第8話 九六陸攻

 「瑞鶴」三号機の敵艦隊発見の報に勇躍出撃したのは第五航空戦隊の艦上機隊だけではなかった。

 サイゴンならびにツドゥムに展開する第一航空部隊の陸上攻撃機隊もまた、報告のあった海域に向けて進発していた。


 「第七艦隊はずいぶんと派手にやってくれたようだな」


 数ある陸攻隊の中において、東洋艦隊上空に一番乗りを果たした白井大尉。

 その彼が驚嘆とともに少しばかり羨望の入り混じった声を発する。

 六隻あると報告された戦艦は、しかし四隻しか見当たらずそのうえ空母はほとんど沈みかけている。

 巡洋艦や駆逐艦も無傷を保っているものは半数にも満たない。

 それでも、母艦航空隊の手際の良さに感心していたのはほんの一瞬だった。

 白井大尉はさっそく仕事にとりかかる。


 「目標、最後尾の戦艦。八機しかないので挟撃は行わん。

 敵艦の左舷から雷撃を仕掛ける。 全機続け!」


 誤解の無いよう、端的な単語のみで短く命令を発した白井大尉は、同時に敵の艦種識別も行っている。

 前後に二基ずつの主砲塔、艦橋に隣接するようにそびえる一本煙突。


 (おそらくは「リヴェンジ」級だな)


 三八センチ砲八門を持つ立派な戦艦だ。

 相手にとって不足は無い。

 それに、腹に抱えているのは爆弾ではなく魚雷だから部下たちの士気も高い。

 その件について、白井大尉は人づてにある話を聞いている。

 英国が極東に六隻もの戦艦を派遣するということを帝国海軍上層部が知った時、彼らは半ば恐慌状態に陥ったらしい。

 慌てて南遣艦隊の戦力を増強するとともに、サイゴンやツドゥムの陸攻隊についてもかなりの程度増勢した。

 その際、帝国海軍は内地や台湾にあった航空魚雷を半ばかっさらうようにしてかき集め、少なくない兵器員とともに高速船を仕立てて同地に展開する第一航空部隊に送り込んだのだという。

 この措置が無ければ白井中隊の八機の九六陸攻は、あるいは爆装による攻撃を強いられていたかもしれない。


 眼下の英艦から撃ち上げられる対空砲火は凄まじかった。

 被弾する機体が続出したが、それでも撃墜されるものは無かった。

 ここらあたりは単発艦上攻撃機に比べて抗堪性の高い双発陸上攻撃機の面目躍如といったところだろうか。

 両者ともに防弾装備は褒められたものではないが、それでも基礎体力が違う。


 八機の九六陸攻は射点に到達すると同時に魚雷を投下、目標とした戦艦の艦首や艦尾をかわしそのまま離脱を図る。

 全機が無事に切り抜けられるかと白井大尉が思った瞬間、しかし艦尾を抜けようとした一機が火箭をまともに浴びて火だるまになり、そのままマレーの海に滑り込むようにして飛沫と消える。

 生き残った七機の九六陸攻が敵対空砲火の有効射程圏を離脱してしばらく後、目標とした戦艦の左舷に水柱が二本立ち上る。


 「二本、か」


 白井大尉は攻撃が空振りに終わらずに済んだ安堵感とともに、期待ほどには命中本数を稼げなかったことに対する落胆の入り混じった感情を自覚する。


 その白井隊が引き揚げるのと入れ代わるように戦場に姿を現したのは一六機からなる元山空の九六陸攻隊だった。

 第一中隊の石原大尉と第二中隊の高井大尉は事前の打ち合わせで目標に対しては挟撃を行うことを示し合せていた。

 目標選定を任されている石原大尉は眼下に見える四隻ある戦艦の中で、そのうちの一隻が明らかに動きが衰えていることを見抜く。

 ここで高井大尉とともにこの戦艦に攻撃を仕掛ければ、確実に撃沈に追い込めるはずだ。

 そうなれば、陸攻隊で最も早く敵戦艦を撃沈した部隊としての栄誉を手にすることが出来る。

 しかし、石原大尉はその誘惑を断ち切り、いまだ無傷の戦艦のうちの一隻に狙いを定める。

 陸攻隊の目的は東洋艦隊の魔手から輸送船団を守ることであり、戦艦を撃沈することではない。

 すでに傷ついた戦艦は輸送船団にとっては脅威ではない。


 「目標、最も左に位置する戦艦。第一中隊は左舷から、第二中隊は右舷からこれを攻撃せよ」


 石原大尉の命令一下、一六機の九六陸攻が左右に分かれる。

 九機が敵戦艦の左前方に、七機が右前方に遷移すべく高度を下げながら挟み撃ちの状態に持っていく。

 こちらの意図を悟った敵戦艦から激しい対空砲火が撃ち上げられるが、石原隊も高井隊もそのいずれの機体もひるんだ様子を見せない。

 敵戦艦の動きはたいして早くない。

 速度も二〇ノットをわずかに超える程度だろう。

 射点につくのにさほど困難を覚える相手ではない。


 (撃破は確実、うまくいけば撃沈も有り得る)


 石原大尉がそう考えた途端、彼の目と耳が部下の機体が爆散したことを覚知する。

 その数瞬後、仲間の敵討ちとばかりに魚雷が投下される。

 残る七機もまたそれに続く。

 敵の弾幕を掻い潜り、ようやくのことで安全圏に避退した石原大尉は部下からの報告で左舷と右舷にそれぞれ二本ずつの合わせて四本の魚雷が命中したことを知らされる。


 「四本は微妙だな。大破は確実、撃沈出来るかどうかは当たり所と敵の被害応急の能力次第といったところか」


 部下に戦果を打電させるとともに石原大尉は後続の部隊に後を託す。


 「英戦艦、残り二隻。あとは頼んだぞ美幌空、それに鹿屋空」

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