第11話 帰投命令

 通信参謀から受け取った電文用紙に目を通した小沢長官の表情に、少しばかり苦いそれが浮かんだのを第五航空戦隊司令官の原少将は見逃さなかった。

 小沢長官は自らの幕僚を差し置いて、その電文用紙を原司令官に差し出す。


 「第三戦隊ならびに第五航空戦隊はただちに攻撃を打ち切って本土へと帰還、可及的速やかに第一艦隊ならびに第一航空艦隊と合流せよ、ですか」


 第七艦隊司令部幕僚と五航戦幕僚が混在するなか、原司令官は全員に周知する意味も含めて声を出して読み上げる。

 第三次攻撃の準備にとりかかろうとしていた矢先の出来事に、幕僚たちは落胆の表情だ。

 ただ、原司令官も、またこの場にいるその誰もがこの命令を出した連合艦隊司令部の意図は分かっている。

 艦上機と陸上攻撃機をもって東洋艦隊の主力を撃滅した今、五航戦と三戦隊をこの戦域に置いておく意味はあまりない。

 空母と戦艦のそのすべてを失った東洋艦隊に残されているのは巡洋艦かあるいは駆逐艦のみで、その少なくない艦が損傷している。

 その程度の戦力であれば「鳥海」ならびに第七戦隊の四隻の「最上」型重巡で十分に対処できる。

 そうであるならば、貴重な正規空母や高速戦艦は近々の襲来が予想される米艦隊に対する備えとして太平洋正面に回すべきだ。

 しかし、一方で残存艦隊の十数隻の英巡洋艦と英駆逐艦は安易に見逃していい存在ではない。

 貴重な戦訓を学び取った彼らを生かして返せば、それこそ禍根を残しかねない。


 「今、第三次攻撃隊を出せば東洋艦隊の残存艦艇のうちの半数は確実に沈めることが出来るのだがな。

 しかも、敵は満身創痍だから、対空砲火もたいしたことはなかろう。僅少な被害で大戦果を挙げる好機ではあるのだが」


 そう語る小沢長官の言葉には諦観が滲んでいる。

 一方の原司令官は胸中で小沢長官の無念を察する。


 (小沢長官といえども命令には逆らえないわけか)


 これが帝国陸軍であれば独断専行で追撃を行うことも可とされるかもしれない。

 だが、帝国海軍は違う。

 絶対に無いとは言い切れない部分もあるが、それでもさすがに司令長官が率先してそれをやったらまずいだろう。

 原司令官だって叶うのであれば第三次攻撃隊を出して東洋艦隊にとどめを刺したい。

 そして、それを成し遂げることが出来る戦力を五航戦はまだ残している。


 「第三次攻撃はこれを中止とする。七艦隊司令部は旗艦を『鳥海』に戻し、同司令部員らは残務を片付け次第速やかに『翔鶴』より退艦せよ」


 そう言って小沢長官は原司令官に向き直る。


 「すまんな、司令官。私の我儘でこれまで窮屈な思いをさせてしまった。

 出来る限り早く『翔鶴』から降りるようにするから、今しばらく我慢してくれ」


 首を垂れる小沢長官に原司令官は慌てて頭を上げるよう懇願する。


 「何をおっしゃるのですか長官。あなたの采配ぶりを見て、私は航空戦隊司令官としての自分の至らなさを痛感しました。

 この戦いで私が長官から学んだこと、あるいは得たものは非常に大きいものがあります。特に索敵の重要性については私も声を大にして周囲に訴えていくつもりです。

 なにより今回得た教訓を決して無駄にしてはならない。それこそが、部下を無為に死なせないために司令官としてやるべきことであり、戦死した連中に私が出来るせめてものことです」


 「そう言ってもらえると私としても気が休まる。だが、これからは五航戦は修羅の道を行くことになるぞ」


 小沢長官の指摘するところは、すでに原司令官も理解している。

 この戦いで航空機は戦艦を撃沈出来ることを証明した。

 それは、つまりは空母こそが最大脅威と認識されたということでもある。

 そのうえあろうことか「翔鶴」と「瑞鶴」はビッグセブンの「ネルソン」と「ロドネー」を撃沈したのだ。

 連合国、特に英国に与えたインパクトは強烈だろう。

 それゆえ、「翔鶴」と「瑞鶴」の姉妹は連合国のお尋ね者、第一級の賞金首となったことは間違いない。


 「心得ております。これより五航戦は態勢を整え直し、来るべき太平洋艦隊との決戦に臨みます。これまでのご指導、ありがとうございました」


 深々と頭を下げる原司令官に小沢長官は「大げさすぎる」と苦笑するが、一方で思考のほうは冴えているあるいは冷めている。


 (五航戦と三戦隊は日米の決戦には間に合わないだろう。そもそも米軍は二隻の正規空母と四隻の高速戦艦が一航艦と一艦隊に合流するのをただ黙って眺めているだけの間抜けをやらかすような連中ではない。そうなれば、激突の時は近いな。はたして連合艦隊は五航戦と三戦隊抜きの戦力で戦えるのか)


 東洋艦隊を撃破した直後なのにもかかわらず、小沢長官の心中には不安が渦巻いていた。

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