第一次インド洋海戦

第29話 ドイツからの要請

 戦術的勝利を得た一方で戦略的敗北を喫した。

 それが、帝国海軍上層部のMO作戦あるいは珊瑚海海戦に対する評価だ。


 昭和一七年二月、MO作戦に臨んだ第一航空艦隊は迎撃に現れた米機動部隊と交戦、「ヨークタウン」と「ホーネット」を撃沈し、「エンタープライズ」を撃破する戦果を挙げた一方で「翔鶴」と「瑞鶴」、それに「蒼龍」を撃破されたうえに肝心のポートモレスビーの占領を果たせなかった。

 もし、ここで米機動部隊を打ち破ったうえでポートモレスビーの占領を成し遂げていれば、あるいは豪州は日本と単独講和を結んでいたかもしれなかったのだが、しかし今となってはたらればの話にしか過ぎない。


 連合艦隊司令部や一航艦司令部にとって誤算だったのは「エンタープライズ」の参陣だった。

 六発もの二五番を食らっていながらわずか二カ月の間に修理を終え、さらに戦備を整えて一航艦の前に立ちはだかったのだ。

 もし、「エンタープライズ」がいなければ、一航艦が挙げた戦果は遥かに大きく、そして損害が僅少に済んだことは疑いようが無いし、ポートモレスビー攻略もまた成されていたはずだった。


 「爆弾を三発食らった『翔鶴』は三カ月、二発被弾した『瑞鶴』もまた三カ月。一発で済んだうえに当たり所が良かった『蒼龍』が一カ月か」


 空母のあまりの損害の大きさに連合艦隊司令長官の山本大将は胸中で盛大なため息を吐く。

 まだ、開戦から三カ月と経っていない。

 それにもかかわらず、戦前に整備した六隻の正規空母のうち「赤城」と「加賀」がすでに沈められ、此度の戦いでは「翔鶴」と「瑞鶴」、それに「蒼龍」が撃破された。

 他にも小型空母「龍驤」が昨年のうちに米艦上機によって撃沈されている。

 それに対して、今すぐに使える空母は「飛龍」を除けばあとは小型の「瑞鳳」くらいのものだ。

 「祥鳳」もあるが、こちらは完成してから日が浅く、慣熟訓練が終わっていないので、今しばらくの間は戦力にカウント出来ない。


 (このような有り様で、しかも今すぐにインド洋に打って出ろだと? バカも休み休みに言ってもらいたいものだ)


 二月一五日にシンガポールが陥落するやいなや、ドイツのヒトラー総統は帝国海軍に対してただちにインド洋に進出、同地の制海権を奪取するよう要請してきた。

 もし、帝国海軍がインド洋の制海権を握ることになれば、インドとの交易に経済の多くを依存する英国の打撃ははかり知れず、またペルシャ回廊経由で米国からの戦争資源を受け取っているソ連もおおいに困ったことになる。

 なにより、東洋艦隊の壊滅とシンガポールの失陥という立て続けの失態によって政治的苦境に陥っているチャーチル首相が、さらにインド洋まで失うようなことにでもなればどうなるか。

 おそらく、ヒトラー総統の一番の狙いはそこらあたりにあるのだろう。


 もちろん、ドイツもただで連合艦隊をこき使おうとしているわけではない。

 ヒトラー総統によれば、連合艦隊がインド洋を制圧すれば、その段階でドイツはイタリアと共同で地中海ならびにエジプト方面で攻勢に出るという。

 そして、スエズ運河を打通し欧日連絡線を開通した暁には帝国海軍に対して電装品や工作機械の提供、さらに最新兵器の技術供与などを行うと約束している。

 もちろんこれらはすべてただというわけでもなく、その一部は南方で産出される天然資源とのバーター取引になるはずだ。


 戦力不足に悩む連合艦隊司令部とは違い、海軍省や軍令部のほうはヒトラー総統の提案に乗り気だった。

 軍政を司る海軍省はドイツとの連携強化を当然のごとく望んでいるし、軍令部もまた最新の生産設備や工作機械、なにより先進兵器の知見を喉から手が出るほどに欲しがっている。

 特に開戦以降、明らかに欧米に比べて遅れていると思い知らされた探知兵器、つまりはドイツが持つレーダーやソナーの技術は、今後激化する米国との戦いにおいて絶必のものだと軍令部は判断している。


 そこへもってきて、どこからこの話をかぎつけたのか、帝国陸軍までが帝国海軍に対してインド洋に打って出るよう圧をかけてきた。

 帝国陸軍としても、帝国海軍がインド洋を支配下に置くことで援蒋ルートを断ち切ることが出来るから、それはもう熱心にやれやれと催促してくる。

 この件については、あるいはドイツが裏で糸を引いているのかもしれない。

 いずれにせよ、連合艦隊以外のすべての組織がインド洋作戦をやる方向で話を進めてしまえば、山本長官としても逆らえない。


 かくしてインド洋における英国の要衝コロンボならびにトリンコマリーを叩き、同地の制海権を奪取する作戦が決定される。

 作戦時期は必要な戦力が整う三月下旬から四月上旬。

 主力となる空母は開戦以来無傷を保っている「飛龍」と「瑞鳳」、それに修理が完了しているはずの「蒼龍」とさらに慣熟訓練を終えた「祥鳳」の四隻だった。

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