第12話 兄の影は雲のように実体なく

 ドアを開けると真っ先に鈴が鳴って鼓膜を震わせた。


「いらっしゃ……おや、ヴィンセントかい?」


 鈴の音に続くはずの穏やかな声色が立ち止まり、一転して驚きの声が上がった。


「随分と大人びたね。それにその腕……」


「訓練中に色々ありまして」ヴィンセントは苦笑いを浮かべて見せた。「オメリアさんがよければお話しますよ」


「是非話してくれ。さあ二人とも座って」


 カウンター席に座るよう促されて着席する時、以前と同じように店内を見回したがあの時と変わらないまま時を刻んでいた。変化を遂げたのはヴィンセント自身のみで、疎外感すら抱いてしまいそうなくらい周囲と馴染めていなかった。


「その腕……魔導士用の義手かい?」


「はい。知ってるんですか?」


「噂では聞いたことがあってね。随分と前にディアンが話していたんだ。魔力を有する者だけが扱える義手があるってこと。まさかそれを君が着けることになるなんて私は思ってもみなかったよ。訓練で何かあったのかい?」


「それが……」


 ヴィンセントは二人の前で包み隠さず事実を語った。話を続けていくうちにアニータの表情が曇っていくが構わず口を動かした。オメリアは黙って傾聴している。


 もはや後悔の念など皆無だった。状況の急展開と自身の未熟さを責めたこともあったが、今更嘆いても右腕は戻ってこない。ただ、ただ、ケイファーとの関係性を明らかにし、魔導士として為すべきことを為すまでだ。少年が胸に秘めた決意は揺るぎなく、それは声にも話し方にもはっきりと表れている。


「なるほど……」


 聞き終えたオメリアはそう呟いたものの、その後の言葉に詰まっていた。何と声をかけたらいいか苦悩しているのだろう。かける言葉が見つからず、心に深く杭をねじ込まれたような感覚に戸惑いを感じていた。ヴィンセントの話を聞いて今まで見たこともないような表情を浮かべるアニータを見ているとその杭が更に奥底まで食い込みそうである。もしストレインがこの場に居合わせたなら……妹になんて顔をさせるんだ、と少年の胸倉を掴んでいたことだろう。その想像はオメリアに大きな溜め息を吐かせることになった。


「すみません。変な話を聞かせてしまって……」


「いや、いいんだ。私がそう頼んだんだからね、それにしても……随分とたくましくなった。そんなことがあったにも関わらずこうも強く在り続けるなんて常人には不可能だ」


「最初のうちはとてもじゃないけど生きてける自信すらなかったんです」ヴィンセントはしっかりとした口調だった。「でも、僕の指導者が強引に前を向かせてくれたんです。そうしなきゃ僕はずっと身を震わせて俯いてたと思います。僕の力だけじゃない」


 目を細めたアニータは未だ口を開かず不満そうに沈黙していた。それもそのはず、自身を虐げる人物をよりにもよってヴィンセントが持ち上げているのだから当然だ。確かに正式な魔導士との間に扱いの差はあるかもしれないが、アニータ本人も次期魔導士の身だ。今後のことを考慮すればもっと良好な関係を築くべきなのに何故なのか。アニータの思考はそこで行き詰まったが、真実はもっと奥深くに存在していることを彼女は知るよしもない。これらの差別が星の掟で行われているわけではないことを。


「とにもかくにも命が無事で何よりだ」


 アニータの様子に気づいていたオメリアは自分から振った話題だったにも関わらず切り上げようとした。


「そういえばアニータ、私が依頼した件の進捗はどうだい?」


「え? あ、ああ……んんと、今夜また廃村に行こうと思ってて。あたしの見立て通りなら今夜きっと兄さんは廃村に現れるはずだし、どうにかして尻尾を掴んでやるわ」


「なるほど。ストレインは決まった日に廃村に来るのかい?」


「多分ね。あんなところで何をしてるのかわからないけど……もし万が一、兄さんと……」


「わかっているよ」オメリアは覚悟したように頷いた。「こんなご時世だ。何があっても、例えストレインが生きて帰って来なくてもそれは仕方がないことだと思っている」


「オメリア……」


 続けて込み上げてきた言葉をアニータは呑み込む。それを言ったところで返事は安易に想像できたからだ。自分にもっと力があれば他の魔導士に早くから協力を仰げたのに、気付けば兄ストレインが行方をくらませてから年単位で経過してしまった。最初のオメリアがストレインの捜索を依頼した段階で大規模に動けていれば今頃……そう思うと悔やんでも悔やみきれないアニータだった。


「全力は尽くすから」


「ああ。頼んだよ、二人とも」


 繕う彼の笑顔の陰には複雑な感情が渦巻いていた。


 それを最後に話題を切り替え談笑したしばらく後、二人は夜に備えるため空き部屋を借りて仮眠をとることにした。毛布に身を包んでヴィンセントは床の上に寝転がり、アニータは古びたソファの上で眠りにつこうとする。


「ねえ」


 眠りにつく前、アニータが背を向けたままヴィンセントに声をかけた。


「何?」


「アンタさ、両親に会った時に言ったよね。あたしといずれは結婚したいって」


「うん、言ったよ」


「あれって本気?」


「本気に決まってるでしょ。僕、本当にアニータと結婚したいと思ってるんだ。アニータがどう思ってるかわからないけど……」


 そう言われ、アニータは振り向いた。すると、ヴィンセントは立ち上がってアニータに近寄った。顔を近付け、二人は急接近する。


「アニータ、好きだよ」


 軽く触れる唇。本当に一瞬だったが、「おやすみ」と言われてすぐに離れられ、アニータは顔を赤くしてしばらくの間眠れなかったのは言うまでもない。




 すぐに夜は訪れた。


 階下から響いてきた男の騒ぎ声で目覚めたヴィンセントとアニータは上体を起こし、窓から外を覗いて夜の訪れを確認する。視線を下に向ければ酔っ払いの集団が口論から乱闘に発展する場面が繰り広げられていた。


「そろそろね。行くわよ」


 アニータは仮眠に入る前のキスの感触を忘れられないまま、ヴィンセントと共に階段を駆け下りてオメリアに礼を言い、店の裏口から出て例の廃村へ向かった。


 廃村はヨリプトの北門から街道沿いを少し進み、そこから外れて舗装されていない荒れた小道を行けば、間もなくして廃村の入り口に到着した。


「真っ暗だね……何も見えないや」


 遮るものがない月光が降り注ぎ、更には火が灯ったランタンをアニータが掲げていたが、不気味な闇が静寂と共に周囲を深く呑み込んでいてよく見えない。あまりの気味の悪さにヴィンセントの手の平は汗ばんでいた。


「この先の墓地で例の事が行われているの。急ぎましょ」


「う、うん」


 アニータは果敢に敷地内へ踏み込み、緊張が走るヴィンセントがそれに続く。どうやら少年は皮膚の表面が痺れているような感覚に襲われて気分が悪いようだった。あえてそれを口に出すことはしない。「気のせい」で片付けられることが目に見えているからだ。しかしながら少年は不快そうな表情を浮かべ続けていた。


 墓地に向かって進むにつれて少年が感じ取っていた不快感は輪郭をはっきりさせて痛みに変化していた。奇妙な感覚にヴィンセントはついに本音を漏らす。


「なんだか体のあちこちがピリピリしてるというか痛いというか変なんだよね。緊張してるのかな」


「それって」前を行くアニータは足を止めて振り返った。「ソウルドレインの魔力を感じ取ってる証拠じゃない? ルインの訓練を終えるとわかるようになるらしいけど……」


「そうなんだ。じゃあ、近くにソウルドレインがいるってこと?」


「そういうことになるわね」


 喋っている途中でアニータは前を向いてしまったので本来なら続くはずだった「信じたくないけどね」という言葉はヴィンセントに届かなかった。少女が浮かべる不安そうな表情にも誰も気付かない。ヴィンセントが感じた痛みが何を意味しているか、それすらも。


 闇の中を行くこと数分。突然、アニータはランタンの火を消してヴィンセントを茂みの中に引きずり込んだ。黙るように口を手で塞がれる。


 彼女の目線の先を目を凝らして見ると、徐々に目が暗闇に慣れてきて光景がぼやっと浮かび上がった。


 墓地は木の柵で出入り口以外をぐるっと一周囲まれていた。膝くらいの高さがある墓石が列を成していて、その奥に他とは異なる、頭二つ分ほど突き出した長方形の墓石を全身を黒いローブで隠した集団が取り囲んでいる様子が確認できた。


「あの中にアニータのお兄さんが?」


「多分ね。ほら、始まったわよ」


 アニータがそう言ったと同時に墓石の周辺に赤い光が出現したローブの人物たちを照らし出した。光源は地面に描かれた魔法陣であることが見てわかった。更には言葉として聞き取れないほど低い声が塊となって何やら唱えている。深い闇の中で行われるそれらは不気味で仕方がなかった。


「何してるんだろう……」


「それがわからないのよね。しばらくあれを続けると蜘蛛の子を散らすように全員消えていくの。何かの儀式だと思うけど……」


 そこまで言いかけた時、闇夜に浮かび上がった顔に二人は目を丸くした。


 あの老婆だった。オーレン村で必死に追いかけた、呪術師に化けたソウルドレイン・ギナの一人。その女が更に正体を現した人物と何やら言葉を交わしている様子だ。かなり周囲を警戒しているようにも見える。


「兄さん……どうして……」


 消え入りそうな声で言葉をこぼすアニータ。そう、老婆と会話していた人物は彼女が必死で探していた兄のストレインで間違いなかった。左頬に刻まれた深く残った傷跡が何よりの証拠である。様子を監視しているアニータの顔が青ざめたかと思いきや、段々と怒りと悲しみが入り混じった複雑な表情に変化していき、勢い良く立ち上がったと思った次の瞬間には茂みから飛び出して墓地に向かって駆けて行ってしまった。慌ててヴィンセントも少女を追う。


「兄さん! 早くその女から離れて! そいつは怪物よ!」


 一転して大声を張り上げてアニータは注目を集めた。老婆と男の視線も彼女に向けられたが、兄だと思われる男はアニータの忠告に従う素振りを見せないどころか、無表情で人らしからぬ雰囲気を漂わせていた。


「に、兄さん……?」


 さすがに兄の様子が異常だと気付いたアニータは酷く戸惑っていた。


「アニータ、お兄さんはきっと、もう……」


「そんな……」


 愕然とする。


 生気のない目。光を失った目。顔中に浮き上がった不自然な血管と変色して血の気がなくなった皮膚がソウルドレインに、いや、人間をやめたことを物語っていた。それを察したアニータの口からは言葉が出てこないどころか口をパクパクさせていた。


「おや、あの時の小僧と小娘かい。ここを鍵つけるなんてまるで犬みたいだねえ」


 老婆は鼻で笑って馬鹿にした口調で言い捨てた。そこですっかり意気消沈しているアニータに代わり、ヴィンセントが強く出る。


「アニータのお兄さんを返せ。さもないと……」


「馬鹿馬鹿しい」ヴィンセントの言葉を老婆が遮った。「ストレインは既にソウルドレインになっちまってるんだ。そんな奴を連れ帰ってどうする気だい? アンタたち魔導士の敵は我々ソウルドレインだっていうのに……地下で監禁でもしてなぶり殺しでもする気かね?」


「そんなことするわけない! ストレインはアニータの唯一の家族なんだ。その家族を連れ帰って……例えソウルドレインだったとしても……僕は絶対にお兄さんを救い出す!」


「本当に威勢の良いガキだねえ……だが、アンタらの好きにはさせないよ。こいつはよく使える部下だからね」


 そう言った老婆は〈魔導の道〉によく似た入り口を作り出し、ストレインを無理矢理その道に押し込んだ。それに続くようにして他の怪しいローブの人物たちも道の中へ消えて行き、最後に残った老婆は口角を上げて呆然として動けないでいる二人を嘲笑するかのように見据えてから自分も道の中に消え、そしてそれは瞬時に消滅した。


 二人は微動だにせず絶句するしかなかった。何故か動かなかった体。老婆の部下と聞いて葛藤してしまったのだ。既にソウルドレインになってしまっていたストレインを助け出してもその後は? 何も浮かんでこなかった。


「アニータ……」


 横に立つ少女に視線を向けた途端、彼女の瞳からは大粒の涙がこぼれ落ちた。それはとめどなく流れ続けるが、アニータは一向に固く閉ざした口を開かない。


「何もできなくてごめん」


 ヴィンセントがその一言を口にした瞬間、アニータはヴィンセントに抱き着いて大声を上げて泣き出した。一瞬だけ困惑したヴィンセントだったが、アニータの心に寄り添うことを決め、両手をアニータの後ろに回して抱き締めた。それはしばらくの間続いた。


 ようやく泣き止んだアニータは服の袖口で涙を拭いながらヴィンセントから離れた。


「ごめんね。ちょっと取り乱しちゃって……」


「いや、僕の方こそごめん。何もできなかった」


「いいのよ。もう兄さんはあたしが知ってる兄さんじゃないってことわかったし。とにかく、これも仕事だから……オメリアに報告に行かなきゃ」


「そうだね」


 その時だった。ヴィンセントの頭部に激しい衝撃が襲ったかと思えばすぐに激痛が稲妻の如く走った。頭部の何かを切り取られるような……そんな感覚だった。


「あ、熱い……!」


 突然、頭を抱えるヴィンセントに駆け寄るアニータ。何が起きてるのか全くわからない。


「ねえ、どうしたの⁉︎ ねえってば!」


 肩を揺するが苦しむ一方のヴィンセントにはアニータの声は届いていない。焼けるようで、金槌でガンガンと殴打されている痛みは耐え難いものだった。


 ただ、少しもすればその苦しみは波が引いていくようにすうっと消えていった。一体あれは何だったのだろうと脂汗を流していたヴィンセントは顔を上げた。


「だ、大丈夫?」


「あ、うん……」


 痛みの余韻でクラクラしながらも立ち上がるヴィンセント。


……何だったんだろう……? 共鳴のせいかな?


 そうに違いないと自分で納得し、脂汗を拭いてアニータに向き直った。


「僕は平気だから。まずはオメリアさんに報告へ行こう」


「本当に大丈夫なの? 少し休んでからでも……」


「あまりここにいたくないんだ。アニータもそう思わない?」


 口をつぐんでしまったアニータは確かに、と言わんばかりに頷いた。


「じゃあ、戻ろう」


「うん」


 二人は急ぎ足で廃村を後にし、オメリアの店へと向かった。


店内に入るとオメリアは笑顔で迎え入れてくれた。カウンター席に座るよう促される。


「で、廃村はどうだったんだい?」


 気軽に声をかけてきたオメリアだったが、二人の少々俯いた暗い顔を見て一瞬で何かを察した。


「まずは紅茶でも出すよ」


 彼に促された二人は未だ賑やかさが絶えない店の中に入り、カウンター席に腰を落ち着かせた。軽やかな動作で紅茶をヴィンセントとアニータの前に出すと、湯気が立つ薄い水色の液体の中に何とも言えない二人の浮かない表情が映り込んだ。


 沈黙が続いた。ヴィンセントもアニータも口を開けない。それにはさすがのオメリアも良くないことがあったことをわかっていたので、二人のどちらかが話し出すまで待つことにした。今、口を出す時ではない。


 それからしばらくして、アニータが涙を浮かべた顔を上げて重い口をこじ開けるようにしてポツポツと言葉をこぼし始めた。


「あ、あのね、オメリア……兄さんのことなんだけど……」


 それ以上は涙としゃくり上げたせいで続かなかった。そこでヴィンセントが手助けに入る。


「廃村では何やら怪しげな儀式が行われていて、僕たちが以前の任務で捕まえられなかったソウルドレイン・ギナの老婆と一緒にいた集団の中にアニータのお兄さんもいたんです。老婆の話しぶりからしてお兄さんもソウルドレインになってしまっていたようでした。それからすぐにその集団は逃げてしまって……連れ戻せなくてごめんなさい」


 深々と頭を下げるヴィンセントと泣きじゃくるアニータも頭を下げた。


「やめてくれよ、二人とも。僕も薄々そんな予感がしていたんだ。でも生きていたってわかってよかったよ。二人には辛い思いをさせてしまったね。今夜はもう泊まっていくといい。少しばかりだけど報酬も明日の出発の時に支払うよ」


 頷く少年少女は少し落ち着いたのか紅茶をすすった。すっかり冷え切った心と身体に染み渡るようだった。




 翌日、仮眠で使用した空き部屋で目覚めた。アニータがカーテンを開けると朝日が一気に部屋の中を照らして、眩しさのあまり目を細めた。窓を開けると清々しくも冷たい風が入ってきたのでそれを目一杯吸い込んだ。肺の中がひんやりとした空気で満ちる。


「ほら、ヴィンセントも起きて!」


 未だに毛布に包まっているヴィンセントはゆっくりと上半身を起こして右目をこすった。ボサボサの頭髪を手櫛で整えながら毛布からのそのそと出てきてアニータの隣に立ち、大きく腕を上に上げて伸びをした。


「良い天気だね」


「そうね。だいぶ冬が近づいてきたって感じ」


「あれ、アニータ、目が腫れてない?」


「う、うるさい!」


 バシッとヴィンセントの肩を叩くとさっさと下の階へ降りていったアニータ。


ーー確かに、昨日あれだけ泣いたもんなあ。そりゃあ腫れるよね。


 クスッと笑いが漏れ出し、ヴィンセントもアニータの後に続く。


「二人ともおはよう。早いね」


 下の階ではオメリアが寝ぼけ眼で朝食を食べていた。


「二人も食べていくかい?」


「ううん」首を横に振るアニータ。「新しい任務があるかもしれないし、ディアンも心配だからもう出るよ」


「そうか……ああ、それと今回の報酬だよ」


 オメリアは立ち上がり、布製の袋の口が結ばれた物をアニータに手渡した。その重さに驚いた顔をする。


「こんなにいいの?」


「気にしなくていいんだよ。君たちも辛かっただろうからそれの分だ。受け取ってくれ。それじゃあ、また僕もストレインについて情報収集しておくよ。ディアンによろしく」


「うん、ありがとう、オメリア」


 礼を言って二人は魔道士会が所有する古民家へ歩を進めた。


 その間、ヴィンセントは悶々と考え事をしていた。勢いで両親にアニータとの結婚宣言もしてしまい、きっと両親との縁も切れたようなものだった。挙句、アニータの兄を連れ戻すこともできず、現段階では魔道士として何の役にもたてていない。あの努力は何だったのか。血反吐が出るほど厳しい訓練を受ける必要なんてあったのかさえ疑問で仕方なかった。だが、もう全て過ぎたことだ。首を横にふるふると振ってマイナス思考を振り払おうとするも全く離れていかない。


「ねえ、険しい顔してるけど大丈夫?」


 古民家に到着したや否やアニータがヴィンセントの顔を覗き込んだ。そこでハッと現実に戻る。苦笑いでそれを誤魔化した。


「平気だよ。さ、本部に戻ろうか」


 アニータをエスコートするようにヴィンセントが先に行きドアを開けてリビングへ行くと、いつもとは違う香が焚かれた中で〈水瓶座〉のデューイ・プラマーが椅子に足を組んで二人を待っていたかのように視線を向けた。


「遅い。どこをほっつき歩いていたんだ? 特にヴィンセント、お前だ」


「いや、ちょっと色々とあって……」


「そうよ。こっちだって任務に従事していたのよ」


「見習いは黙れ」応戦するアニータの言葉を遮るデューイ。「会長殿より新たな任務が来ているぞ。一緒に来い」


「え、僕だけ?」


「当たり前だ。今回は魔法の遺物に関するものだからな。見習いに出番はない」


 そう言われて膨れっ面を晒すアニータ。彼女はあくまでも魔道士の代理であり見習いだ。正式な魔道士にのみ与えられる任務となれば口出しはできない。もどかしい気持ちでいっぱいだった。


「行くぞ、ヴィンセント。見習いは自由にしていていいそうだ」


「ごめん、アニータ。行ってくる」


「うん」


 たった一人、少女をリビングに置き去りにしてヴィンセントとデューイは衣装部屋へ行き、古いクローゼットの中へ服をかき分けて消えていった。


 それを見送った後、再びリビングに戻るといつの間にか〈蠍座〉のミレイン・モロウが優雅な雰囲気を放ちながら紅茶を淹れようとしているところに出くわした。デューイにボロクソに言われて半泣きだったアニータを見ては「あらあら」と近寄ってきてハンカチで涙を拭ってやる。


「何かあったのかしら?」


 問われたアニータは今あったことを話す。段々と呆れ顔になっていくミレインはアニータから離れて再び台所に戻って紅茶を淹れる。


「デューイは魔道士会に来た時から本当にぶっきらぼうでねえ。言うこともド直球で愛想もないし、困ったものだよ。アニータもよく言い争いにならずに入られたわね。偉いわよ」


「はい……」


「ほら、これを飲んで少し落ち着きましょう」


 香り高いローズヒップティーを出され、アニータはリビングテーブルのミレインの真正面に着席した。


 ティーカップをつまみ上げて一口すするとローズヒップの香りが鼻の中を満たして、紅茶を飲み込むと同時に鼻から抜けていった。とても華やかな香りで残り香でさえ楽しめる。先ほどのことなんでどうでもよくなるくらいに。


「アニータ」唐突に話を切り出すミレイン。「あなたがヴィンセントを心配する気持ちはようくわかるわ。そりゃああなたが連れて来た子だし、あなたが色々教えなければいけないと思っているでしょう。でも、違うのよ。あなたの立場上、あなたがヴィンセントから学ぶ側。彼が任務に行ってしまっても、口を出したり、止める権利なんてないことくらい、わかっているでしょう」


「はい、ミレインさん……」


「あとここだけの話。彼はあなたの救いにもなるし、脅威にもなるってことを覚えておいてちょうだいね」


「どういうことですか?」


「いずれわかるわ。これ、会長には秘密にしておいてね」


 ミレインは指を唇に当てて、再び優雅な時間に戻っていった。


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レイヨナ 〜深淵編〜 宮崎 ソウ @tukimu

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