12

(あらすじ:絵瑠と宮部が麒麟と戦っている現場にやってきた栄治。しかしそこで宮部と絵瑠は苦戦している。栄治は戦いに加わるか葛藤する)


   *


 森の中は薄暗くなっていた。その中を疾走するのは、栄治にとっては怖いものだったが、意識せずとも体が勝手に迫りくる木の幹や枝を避けてくれた。爽快感があった。


 ものの数分で湖までたどり着く。視界の先に、木々のすき間から差しこんだ光が見えてきたので、減速した。光のただなかに飛び出ないように、その手前で止まった。ちょうど湖のほとりと森との境界のあたりにいるのだった。栄治は茂みに身をひそめた。


 満月が、まだ青さを残している暮れの空に浮かんでいた。その月と同じくらいの高さのところを、黒い影が横切った。


(あれが麒麟か)


 黒い影が地上近くに降りてきて、やっと姿がはっきりとする。馬のような胴と足は、茶色の毛に覆われていた。しかし、首から上は鱗に覆われ、額には角が一本生えており、顔はまさに絵に描かれたような龍のような造形である。尻尾は月の光を受けて煌めきながら揺れており、麒麟の激しい動きとは逆にゆったりとしている。海の中の海草のようですらあった。


 その全体像を認めた瞬間、美しい、と栄治は思った。動物を見てそんなことを思ったことはないのに。


 麒麟は空中を足場にできるらしく、三次元的に自由自在に動き回っている。それに翻弄されるように、地上を行ったり来たりしている影が二つあった。宮部と絵瑠だった。

 しかし戦っているようには見えなかった。二人が一方的に麒麟に向かって行っているだけで、麒麟の方は「なんかついてくるんだけど!」とでも言うように二人から距離を取っている。


(宮部のキリンジはメンテナンス中だっていうから、宮部も絵瑠さんも本領じゃないのか……)


 宮部が麒麟に何かを放った。それは白い光の球で、麒麟には命中せずに空のかなたに飛んで行って消えた。花畑で栄治に放ったものだろう。


 一旦高く舞い上がった麒麟が切り返して、まっすぐ宮部のもとに降りてきた。宮部をようやく敵だと認識したのだろうか。


 角が宮部を貫いたかに見えた。しかしその寸前で後方に飛び退って、すでに次の光球を放っている。それが、麒麟に命中する。麒麟は弾き飛ばされ、湖の浅瀬を転がって行く。そのとき呻くような怒声をあたりに撒き散らした。


 宮部が絵瑠の方に手を向けて、そこから近づくな、というサインを送っていた。絵瑠がさっと宮部から離れていく。そのとき、彼女がちらりと栄治のいる茂みの方を見た。栄治の存在に気づいたらしい。


 麒麟が前足を踏ん張って、次の動作へ備えていた。瞬発力で翻弄しようとしていることはわかるが、次どこに跳ねるのかはわからない。


 宮部が光球を放つと同時に、麒麟は動き出してそれを難なく避ける。そのまま弧を描くように傲然と湖面を走り、時計回りに宮部を狙う。が、続けざまに放たれた光球が麒麟を追いたてる。光球はことごとく外れるが、構わずに宮部は打ち込みつづけた。


 麒麟は陸地に上がると正面から宮部に向かって行った。麒麟の蹴った地面が深くえぐれて、蹄の跡がついた。


 しかし、宮部は仁王立ちで麒麟を待ち構えている。両手をだらんと垂らしていた。


(死ぬ!)、栄治は顔をしかめた。


 麒麟にぶつかる直前、宮部が重心を前に動かして踏ん張る体勢になった。その瞬間、どんっと鈍い音がし、麒麟が透明な壁に体をめり込ませ、弾き返された。体が地面に転がっていき、倒れたまま動かなくなった。


 緊張感のある空気が漂っていたが、宮部はあっさりと麒麟から目を逸らして、絵瑠を見た。


「絵瑠、代われ。お前がやってみろ。練習だ」


「はい」と言って、絵瑠が宮部の立っていたところに代わって立った。手の中で、玩ぶように杖を数回まわし、麒麟に向けた。


 麒麟は、ようやく前足二本を立たせ、呼吸を整えたところだった。血液とも唾液とも分からない謎の黄色い体液がだらんと口から垂れていた。スライムのような粘りだった。それを振り払うように頭を左右に動かし、低く重く唸った。それは先ほどまで漂わせていた、超然とした、絶対的強者の雰囲気に矛盾するように聞こえた。


 栄治の体はピリピリとした緊張に包まれ、全身の毛が逆立っていた。


 絵瑠が杖の先端からひものようにしなる青白い光の束を出した。それは空中でしなりながら麒麟の方に向かって行く。しかし麒麟は、軽く後方に飛んで難なく避けてしまう。光のひもは何でもない石を打った。


 絵瑠が体を回すと、光の鞭は彼女を中心にして回り、波打ちながら麒麟に向かって行く。麒麟は体をひるがえして、尻尾でそれを弾いた。鞭は杖から切り離され、ものすごい勢いで森の中に飛んでいき、消えてしまった。


「立て直させるな」、背後で宮部が言った。


 麒麟は絵瑠が攻撃してくるのを待ち構えていた。攻撃をいなしつづけるだけで充分休息を取れるだろうと判断したのだろうか。余裕のある足取りで左右に動いている。


 絵瑠が攻撃してこないのを見て取ると、麒麟はゆったりと構え直して、体をぶるぶると震わせ、咆哮を上げた。すると麒麟の鱗が逆立ち、夕焼けのオレンジをきらきらと反射させた。


 麒麟の肉体が膨張していくのがわかった。いや、骨格ごと急成長を始めたのかもしれない。馬より一回りも大きかった体躯がさらに大きくなり、絵瑠をその二倍の高さから見おろすまでに至った。太く長く変化した首の上に、勇ましさを増した頭。そこに生えていた一本の角の両隣りから、短い角が一本ずつ生えて来ていた。


 絵瑠が遅れながらも放った攻撃は、数枚の薄い光の刃だった。鳥のような速さで飛んで行ったそれは麒麟の首を撫ぜたが、しかし鱗には傷一つつかない。


「下がれ!」、宮部が叫んで、走り寄ってくる。


 麒麟がぶるぶると体を震わせ、それとともに後ろ足で地面を蹴り、絵瑠に向かった。


 絵瑠は反応する。しかしそれは遅い。杖を一回振り終えるよりも早く、麒麟が到達する。と、同時に、気づくと宮部が絵瑠の手を持っていて、彼女の体を近くに引き寄せる。


 麒麟の頭が真上に弾かれた。まるで見えない何かで突き上げられたかのように。見えないアッパーを食らったかのように。


 麒麟は勢いそのまま空中で一回転し、ふたたび後ろ足で空間を蹴り、飛び退る。


 宮部が絵瑠をつき飛ばした。絵瑠は転びながらも、麒麟の方を見ていた。


 麒麟は休まずに向かってきた。が、すぐに目の前の見えない壁にぶち当たった。壁に当たって向きを変えたその先にも、別の透明な壁があり、ぶち当たる。麒麟はガラスの存在に気づけない虫のように四方八方に飛び回っては、自分の体を自分の力で痛めつけていく。


 怒りのような声を麒麟は発した。


「今のうちに逃げろ」と宮部は絵瑠の方を振り返り、叫んだ。


 麒麟が一つの壁を破り、自由になった。そして宮部に向かって宙を駆けてくるが、途中から、不自然な動きをはじめた。何もないところで直角に曲がることを繰り返している。まるで細い路地を駆け抜けているかのような動きだ。


 宮部が両手を前後左右に振り回している。何かを操っている。それは、見えない壁だろう。


(宮部の壁が麒麟にも見えるようになったのか?)


 麒麟はひどい回り道をしている、あるいはさせられているのだった。湖の上をくねくねと上下左右に移動している。傍から見るとまったくの無意味である。しかしそれは、実際は高度な駆け引きと反射速度と予期によって繰りひろげられている。迷路を作るのがはやいか、抜け出すのがはやいか――その勝負だった。


 麒麟はさらに加速した。それと同時に宮部の手の動きが激しくなる。


「おい、はやく逃げろと言っているだろ」と宮部。「村に降りて、誰か呼んで来い!」


(宮部には倒す手段がないのかもしれない)と栄治は思う。(キリンジがいないのだ。だとすればこれは時間稼ぎに過ぎないのか)


「はい」と絵瑠は言ったが、躊躇している。


 栄治の全身の毛がぞわっと逆立った。絵瑠の意識が高まったのが、栄治には分かった。


(さっきと同じ感覚だ)


 絵瑠と栄治とのあいだに、張りつめた糸があり、それが強くお互いを引き付けるような、そんな感じがした。その糸は、絵瑠の思考に共鳴して揺れ、糸電話のように栄治の頭の中に絵瑠の思考を流し込んでくる。


 頭の中に、幼い子どもが見えた。全身が濡れている。子どもがこちらに近付いてきて、右手に持っていたものをひったくり、〈俺たち〉をつき飛ばす。膝が痛い。擦り剝いた痛みがツンと、本物のように感じられる。「逃げろ」と聞こえてくる。幼い子どもの声。


(優紀だ。この男の子が優紀か)


 見えているものは、おそらく絵瑠が想起している11年前の記憶だろう。


〈俺たち〉は森の中をかけてゆく。膝のあたりに痛みを感じた。ものすごく急いでいるが、その実、それほど速くはない。視界を通り過ぎていく木々が、輪郭もぼやけてきてやがて緑一色になる。


 そして次の瞬間には、血の赤が見えた。湖の波打ち際に手足が打ち寄せられて動いている。頭と胴だけになり、すでに動くことのない男の子。それを咥える、いま目の前にいるのとさして変わりない麒麟。そしてその男の子は、優紀でもあり、宮部でもあった。


 一瞬のうちに駆けめぐった映像は、絵瑠の記憶であり、予期でもあった。


(絵瑠は、昔失敗したのと同じ二者択一の前に立たされている。俺がさっき選択を迫られたのと同じように――逃げるか、戦うかを)

 

   ――逃げない


 絵瑠の声が聞こえた。絵瑠が自分の杖を強く握るのがわかった。栄治の意識がどんどん絵瑠の意識に飲み込まれていくのがわかった。しかし、次の瞬間、


   ――それで、どうする? 夢が叶わなかったから、逃げ出すのか? 


 父親の声が聞こえた。これは栄治自身の記憶だ。


 栄治の意識はすでに湖の畔にはいなかった。そこは、父親と最後に話した実家のテーブルだった。


 野球選手になりたかった。高校のとき、甲子園に出場して、なれるかもしれないと思った。しかし球団から声がかかることはなく、大学に進学して、野球をつづけた。大学でもいい結果は残せなかった。社会に出るのが近づくにつれ、野球と自分自身が切り離されてゆき、野球が無意味な努力であったかのように思えてきた。それでもどうにか、自分を野球につなぎ留めたかった。最後の望みとして、プロテストを受けた。たいした記録を残せなくても、どうしてもプロになって野球をつづけたかった。しかし、受からなかった。


 野球選手になれなきゃほかの何者にもなれなくていい、と栄治は思っていたのに。


 家を出て行くと話したとき、父親は栄治に言った。


   ――家を出て何になる? 普通に働いて、普通の生活をすればいい。


 栄治にはそれが受け入れられなかった。普通に生きるということは敗北であり、有象無象の中に消えるということであり、それはつまり無になるということだった。


   ――普通に働いたって何にもならないじゃないか。


 栄治は言う。目の前に幻のごとく立ち現れた父親に向かって。


   ――世の中のほとんどの人間が普通に生きて、普通に死んでいくんだ。それを受け入れろ。


   ――いやだ。無理だ。


   ――凡人に生まれちまったもんは仕方ない。凡人としてできることをするだけだ。それでも幸せになれる。


   ――そんな幸せは要らない。


   ――凡人には、凡人にしか味わえない人生がある。


   ――だからそれが要らないって言ってるんだ。


   ――じゃあまず、普通であることを受け入れろ。そこからだ。


   ――いやだ。そんなのは理不尽だ。


   ――すべての人間は自分がどう生まれてくるか選べないんだ。生まれるってことは人生の中でもっとも不条理な出来事だ。それはどうしようもないだろう?


 声と映像は一瞬のうちに現れては消えていく。実際にそんな会話をしたのかどうかも覚えていない。栄治の意識が記憶の穴を補完して、父親の像にそう言わせているのかもしれない。父親が確かに放った言葉も含まれてはいるが、ほとんどは栄治自身が自らに問い続けた疑問である。それがこだまするごとに、自分の声なのか、他人の声なのか区別がつかなくなる。


  ――すべての人間は自分がどう生まれてくるか選べないんだ。生まれるってことは人生の中でもっとも不条理な出来事だ。それはどうしようもない。どうしようもないだろう? それなら、その状況の中で、自分にできる最善のことを行うしかない。


 しかしそのとき、別の声が聞こえた。


   ――うるさい。


 目の前に座っている父親の像が、うす汚れてゆき、黒く染まる。そして。ぐらりと大きく揺れたかと思うと、絵瑠に変わった。


   ――うるさい。邪魔しないで。


   ――お前の中にも、俺が流れ込んでいるのか?


 栄治はきく。しかしそれに答える声はない。


   ――お前は何になるかばかり考えていて、何をするかについてはまったく考えていない。


 絵瑠の顔でありながら、父親の声でそう聞こえてくる。奇妙だった。しかも、ちょうどその言葉は栄治の内面を言い当てていた。やりたいことではなく、なりたいものばかり考えていた。


   ――お前は何になるかばかり考えていて、何をするかについてはまったく考えていない。


 今度は絵瑠の声で再生される。はじめから絵瑠の言葉だったのか。


   ――だから、邪魔しないで、私の邪魔を。


 絵瑠は真正面から栄治のことを見て、言った。その姿はもう、ただの少女ではなかった。目の中には、父親が自分の人生を語っているときに見た、あの決然とした光があった。相手と自分とのあいだに無限の距離を感じさせる光である。


 栄治の中にあったある種のナルシシズムが剥き出しにされ、栄治の眼前に差し出された。針の先を突き立てられたような痛みが走りだした。


 痛い。いや、肉体の痛みではない。イタい。否定し目を逸らしたいが、それ自体が恥ずかしい。恥ずかしいのだ。絵瑠に内面を見られてしまったこともそうだが、何よりも、自分で自分の傲慢な部分に気づいていなかったことが。それを一七歳の少女に言い当てられたことが。


   ――邪魔するなら、帰って。逃げていいって言ったのに。本気で逃げていいってあのときは思ってたのに……。帰って。


 ぷつんと、電源を切ったテレビみたいに映像が途切れてしまった。


 そして現実の色と形が目の中に飛びこんでくる。栄治はまだ湖の畔の草葉の陰にいた。


 絵瑠と栄治のあいだに張っていた糸が絵瑠の側から切り放されていた。突き飛ばされたような疎外感が、栄治の全身に感じられた。


 そのとき、栄治の中に湧きあがるような怒りが起こった。それは絵瑠に対する怒りであり、それまで内攻していた自省の力がひっくり返って外側に向いた、そんな怒りだった。一方的に会話を断ち切った絵瑠への反骨心を燃え上らせている。


 何かしたい。何かしてやりたい。絵瑠を裏切ってやりたい。覆してやりたい。燃え上る反骨心は、そういう、ある種の悪意を生んだ。


 絵瑠がこちらを見ていた。


 栄治は茂みの中から飛び出し、月の光のもとに出た。


 栄治が意識を集中させると、一本の糸が栄治から絵瑠の方へ、つつつ、と伸びていく。その糸が絵瑠を捉え、ふたたび意識が共有される。


 いや、それだけではない。感覚が共有されていた。


   ――やるなら来て。


 絵瑠の中に、栄治に対する怒りを感じた。栄治の気ままな行動に対する怒り。しかしそれと共に、安堵があった。逃げなくて済む、という。


 栄治は、絵瑠の魔力と命令が同時に体の中に流れ込んでくるのを感じた。全身が燃え上がるように熱い。絵瑠の方へと走り寄りながら、体がぐんぐんと成長してゆき、すぐに花畑で暴れたときと同じ姿になった。


 宮部はすでに一分以上も麒麟と格闘していた。まだ迷路を作る速さの方がまさっている。


 突然現れた栄治に気づくと、彼は驚きと可笑しみをこめた表情を浮かべた。


「やるならちゃんとやれよ。正直その方が助かる」


「どうすりゃいいんだよ」、絵瑠の傍らへ駆け寄りながら栄治は言う。


 そのとき、麒麟が立ちどまった。迷路を抜けることを諦めたのか。しかし次の瞬間、麒麟は目の前に体当たりをした。


 栄治が目を凝らすと、ほのかに白い壁が、湖の上に複雑に積み上げられているのが見えてきた。


 ふたたび麒麟が体当たりをした。壁が震える。三度目に、今度は深くためを入れてぶつかると、壁がガラスのように割れ、麒麟が自由になった。


 宮部はかなり消耗しているらしい。麒麟がまっすぐ絵瑠の方へと向かってくるのが、すなわち宮部の手数が尽きたことを示している。


 絵瑠が数発の光球を放つと、麒麟は左右に飛んで避ける。


 その瞬間、思いっきり、栄治が飛びかかった。実際近付いてみると、麒麟は栄治の二倍以上の大きさがあり、無謀な手だったとすぐに気づいた。しかし麒麟は栄治を避けることもつき飛ばすこともなく、首筋を噛まれるに任せた。


 そのとき、栄治と麒麟の両脇を光球が過ぎていくのが見えた。光球を避けるためにわざと噛まれたのか、と気づくと同時に、麒麟が栄治ごと絵瑠に突っ込んでいった。絵瑠が寸前で避けると、麒麟は地面にめり込んだ。その拍子に栄治が麒麟の首から離れた。すると、麒麟は今度、栄治の方へと向かってきた。


(宮部も絵瑠もターゲットから外れている……。とすれば、今、俺が一番倒す可能性があるってことか?)


 栄治は小刻みに曲がりながら麒麟から逃げていった。小回りは栄治の方がきくらしい。


 視界の端に、地面に片膝をついている宮部が映った。痛烈な疲労が表情に現れていた。


(時間を稼ぐか)


 畔を隅から隅まで駆け回った。波打ちぎわを走っているとき、足が水面を踏みしめていることに気づいた。水の上も歩けるのか、そういえば麒麟もそうだったかもしれない、と思いながら、気づいたら湖の上をぐんぐんと走っている。


 開放感があった。青黒い水面に自分の顔が映っていた。それはもう怪物としか言いようがないが、表情は楽しそうであった。


(ああ、俺は今楽しんでいるのか)


 しばらく湖の上で追いかけっこをつづけているうちに、少しずつ体がなじんできた。感情や気持ちに応じて、形態が大きくなったり小さくなったりするらしい。麒麟がさっき巨大化したのと同じことができるかもしれない。


 そのとき、絵瑠と栄治とを結ぶ糸が太くなっていることに気づいた。絵瑠の声は聞こえなくなっていたが、魔力はまだ流れ込んできている。

いや、意識もかすかに感じた。絵瑠は、次の行動で確実に麒麟を仕留めるために、その方法を考えているらしい。


 麒麟との距離がじわじわと縮まってきていた。時間は稼げてもあと一分未満、そう思ったとき、やっと考えがまとまったのか、絵瑠の思考が栄治に流れ込んできて、作戦を伝えた。三分ほど追いかけっこをして、ようやく宮部が回復したらしい。


 そのとき、麒麟が栄治を追う足を止めて、畔の方を凝然にらんだ。


 宮部に注意を動かされたのだろう。麒麟は大きく首を回し、目をぎょろっとさせながら一点を見つめている。その先には、宮部がいた。


 栄治は糸を追って絵瑠を探し、見つけた。絵瑠はこくっと肯いた。


 麒麟が宮部の方へと加速した。水面が、麒麟の起こす風によって二つに裂けていく。


 そのとき、湖の上に白いカーテンがかかったかのように、光がふわりと広がった。それは壁だった。その壁に、麒麟がどんとぶつかった。鐘を打ったような音があたりに響き渡った。麒麟はしきりに壁を打ち破ろうとして、勢いをつけてぶつかりに行くが、破れる気配はない。


 麒麟が迂回しようと壁沿いを走っていくと、その先にも壁があらわれた。上へ行っても壁、下に行っても壁。やがて麒麟は半透明の壁でできた巨大な立方体の中に閉じ込められてしまっていた。


 畔にいる宮部は、大粒の汗を流しながら、手の平で何か大きな塊を包み込むような動作をして、壁を操っている。


 立方体は少しずつ小さくなっていた。宮部の現在の全力が、麒麟の突破力とちょうど拮抗している、いやわずかばかり勝っている。


 絵瑠から注ぎ込まれる魔力の量が増してくるのを、栄治は感じる。二人を結ぶ糸が強く光っているのは、そういうことなのだろう。どんどん体が軽くなってゆく感覚に戸惑いを覚えながらも、壁の向こうに捕らえられた麒麟に対する集中を高めていた。


 黄金色だった栄治の毛が、青、赤、黄、白、黒の色に次々と変わってゆき、とどまるところを知らない。


 縮小していた立方体はいよいよ麒麟と同じくらいの大きさになり、麒麟はすでに身動きが取れなくなっていた。


「やれ!」、宮部が叫ぶ


 栄治は強く水面を蹴った。ものすごい勢いで空中に飛び出して、顔面に強風を浴びる。もう一度空気を強く蹴った。


(もう、これ以上速くはならねえ)


 栄治が麒麟に突っ込むのとほとんど同時に、あるいは少し早めに、タイミングよくカーテンが消えた。次の瞬間には、麒麟の胸にすっぽりと穴が開いていた。

麒麟が自身の傷を癒しながら、体を小さくしていくのがわかった。再び立方体が現われ、麒麟を囲い、小さく押しつぶしている。


 勢いそのままに、空に舞い上がった栄治は切り返し、もう一度麒麟に向かう。絵瑠から送られてくる魔力が勢いを増した。栄治の体はみるみる大きくなってゆき、麒麟の体躯を悠に越えた。月をすっぽり覆い隠してしまうほどに。


 栄治は、小さくなった麒麟を立方体ごと嚙み砕き、ひと飲みにした。


 体の中で、奴が死んでいくのがわかった。



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