ヒーローになりたい

@HKBKBA

第1話

 志熊隼人はヒーローである。

 ヒーローという大層な名称を宛がうには少しばかり功績が足りずとも、彼は立派なこの街のヒーローだと言える。


 日本列島の端の端、更に山を越えて川を跨いだ先にある小さな町。大自然と共に生きる町民の中に隼人は居た。

 与えられてから随分経つ黒いランドセルを矮小な背に背負い、今日も田んぼ道を駆け巡っていた。彼のランドセルの中には雨で崩れた教科書と鉛筆が二本とまん丸の小さな消しゴムの入った筆箱、そして週末になると持って帰る上履きが捩じ込まれていた。

 はち切れそうな程に膨らんだランドセルの中からは時折物が溢れ出る。その度に拾って入れ直したとて数メートルも走れば数は二倍となって同じ事を繰り返すが、溢れる物は決して勉強道具だけではない。


「ありがとうございます!」


 一言一言を噛み締めるようなゆったりとした感謝の言葉。その言葉の矛先は腰の曲がった老婆であり、皺だらけの朗らかな笑顔が隼人に向けられている。

 老婆の差し出した二つの飴玉を握り締め、清々しく人懐こい笑顔を隼人は振り撒いていた。


 隼人君はとってもいい子。働き者で誰にでも好かれる。これはこの小さな町での共通認識となっていた。

 数分前、手押し車が溝に足を取られ困っていた老婆を救った男だ。正当な評価と言えるだろう。その評価を裏付けるように、隼人には親切心だけでなく行動力もあった。

 この町の至る所に目がついているのかと疑いたくなる程に、隼人は困っている人が居れば何処にでも現れる。つい数分前まで学校に居た筈なのに、気付けば病院で泣き止まぬ赤子をあやしている。


 そんな男の本日のヒーロー活動は、川から上がれない子猫の救出だ。下校路にていつも通りランドセルを大きく揺らしていると、何処からか子猫の鳴き声が聞こえてきた。その声を辿れば、子供は危ないからと遠ざけられる大きな川の底に壁を引っ掻く子猫の姿があるではないか。

 大きく真っ赤な文字で書かれた危険という文字は子供達に恐怖心を与える物で、それは隼人も例外ではなかった。足がすくみ、逃げ出しそうになりながらも今にも波に飲まれてしまいそうな子猫の悲痛な叫びを無視する理由にはならなかった。


 隼人は意を決して川へ飛び込んだ。ここ最近晴れ続きで水位は低いが、それでも幼い隼人の足はいとも容易くのまれてしまう。着々と積み上がる恐怖を跳ね除け、隼人は子猫を抱き上げる。

 大人が到着した時には既に子猫共々川から這い上がり、ニッと笑ってピースサイン。お決まりとなったこのルーティンも、危険を冒す子供には鉄拳制裁だと拳骨が追加される。


「俺が来れたから良いものの、お前は少し待つ事を覚えた方がいい。ただ、その正義心は目を見張る物がある。それは大人達も認めているさ。これからも俺達の平和を守ってくれよ」


 短く切り揃えられた黒髪をくしゃりと撫で、二枚のクッキーを手渡した。無茶し過ぎるなよと忠告を受け、笑って子猫を預ければ隼人は安心したように大きく息を吐いてぐっと背を伸ばす。


「はーぁ、今日の活動はここまでだな。帰るか!」


 爽やかな笑顔で言う隼人の頬に、一粒の雫が跳ねた。空を見上げれば、重厚な雲に包まれている。どうやら、雨雲が近付いて来ていたらしい。頬の次は腕に、その次は肩にと雨粒が集まり、服には斑点模様が出来上がっていた。


 何時だって他人を助ける為に町中を東奔西走していた隼人も、この天気の中で傘も持たずに飛び出せば二の足を踏む。しかしこの男は、こんな所で立ち止まっていい存在ではない。


「一緒に行こう。傘に一緒に入ればこの雨の中でも帰れるよ」

「良いのか? ありがとな優人!」


 隼人の肩が少しだけ濡れる。一歩踏み出せば、彼処にゴミが落ちているから拾いに行こう。と溢れる善意で走り出す。その頭上を傘で覆う為に、僕は彼の背後を走るのだ。

 ポケットの中で乱れる飴とクッキーが、走りに合わせて軽快に音を立てていた。

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