負け犬ビリーとペルシャ猫

@billy-san

第1話 ビリー、猫に会う。

「あんた、いつまで寝てんだい」

「うるせーな…」


 うるせーな…。声に出てた。オレを振ったくせに、なんで睡眠の邪魔までするんだ。もう放っといてくれ。どうせ家からも出ていったんだし…


 …あれ?出ていったよな?

 それなら、今の声は誰だ?


 目の前に猫がいた。猫…だよな? 白い毛に覆われたしかめっ面のおっさんみたいな猫が、オレの、目と鼻の先いる。


 当然のことながら、オレは猫なんて飼っていない。動物アレルギーだし、だいいち、世話がめんどくさい。この白くて長い毛の、鼻が潰れたような顔はなんといったかな…


「ペルシャ猫よ。失礼ねぇ」

「あ、ごめん…えぇ?」


 どうやらまた声に出ていたようだ。独り身になってから、ぶつぶつ口に出すことが増えた気がする。


「なによ?」

「いや、猫…だよな?」

「そうよ。ペルシャ猫のファニーベイビー。FBって呼んでちょうだい」

「え、あ、うん」


 よくわからんが、雰囲気に飲まれて返事をしてしまった。オレはこう見えても、気が小さい。そうは見られないよう髪を刈り上げ、少し体を鍛え、眼鏡の奥から睨みつけるような顔をしているが、オレの中身はビビりだった。


 ともあれ、猫は猫である。左側頭部の痛みを気にしながら目を細めてまじまじと観察する。


「あの、喋って、ますよ…ね?」

「だからなによ? それより早く起きなさいよ。ったく、汚い部屋ねぇ」


 猫は、いやFBがしっぽを軽く振ると、タバコの灰とホコリが舞った。たしかに、あまりきれいではない。こういうのも皮膚によくないんだろうな、とぼんやり左肩や首を掻きながら、湿っぽい敷布団から身体を引き剥がした。オレは夢でも見ているのだろうか?


「とりあえず一服するか…」


 薄い布団の上に座り、少し落ち着くために、オレは煙草の箱に手を伸ばした。空だった。宙を泳いだ手は、申し訳なさそうに持ち主に戻った。


「あ、ええっと、それで、き、きみは…」

「FB」

「ごめん。FBは、ここで何をしてるの?」

「あんたが目を覚ますのを待ってたんだよ。ちょっと、臭いから口ゆすぎなさいよ。あとこの辺少し片付けなさい。わたしの毛が汚れちゃうわ」

「はい、はい」


 台所でブクブクをし、その辺の毛布や空き缶や灰皿もろもろを脇におしやり、直径1.5mほどのスペースを作った。そしてビビリのオレは、FBの前で正座した。


「あの…」

「どこまで覚えてる?」

「え、なにが?」

「昨日の晩の話よ、当たり前でしょ」


 昨日の晩。

 昨日は、オレがいやいや通っていたブラック企業が、突然倒産した日だ。ショックと開放感と不安を格ゲーのヒヨコのように脳裏に回転させたまま、朝から晚まで河原の土手で安い酒を飲んでいたっけ。あまり酔っていないと思っていたけど、想像以上にアルコールが回っていたのだろう。千鳥足のまま橋を通って帰る途中、手すりにいる白い何かを見て、慌てて駆け寄ったのだった。


「…そのまま川に落ちたのか」

「そうよ。どこの世界に猫と人間を見間違えるやつがいるの。馬鹿。阿呆。間抜け。メガネ」


 メガネは悪口じゃないぞ。


「ということは、オレは、死んだのか?」

「生きてるでしょ。馬鹿なの」

「いや、しかし」

「ああもうめんどくさいわね」


 FBの話はこうだった。彼女の種族(ただのペルシャ猫ではないのか?)は10年に1度、新月の夜に「生まれ変わる」らしい。正確にいうと、生まれ変わりとも脱皮とも違うようだけど、要は、10年ごとに寿命がリセットされるそうだ。


 そしてオレはその儀式(と呼ぶのか不明だが)を邪魔してしまったらしい。


「ということは、オレはやはり死んで」

「ないでしょ」

「もしかして、オレたち、入れ替わってる?」

「ないわよ。馬鹿なの」


 橋から川に落ちたオレは溺れて土左衛門になるところを、不幸か大不幸か、FBの魂的な一部を盗んで今ここに至るらしい。


「要するに、オレはFBの命をお預かりしている?」

「まぁ半分は合ってるわね」

「死んでるオレと生きてるオレが重なり合った、シュレディンガーの猫状態…」

「当たらずといえど遠からず、かな。あんたさぁ…」


 FBがぐいっと顔を寄せてきた。見れば見るほどしかめっつらのおっさんだ。細かった両目の瞳孔がぐわっと広がり、妙に迫力がある。


「このまま死んでもいいやって、思ってなかった?」

「ど、どうかな…」


 言われてみれば、そういう気持ちもあったかもしれない。文句たらたら我慢して働いていたブラック企業は潰れ、婚約者に捨てられ、お金は底をつきそうだ。オレにはなにもない。むしろ婚約者に借金すらしているし、義理の父親になるはずだった人に近々呼び出されそうだ。カネもなければコネもなく、運もなければ腕もない。学生時代の同級生や先輩後輩は、それぞれみんな結果を出して上手くやっている。少なくとも、オレにはそう見える。オレが。オレだけが。


「あのね、」FBはふんっと鼻を鳴らしながら言った。「あんたのその、中途半端な『恨み妬み僻み』が、この事態を引き起こしてるわけ。ネガティブな『みみみ三兄弟』ね」


 上手いこと言ったと思ったのか、ドヤ顔をしている。顔はおっさん猫のくせに。なにがファニーベイビーだ。ベイビー要素はどこだ。


「あんた、納得してない顔ね」

「そんなことはねーけどさ…。オレはどうしたらいい?」

「あんたには2つの道がある」


 顔を近づけたままFBは言った。猫特有の生臭いにおいが鼻についたが、川から上がったまま中途半端に生乾きのオレもいい勝負だろう。お互い口呼吸で喋るようにしていた。


「1つは、わたしの魂を離すまで、あんたの魂や身体を満足させる道」

「もう1つは?」

「わたしの魂を離すまで、あんたの妄執を鎮める道」

「2つの違いは?」

「満足する道は成仏する可能性が高く、鎮める道は地獄に行く可能性が高い」

「どのしろ死ぬんかい」

「助かる可能性もあるけど、それはあんたの魂次第ね」


 さて、どちらにしようか?


「でも残念でした」FBはニヤリと舌なめずりしながら言った。元がおっさん猫なだけに、非常にむかつく顔だ。


「あんたに選択肢はあっても、選択権はないよ」

「なんだって?」

「あんたの運命はこれで決まる」FBはどこからか赤と青の透き通ったサイコロを2つ取り出した。サイズは、少し大きめのさくらんぼくらい。よく見ると、中で小さな小さな煙のような渦が巻いている。


「フォーチューン・ダイスだ」


 FBのささやくような声が耳に忍び込み、心臓が一度ドクンと動いた。オレはそのサイコロから目が離せなかった。

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