆け出して、曲がり角につくと、前庭につづく細道に入る。そこにも、栄治は見当たらない。結局家の周りを一周して戻ってきたときには、もう栄治の声はどこからも聞こえない。
母親はずっと栄治が家の表から出て行かないかと見張っていた。誰も出て行かなかったことを父親に伝えると、いよいよ栄治がどこに消えたのか、二人には不可解でならなかった。
絵瑠は両親が栄治を探しているあいだ、ずっとテーブルに座ったまま動かなかった。そしてできるかぎり、両親の行動に干渉しないようにつとめていた。
父親は、縁側からダイニングに上がると、絵瑠に問うた。
「栄治はどこにいるんだ。あいつを出せ」
「さっきから、何をしているんですか」、絵瑠は平然と答える。
「栄治の声が聞こえただろう」
「……栄治さんの声が聞こえたんですか」
「はっきりと言っていただろう」
「私には、何も聞こえませんでした」、絵瑠は言う。「変なことを話したせいで、動揺させてしまったんでしょう。すみません」
絵瑠は席を立ち、軽く頭を下げた。
「待つんだ。我々が二人して幻聴を聞いたと言うのか。そんなわけがない」
「お気持ちお察しします。私も大切な人をなくしたとき、やはり幻聴を聞きましたから」
絵瑠はそう言い残すと、両親の制止も振り切ってダイニングをあとにし、ひとりでに玄関を出ていった。
生垣の陰に行くと、三枝と栄治が二人して待っていた。
「絵瑠はん、お疲れ」と三枝が言う。「えらい強引に切り抜けたなあ」
「ごめん。ややこしいことにしちまった」
栄治の謝罪に、絵瑠は何も言わなかった。
「さ、はやく行きましょう。追ってくるかもしれませんし」
そう言って、すたすたと先に歩いていってしまう。
三枝と栄治にとっては、置いていかれないようについて行くのでやっとの速さだった。
「それにしても、おもしろいなあ。二人とも」と三枝。
「こんなことになるなら、はじめから来ない方がよかったかもな」
「そんなことないやろ。良いもん見れたわ」
なぜこれまで父親と険悪な関係にならなかったのかと、栄治は不思議に思った。それは、おそらく栄治自身が、父親に言われるまでもなく父親と同じ考えを抱いていたからかもしれない。家を出ていったのは、そういう自分の考えを自分で否定しようとしたということか。栄治はそう納得した。しかし、ふと、もしも自分が絵瑠に出会っていなかったらどうなっていたのだろうかという疑問が浮かんできて、彼は足取りを重くした。
しかし、その疑問を打ち払うかのように、突然絵瑠が振り返って言った。
「栄治さん、私はすぐに特級魔師になります。そしたら、栄治さんを元に戻す方法を考えますから」
「ああ。」と栄治は言う。
今考えるべきことは、一つしかないのだ。
「じゃあ、さっさと宮部を倒さないとな」
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