珊瑚海海戦

第20話 新司令長官

 マーシャル沖海戦敗北の責によってキンメル太平洋艦隊司令長官が更迭、その後任としてオアフ島に着任したニミッツ大将はすぐさま同艦隊の再建に着手していた。

 失われた七隻の戦艦の補充として、すでに合衆国海軍は大西洋艦隊に所属している三隻の「ニューメキシコ」級戦艦と二隻の「ニューヨーク」級戦艦を太平洋へ回航することを決定している。

 空母のほうは「レキシントン」と「サラトガ」の穴を埋めるべく「ヨークタウン」ならびに「ホーネット」の配備を急ぐ。

 さらに、マーシャル沖海戦で大きく傷ついた「エンタープライズ」については、昼夜兼行のフル回転でその修理に臨んでいる。

 また、損傷の大きな巡洋艦や駆逐艦は本土に戻し、こちらも最優先で修理を急がせていた。

 人事面ではニミッツ長官はキンメル提督の幕僚だった者の多くを留任させ、マーシャル沖海戦の敗因を分析させるとともに、連合艦隊に対抗するための戦策の起草を命じている。


 「壊滅した戦艦群の将兵の戦死は一万人を超えたが、一方で機動部隊のほうはそれほど多くの者を失わずに済んだ。海軍の中でも特に希少種と言っていい発着機部員をはじめ整備員や兵器員の戦死者は数えるほどしかいない。このことは我々にとって数少ない光明だ。

 ところでレイトン中佐、日本の機動部隊指揮官はなぜ第二次攻撃隊を機動部隊攻撃にあてるのではなく戦艦部隊の攻撃に向かわせたと考える。もし、彼らが戦艦ではなく空母を攻撃していたら間違いなく全艦が撃沈されていただろうし、護衛艦艇も半数は失われていただろう。

 そうなれば、空母運用に携わる貴重な人材を失った我々は機動部隊の再建に困難を極めたはずだ」


 ニミッツ長官の質問にレイトン中佐は確たるエビデンスは無いと断ったうえで自身の意見を開陳する。


 「日本艦隊から発進した第二次攻撃隊が空母ではなく戦艦を攻撃したのは政治的効果を優先したからだと思われます。合衆国の国民は今でも海上の覇者は戦艦だと考えています。仮に空母をいくら沈められたとしても、国民はさほど衝撃は受けないでしょう。

 実際、ビッグフォーとして親しまれた『サラトガ』と『レキシントン』の喪失を受けても大きな動揺は見られなかった。彼らの中で空母という艦種は戦艦をサポートするための補助艦艇にしか過ぎないのです。

 だが、戦艦だと話は違ってくる。実際、太平洋艦隊が七隻もの戦艦を失ったという報道がなされた時にはハワイや西海岸の一部住民の間でパニックが起こっています。

 また、同じことが東洋艦隊が壊滅したときにシンガポールでも起こっていますから、日本海軍はそれを再現したかったのでしょう。

 だから、第二次攻撃で空母よりも価値が低い戦艦を狙った。確かにそれは効果を発揮し、ルーズベルト大統領もチャーチル首相もともに政治的苦境に立たされることとなりました」


 レイトン中佐の説明にニミッツ長官も同意するが、しかしこれは士官であれば誰もが理解している話だ。

 だから、ニミッツ長官は本命の質問を切り出す。


 「日本海軍はこれからどう動くと思う」


 あまりにも大雑把過ぎる問いかけだが、しかし太平洋艦隊司令長官にとっては何よりも知っておきたいことだ。

 エリート揃いの太平洋艦隊司令部幕僚はその全員が過去の分析に秀でているが、一方で正確な未来予測が出来る者はほんの数えるほどしかいない。

 そして、ニミッツ長官は目の前のレイトン中佐はそれが出来る男だと見込んでいる。


 「質問に質問を返すようで恐縮なのですが、フィリピン救援についてはこれをあきらめるという前提でお話ししてよろしいでしょうか」


 レイトン中佐のこの言でニミッツ長官は彼の分析力あるいは洞察力に信を置くことを決める。

 表向きはフィリピン救援作戦は継続中ということになっている。

 中止になったなどと言ってしまえば、在比米軍の士気はガタ落ちだ。

 だが、実のところは違う。

 すでにフィリピン救援中止は確定事項となっており、このことは一部の政府関係者と限られた軍の高官にしか知らされていない。

 もちろん、太平洋艦隊を指揮するニミッツ長官はそのことを知っているが、一佐官にしか過ぎないレイトン中佐にはその最高機密についてはまだ伝えられていない。


 だから、ニミッツ長官は口を開くことも首肯することもなく、ただ目で先を続けろと促す。

 ニミッツ長官の意向を忖度したレイトン中佐は表情を変えないまま話を続ける。

 今の段階では触れてはいけない内容だと理解しているからだ。

 だがしかし、その要素を無視して話を進めることもまた出来ない。


 「日本軍が次に行動を起こすとすれば豪州でしょう。現在、豪州は東西の守り神と頼る太平洋艦隊と東洋艦隊を失い、政府や国民の間で動揺が広がっています。日本の指導者がよほどのバカでも無い限りこの好機を見逃すことは無いでしょう。

 日本軍に豪州を占領する力はありませんが、しかしやりようによっては彼の国を戦争から退場させることは出来る。そうなれば、日本は南からの突き上げを気にせずに済む。おそらく、年明けの早い段階で日本軍はラバウルにその触手を伸ばしてくるはずです」


 「年明けすぐだと『ヨークタウン』も『ホーネット』も間に合わんな。戦艦が『ペンシルバニア』の一隻のみで、しかも稼働空母に至ってはゼロだ。今の太平洋艦隊の戦力ではどうにもならんか」


 声に熱がこもってきたレイトン中佐とは対照的にニミッツ長官の声には少し寒いものが交じっている。


 「確かにラバウルの防衛は不可能でしょう。ですが、ただラバウルを占領しただけでは豪州に与えるプレッシャーはさほどのものではありません。連中はさらに南へと踏み込む必要があります」


 「ラバウルから南に進むとして、日本軍が狙うとすればそれはどこかね」


 「ポートモレスビーです。それ以外考えられません」

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