第3話 使用人たちの薫陶

「それでは今日からこちらで働くお前たちにはこれから3日間で最低限のマナーと業務上の作法を身に付けてもらう。その間昼夜問わず常に気を抜かず、当家に恥じぬ人材となるよう心するように」


 アンナが来て1週間後。

 今日は新人使用人の受け入れ日だ。


 集められた使用人は三十余名。早朝に到着後荷物をおいた彼女らは、雲も少ない青空の下、使用人宿舎前の広場に直立不動の姿勢で整列している。


 受け入れの初日に限り働く者たちへの顔合わせと確認のためにゼガロも顔をだすことになっている。


 今口上を述べたのは教育係兼薔薇菱館・館長のハボット・レイスラー婦人。

 ロマンスグレーの髪を後ろに纏め、鋳像のごとき立ち姿に虎の双眸を宿した長身の容姿も相まり、その壮年の女性は他の使用人たちからは”最も硬い石の”(ギャムロック)レイスラー婦人として恐れられる。

 そう言わしめるだけあり仕事は完璧一部の隙もなく、ゼガロも一目置いている存在だ。

 管理職を示す黒地に金刺繍の入った厚手のケープも彼女がつければまるで軍装のようだ。


「それでは旦那様より挨拶を賜ります。傾聴!」


 レイスラー婦人に導かれゼガロが前に出る。


「ここの主人をしている、ゼガロンと言うものです。私はこの近辺では比較的有名であると自負していますが、もし私を知らないという方がいれば挙手を。……、居ないようですね。知っていることを長々と説明されるのは苦痛でしょう。私からは一言。待遇は保証します、突然解雇などということは過去にもありませんので、各自能力をいかんなく発揮していただければ幸いです」


「アホ面で半口を開けている間抜け共にはじめのレッスンだ!旦那様からお言葉を頂いたときは左足を半歩引いて腰を折る!このとき右手は胸に当てる!やれッ!」


 集まった面々が慌てたようにレイスラーの示した見本に習う。


「婦人、少々よろしいですか?」

「はい、旦那様」


 きれいな所作でゼガロの元に侍ったかと思うと、瞬時に踵を返して新人たちに指示を出す。


「この後正午から本格的な指導に入る!それまでに各自準備を済ませておけ!」


「はッ」と軍式の返事を返す者、上ずった返事をする者、先程の所作を返す者。まだ慌てふためいた様子でそれぞれバラバラの返事を返す見習いたち。


 この状況に面食らった新人たちからは様々な声が挙がっていた。



「私、来るとこ間違えたかも」

「まあここの訓練が厳しいっていうのは有名でしょう。だからって他に行く所があるっていうの?あるのなら帰ればいいわ。私はどんな仕打ちを受けても絶対に残るわ」

「そうね。女の扱いが悪いのはどこでも同じ。金に誠実な有力商人に拾われるなんてまたとない幸運だわ。あの様子じゃヘマでもすればムチが飛ぶかもしれないわね。でもそれがなんだって言うのかしら」

「むしろムチさえ受ければ辞めさせられることは無いものね。簡単な話よ。意味もなく殴られて給金をごまかされる前の職場よりよっぽど良いわ」

「あなたの前職って?」

「農家の下働きよ。泥だらけになるし農具で怪我をしても休めない。それでも生きるためにはやるしかなかったわ」

「でも三日間夜も休み無しって言ったわよ?」

「3日間だけね。どんな仕打ちを受けるかわかったものじゃないけど私たちは使用人候補よ。顔をやられることはないわ。顔さえ無事ならここがだめでも娼婦としてまだ望みはある私は気にしない」

「3日間不眠不休でしごかれるってことなんでしょうね」

「当然よ、その間私たちは仕事をしないのよ?むしろご指導いただけると思えば3日間眠れないくらい……たったの3日よ」



 そんな会話が離れてレイスラー婦人と日程の確認をしていたゼガロの耳にも届いていた。


「あの、レイスラー婦人、ほどほどにね?」

「御冗談。ゼガロ様の使用人に程々の者など不要です」


 レイスラー婦人の微笑みをどう眇め見ても笑みと認識できないゼガロの状況把握能力は正常に機能していると言えるだろう。




 ●


 ゼガロが本宅に戻った後、新人たちは集められた使用人宿舎の前庭でレイスラーの訓示を受けた。


 お家の歴史から日々行う業務すべての内容、家の間取りに心構え。

 それらの説明は日が傾く頃にまで及び、その間新人たちは誰一人として一歩たりともその場を動くことなく直立のまま必死に内容を頭に刻みつけた。


「分かりましたか?」

「はい、婦人」


 終わる頃には顔色の優れない者もいたが、皆必死に食らいついているといった様子だ。


「では、これまで。自分の割り当てられた部屋は分かっているな?一度部屋に戻ることを許可する。次の鐘が鳴ったら講堂へ集まるように。以上!」


「あ、ありがとうございましたっ!」


 レイスラー婦人はそのまま本館の方へと歩み去った。

 例の姿勢のままそれを見送った新人たちは、もう頭を上げてもいいだろうかと互いに目配せをし、誰からともなく体勢を崩す。


「……え、終わり?夜中の訓練は?ムチは?」

「……どうやら無いみたいね」

「待って、それはいくらなんでも短絡的じゃない?抜き打ちで夜中に今日覚えたことの確認なんかがあるのかも。嫌よ私、寝てましたなんて理由で落第するのは」

「いいえ、講堂と言っていたわ。次は一般教養や算術の座学じゃないかしら?もしかしたらテストがあるかもしれないわ」

「そうだとしたら食事はどうなるの?あなた前のところではどうだったの?」

「使用人ははじめて?普通は出入りの業者に頼むために取りまとめをする担当を決めるのだけど…わたしたちはまだ何も聞かされてないから」

「ないから?」

「手配が整ってからということになるでしょうね」

「待ってください、私はたまたまゼガロ様にお声がけいただいたのですが、食事はつけていただけると聞いたのですが…」

「お屋敷によってはあらかじめ給料から差し引かれるところもあるけれど…それも初月は無理ね。まだお給料をもらっていないんだもの」

「今月の給料じゃダメなの?」

「それで何人が来月も残ってる保証があるのかしら?そんなことをすれば街中の浮浪者が1日分の食事を食い逃げするために試験を受けに来ることになるでしょうね」







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