マーシャル沖海戦

第12話 司令長官の誤算

 マレー沖で激突した日本と英国の戦いの結果は、海軍列強はもとよりそれこそ全世界に衝撃をもたらしていた。

 欧州の、しかも最強の誉れ高い英国の艦隊を日本の艦隊が撃ち破ったことによってアジア各地で独立運動が活発化、反英思想の強い某国ではオザワビールなどという安直なネーミングの商品が企画されているという。

 他方、日本国民のほうは日本海海戦以来の大勝利に沸き返り、一方シンガポールでは一部住民の間でパニックが起こっている。

 欧州では英首相チャーチルが東洋艦隊壊滅の一件で議会から突き上げを食らい政治生命の危機に瀕している。

 そして、マレーから遠く離れたオアフ島の太平洋艦隊司令部もまた、一連の騒動に無関係でいることは出来なかった。


 「『翔鶴』と『瑞鶴』、それに四隻の『金剛』型戦艦がこちらに向かっているというのは本当か」


 「正確には日本本土に向かっているようです。アジアに張り巡らせた諜報網からの情報ならびに通信傍受からもそれらについては裏付けが取れています」


 開戦前の楽観的な態度から一転、深刻な顔をしている時間が多くなったキンメル太平洋艦隊司令長官の問いかけに、こちらは戦前から変わらない態度でレイトン中佐が答える。

 キンメル長官は戦前、東洋艦隊と第七艦隊がぶつかった場合、東洋艦隊が圧勝するものだとばかり思っていた。

 東洋艦隊が六隻の戦艦を擁しているのに対し日本のそれは四隻。

 英戦艦が一八門の四〇センチ砲と三二門の三八センチ砲を装備しているのに比べて日本のそれは三六センチ砲が三二門だけ。

 門数で六割強、しかもそのいずれもが口径で劣るうえに防御が貧弱な四隻の「金剛」型戦艦にどうやって勝機を見いだせようか。


 だがしかし、英日両艦隊の戦いはキンメル長官が想像すらしていなかった展開をみせる。

 当時、英日の両艦隊には合わせて五〇隻を超える艨艟の姿があった。

 それほどの大規模な艦隊決戦だったのにもかかわらず、しかし水上砲雷撃戦は一度たりとて生起していない。

 戦いは英国の艦艇と日本の飛行機とのそれに終始した。

 近代的な飛行機が持つ威力に英戦艦は屈し、そして東洋艦隊は敗れた。


 「『サラトガ』は間に合いそうか」


 ぼそりとつぶやくようなキンメル長官の質問をレイトン中佐は聞き逃さない。


 「『翔鶴』と『瑞鶴』が極端に速度を上げないこと、それと『サラトガ』が高速航行のままトラブル無しで作戦海域に直行するという二つの条件が揃えば可能です」


 開戦当日、太平洋艦隊には「エンタープライズ」と「レキシントン」、それに「サラトガ」の三隻の空母が配備されていた。

 しかし、そのうち「サラトガ」はハワイから遠く離れたサンディエゴで整備中だった。

 キンメル長官はただちに整備を切り上げさせるとともに補給もまた急がせた。

 そして、「サラトガ」は一般的な巡航速度を大きく超えるスピードで西へ西へと急いでいる。


 この時点で、空母戦力についてキンメル長官には三つの選択肢があった。

 現有戦力でただちにマーシャル攻略に向かった場合、こちらはすぐに使える空母が「エンタープライズ」と「レキシントン」の二隻しかないのに対し、日本側は「赤城」と「加賀」それに「蒼龍」と「飛龍」が使える。

 つまり、太平洋艦隊と日本艦隊との空母の数における戦力比は二対四。

 選択肢のもうひとつは、太平洋への回航が決まった「ヨークタウン」の合流を待つ場合。

 だが、これだとどうしても作戦実施が来年までずれ込んでしまう。

 そのうえ日本海軍のほうは「翔鶴」と「瑞鶴」が使えるようになるから戦力比は四対六だ。

 フィリピン救援とそのタイムリミットという大きな掣肘を受けている太平洋艦隊としてはあまり作戦開始時期を遅らせるような真似はしたくない。


 そこでキンメル長官は現時点において最も米日の空母戦力の差が縮まる、つまりは「サラトガ」を戦列に加えたうえで速やかにマーシャル攻略作戦を実行するというプランを採用する。

 日本の正規空母四隻に対してこちらは三隻と劣勢だが、しかし日本の空母のうち「飛龍」と「蒼龍」はそれほど艦型が大きくないから、搭載機の数の差はそれほど大きくはないはずだった。

 そして、レイトン中佐によれば「サラトガ」合流のプランはぎりぎりのところで成立するという。


 キンメル長官としてはマーシャル攻略にはさほど拘泥していない。

 まずは、南方作戦に戦力を絶賛分派中の第一艦隊ならびに第一航空艦隊を叩く。

 面倒な連合艦隊の主力さえ最初に始末してしまえば、マーシャルやトラック、それにパラオを攻略していくのはさほど難事ではないだろう。

 気を取り直したキンメル長官はさらにレイトン中佐にいくつか質問を重ね、そして出撃を決断する。

 太平洋艦隊の艨艟が抜錨するまでのカウントダウンが始まった。

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