(あらすじ:栄治は村長・水守源次の家に連れて行かれ、今夜はこの家に泊まっていくようにと提案され、それを受ける。栄治が村の周辺を見てみたいというと、その家の娘・水守絵瑠に村はずれの湖まで案内される。)


   *


「わざわざこんなところに来る人なんて滅多にいないから、みんな嬉しいのよ。許してね」と割烹着を着た女性は栄治にお茶を出しながら言った。


 連れて行かれた村長の家は、都市部にそっくりそのまま用意するのであれば大豪邸と言われていただろうというくらい大きな和風建築だった。快く迎え入れてもらったとき、玄関横の棚に日本刀が整然と置かれているのに気づき、少しぞっとした。


「主人はすぐ来るので、ちょっと待っていてください」


 そう言って、女性――村長の妻だろう――は栄治の真正面に座って、笑いながらじっとこちらを眺めていた。


 通された客間で、栄治はとりあえず正座をしていた。が、何かと居心地が悪くむずむずと体を動かさずにはいられなかった。


「どうかしたの?」


「い、いえ、こんな扱いを受けるのは初めてで」


「別に取って食おうというわけじゃないのよ」奥さんは表情を変えずに言う。「お茶、飲まないの?」


「あっはい。飲みます。熱っ」


「あ、ごめんなさい。主人はいつもこのぐらい熱くないとダメだって言うのよ」


「はあ」


 お茶を飲みながら待っていると、五分も経たずに村長がやってきた。奥さんが立ち上がって場所を譲ると、その場所に村長がどっかりと座った。村長は作業用のブルゾンを着ており、威厳のようなものは感じられなかった。ただ不愛想ではあった。


「どうしてこの村に来たんだ?」、あいさつもなしに、単刀直入に村長は言った。重々しく、腹の底に響くような声だった。


「あの、都市伝説で見たんです。このあたりで神隠しがよく起こるってネット上で騒がれているんですよ」


「それは嘘だ。このあたりで神隠しなんか起こらないよ」


「いや、都市伝説なので、嘘かどうかはどうでもいいんですよ。俺は都市伝説とか心霊スポットを訪れるために全国を回ってるんです」


「ずっと旅をしてるのか?」


「はい。今年の3月からずっと」


「ここを訪れることは誰かに話したか?」


「いいえ。誰にも話してないです」


「そうか」と言って村長はすこし沈黙した。


 しばらくして、ふたたび口を開いた。


「そう言えば、名乗ってなかったね。私は水守源次。この村の長だよ。君の名前は?」


「尾道栄治です」


「歳は?」


「二十三です」


「ふうん。なんだ? 自分探しの旅ってやつか?」


「いや、別にそういうわけでは……」言葉を濁しながらも、栄治は図星を突かれた気でいた。


「まあ若いうちに色んなことをやっておいた方がいいからな。まあ、なんだ、君は今日ここに泊まっていきなさい」


 村長は突然声音を明るくしてそう言った。友好的であることを伝えるように、朗らかな表情を浮かべている。栄治が不審に思い、返答を遅らせていると、奥さんが割って入ってきた。


「そうだ! すごく汗をかいてるからお風呂にでも入ったら?」


「そうだな。早く沸かして来なさい」


「えっ、いや大丈夫ですよ」


「いや、うちはちゃんと電気で沸かせるから速いよ」


(そういう問題じゃない)と思いながらも、奥さんの醸し出している良心的な雰囲気に抗えず、「じゃあ、泊まっていきます」と言ってしまった。


「そりゃいい」、ガハハと下品な笑いを漏らしながら村長は言った。打って変わって粗雑な感じが垣間見えた。


 とはいえ、今夜の宿を見つけられたことに安心して、栄治は肩の力を抜いた。

奥さんに案内されて、今夜泊まる部屋に行くと、そこは予想していた以上に整っていて、旅館の一室だと言われても疑わないくらいだった。


「好きに使ってね」と奥さんは言って、さらりと襖を閉めた。


 四人くらいは泊まれそうな部屋に一人ポツンと取り残され、とりあえず机の上に乗っていた饅頭を食べた。この饅頭がかなりうまかった。まず餡の舌触りと甘みの加減が絶妙ですっきりとしている。それに加えて、餡をつつんでいる皮が、咀嚼したときに口の中でほぐれて餡と混ざりあい調和するようにできていた。二、三個頬張っても飽きが来ず、続けて食べようとしたとき、襖の向こうから声がかかった。


「すみません」と、か細い声が聞こえた。奥さんのものではない。


「あ、ふぁい」、声を返すと、音もなく襖が開かれた。そこには、大人と子どもの境界線上にいるような女が座っていた。


「娘の水守絵瑠です。あいさつに伺いました。今夜はゆっくりしていってください」


「……はい」


「それでは」と女は言い、襖を閉じた。


 ほとんど数秒と言っていいくらいの出来事だったので、栄治は肩透かしを食らった気持ちで、閉じた襖を見つめいていた。頬張っていた饅頭を飲み込む余裕すらなかった。


 しばらくすると、奥さんがやってきて、風呂が沸いたことを伝えた。栄治は荷物を丸ごと持って風呂場に向かおうとしたが、奥さんに止められた。


「荷物は置いて行ったら?」と言われたので着替えだけを持って行った。


 風呂場は、どこにでもあるようなユニットバスだった。湯船に浸かると、頭の中にわだかまっていた思考が洗い流されて、清浄な状態になったような気持ちになる。この家への、あるいはこの村への不信感がすこしずつ和らいでいった。


 風呂を上がったときには、旅の疲れは完全に消え去っていた。服を着替えて脱衣所を出るとちょうど奥さんが目の前の部屋から出てきたところにかち合った。


「湯加減はどうだった?」


 すでに敬語がはずれていた。


「あ、気持ちよかったです」


「そう、じゃあ夕飯の支度が出来たら呼ぶね」と奥さんが言って去ろうとするのを、


「あの」と後ろから呼び止めた。「手持ち無沙汰なので、村の近くを見て回りたいんですけど、おすすめのところとかありませんか」


「なんで、見て回りたいの?」、貼り付けたような笑みで、奥さんはきく。


「せっかく来たのでどうせなら色々と見て回りたいなって」、奥さんから異様な圧を感じて栄治は口ごもった。


「じゃあ、湖に行ってみたら? ちょっと遠いけど、歩いていけるわよ。……そうだ。絵瑠ちゃんに案内させるわよ。ちょっと部屋で待ってなさい」


 そう言って奥さんは家の奥の方に消えていった。


 部屋で体を冷ましながら待っていると、突然襖が開いて、そこに絵瑠がいた。

絵瑠は、


「湖まで案内します」とだけ言った。無口な性格なのか、よそ者として警戒されているのかわからないが、歓迎されているとは到底思えなかった。


 二人で家を出て、村を北に進んでいった。日は低く傾いていたが、しばらくは沈みそうにないところにあった。


 数歩前を歩く絵瑠は、この猛暑の中でも両腕にアームカヴァーを付けていた。日焼けを極度に気にしているのか、さらにその上から黒いポンチョを羽織っていたので、肩と胸と腕が完全に隠れていた。そして左手には花束を持っていた。花の種類はわからないが、白くて大きい花弁が六枚くらいついている。花束は絵瑠の歩みに合わせて上下に揺れていた。


 栄治はふたたび汗をかき始めていた。 絵瑠は不思議と汗をかいていないように見えた。


 村の北端にさしかかり、山の入口が見えてきた。そこに入って行くと、暑さも和らいだ。道は上り坂になっている。


「この村、すこし変わってますね。古臭い感じはするけど、その分別の優しさがあるような感じで」、栄治は絵瑠に話しかけた。黙って歩くのが気まずかったからだ。


「半年くらい旅してますけど、こんな村はなかったですよ」


「以前来られたスポーツ選手の方も同じことを言っていました」と絵瑠は言った。


「スポーツ選手? どんなスポーツの方ですか?」


「さあ、そこまでは知らないですけど」


「野球とかサッカーとか。スポーツ選手と言っても色々ありますよ。バスケだったりラグビーだったり。どういうスポーツかは言ってましたか」


「……いえ、知りません」


「名前は何という方ですか」


「それも知りません」


「そうかー。でもなんでその人はこんなところに来たんですかね?」


「そんなにスポーツ選手の方が気になるんですか?」


「あっ、いえ、そういうわけじゃ……。いや、そういうわけでもあるか……」


 絵瑠は何も言わず黙っていた。余計なことは口にしたくない性分なのかもしれな

い。


「絵瑠さんは、今いくつなんですか?」


「十七です」


「じゃあ高校には?」


「通ってないです。尾道さんは、今仕事はされてるんですか」


「してないです」


「どうしてこんな旅をされているんですか?」


 栄治は、あはは、と乾いた笑いを漏らした。


「まあ、正直に言うと逃げるためですね。現実から」


「何かやりたいことはないんですか」


 絵瑠の言葉に栄治は一瞬立ち止まってしまった。しかしすぐに歩みを戻した。


「……やりたいことはあったと言えばあったんですよ。でも、自分がやりたいと思ったからと言ってそれができるわけではなくて」


 絵瑠が何も言わず黙っているのを見て、栄治はつづけた。「自分には結局才能がなくて、ただの凡人だって気づかされて、心が折れたというわけではないですけど、自分の夢が叶わない世界で生きていくのか、と考えると嫌になったんです。だから――」


 そのとき、


 ――大抵の人間は凡人として着実に生きているんだ。それも立派な生き方のひとつだ。


 栄治の脳裏に言葉がよぎった。栄治が家を出て行くと伝えたときに、父が言った言葉だった。父の表情までも鮮明に記憶している。父はまっすぐ栄治を見て、瞳にぎらりと輝くものをたたえていた。そこには、自分の今まで歩んできた人生がいかに凡庸なものであったとしても決してそれを恥じたりはしないという決意があるように思えた。

 栄治の父親は、家電製品を作っている、あまり大きいとは言えない会社に30年務めていた。二十代後半で母と結婚し、三十歳あたりで栄治が生まれた。そこから妻と子を養いながら、ローンを組んで一軒家を建てた。その人生はよくあるものかもしれないが、しかし、何か言葉にならない凄まじいものを栄治は感じていた。自分は絶対にそういう風には生きられないと思わざるを得なかった。


 栄治は父の言った言葉に確かな重みを感じて受け止めはしたが、それでも、自分が凡庸な人間として生きて行くことそのものが受け入れられなかった。だから、家を出た。


 長い坂道に息が切れてきた。絵瑠は何食わぬ顔ですたすたと登って行く。


「絵瑠さんは、夢とかないんですか?」と栄治は聞いた。


 絵瑠は立ち止まり、振り返って、数メートル下にいる栄治を見下ろした。「夢というか、やりたいことならあります。目標……ですかね」


「へえ、何ですか?」


「それは言えないです」


 絵瑠はぷいっと振り返り、また足早に坂道を登って行ってしまった。


(まあ、十七歳のやりたいことなんて高が知れているか。少女漫画の女の子みたいに目が大きくなりたい! とか……。さすがにそれはないか)


 栄治は何とか絵瑠についていった。


 やがて上り坂の頂上に辿り着いて、道が下りに変わった。頂上から見おろす先に、青い湖が見えた。深い緑に覆われた山の連なりの中に、鏡のような水面が広がっており、空の青さを反射していた。青も緑も、色という色がみずみずしく見えた。


 絵瑠がその景色に言葉一つ漏らさず坂道を下って行くので、栄治には景色に見とれて呆然とする暇もなかった。下り坂は長くはなかった。二人が湖の畔に歩み入ったとき、西の空の端がわずかに黄色く色づき始めていた。



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