第2話 服屋の事情


「リネット、この後の予定は?」


 朝、輸入元売り商社の代表との会合を終えたゼガロは、秘書兼メイドのリネットを伴って繁華街の通りを歩いていた。


「はい、男爵と金融事業に関する打ち合わせが一件。恒例の店舗視察はこのペースですと2店舗ほど回っておくのがよろしいかと。夜の予定は本日はありません」

「金融事業の打ち合わせか……ただ金を借りに来るのになぜそんなお題目が必要なんだか」

「貴族社会におけるマナーの一貫です。ご留意ください」

「わかったわかった、リネットがお硬いのも相変わらずだな。それじゃあ午後の予定の前に昼食にしよう。大通りの食堂へ向かってくれ」

「かしこまりました」



 ノームの帽子亭。

 大通りの外れにある中規模のエールハウスは今日もなかなかの賑わいを博している。

 エールハウスというのは夜は酒場営業をする定食屋というような店のことだ。


 満席かと順番待ちを覚悟したが、店主が声を出すより早く動いたリネットが交渉をまとめたらしく、客を詰めさせて4人がけのテーブルを一つ用意していた。


「まったく、俺より権力の使い方を心得ているな。頼もしい限りだ」


 席に腰掛けると、手早く”昼の盛り合わせ”を2つ注文する。

 ここで他のものを注文する意味はない。


 よく利用する店なのでゼガロが現れても一瞬空気が止まるだけで今では騒がれることもない。

 そんな繁盛店の様子を見渡し、傍らに立っているリネットに声をかける。


「リネット、座りなさい」

「旦那さまと同席することはできません、どうかご了承下さい。それに私には給仕があります」

「それは店員がやってくれるから。仕事を取ってやるんじゃない。もう二人分の注文をしたし、4人がけのテーブルに一人で座る俺の肩身が狭いだろう」

「その程度のことでそのご立派な肩幅が萎縮するとは考えられませんし、旦那様の体躯を持ってすれば二人分など容易かと」


 澄ました顔でともすれば煽りのような言葉が返ってくる。

 これを冗談で言っているのか本気なのか、その涼しい顔からは読み取れないのがリネットの良くないところだ。


「それに、旦那様の口周りをお拭きして差し上げなければなりません」

「わかった、すぐに席に着くんだ」


 これは冗談だとゼガロでもわかる。

 本気だったら恐ろしい。


 そんなことを言っているうちに料理が完成したらしい。

 大皿を両手に持った給仕の女の子がおぼつかない足土どりでこちらに向かってくる。


「リネット、あれは少し……」


 ――あぶなそうじゃないか?


 そう言い終わるのを待たず、少女は足をもつれさせてバランスを崩したかと思うと手に持っていた大皿が景気よく中を舞った。


 パン、豚肉のシチュー、チーズ、ザワークラフト、ふかし芋。

 田舎出身の店主が直接故郷の村から仕入れているという鮮度と品質が売りの、ゼガロのような舌の肥えた商人にも愛される昼の定番の盛り合わせ。それがいま空中を滑りこちらへとやってくる。


 一呼吸もしない間、宙に投げ出されたそれらは放物線を描いてゼガロたちのテーブルに盛大に落下した。


 店にいた客も店員も視線を自分の手元から放り出してこちらに注がれ、店内から物音が消える。


「……。旦那様さま、お怪我は?」


 ゼガロをかばって全身食べ物まみれ、黒髪からシチューを滴らせながらリネットがこちらを顧みる。


「……あ、ああ、大丈夫だ。ありがとう。ところで、リネットはここに来る前は剣士か何かだったのか?今信じられない動きを見た気がするんだが……」

「……。それより、お召し物が少し汚れてしまったようです。申し訳ありません」


 見るとスラックスにザワークラフトが二片ほど乗っていた。

 そんなことより大皿の盛り合わせ2つを盛大にばら撒かれて、対面の席からこの程度の被害に抑え込める理屈がゼガロには理解できなかった。


「これくらい問題ない。それよりリネットの服を……、ひとまず近くの店で買い揃えようか」

「いえ、私はこれで」

「そういうわけにはいかないだろう。食べ物まみれの女性を街で連れ回す俺は一体どんな目で見られるんだ」

「しかし私のために無用な出費をしていただくわけには――んひゃんっ」


 いつも通り冷静にごねていたリネットがらしからぬ声を上げる。


「なんだ、どうした!?」

「い、いえ。シチュー肉が首筋から背中の方に……」


 自分でも思いがけない悲鳴を上げてしまったのだろう。珍しく真っ赤になって言いよどむリネット。


「はあ……それじゃあ、服を買いに行くってことで文句はないな?……それで、お嬢さんは大丈夫ですか?」


 もちろん店とすっ転んでしまったウェイトレスをこのまま放置して出ていくわけにもいかない。

 悪いがリネットにはもう少し待ってもらうことにして彼女を起き上がらせる。



「あわわわわ、わ、わたち、またやってしまいました――ッ!!どうしましょう!もうおしまいです……!」


 また、ということはこういうことが以前にもあったのだろう。

 店主が厳しいのかずいぶん怯えた様子で、あまり厳しく注意されるようなら多少かばってやらなければならないかな、などとゼガロが思案していると、やはり厨房の方から騒ぎを聞きつけたのか店主と思しき男の怒号が飛ぶ。


「コラァ!アイナッ!!一体何度目だ!?」


 男は怒鳴りながらこちらに詰め寄ってくると、うつむくアイナに詰め寄り、なおも叱りつける


「俺は先月言ったよなァ!?次も同じ調子ならクビだってよぅ。今月もう十度目だ、お前がお客に料理ぶっかけたのは!いい加減にしろ、ウチはそんな特殊なサービスはやってないんだよ!今日こそは辞めてもらうからな!!」

「そ、そんな!それだけはっ!私、今度こそ頑張ります!もう絶対に失敗しませんから」

「ああそうかい、それは先月も先々月も聞き飽きるほど聞いたがな?何か?お前は使えない上に嘘つきなのか?俺に使えない嘘つきに給料払う利点があるなら聞かせてみやがれ!」


 言うだけ言うと、店主の男はゼガロたちに平服抵当謝罪をして許しが出ると一目散に厨房へと戻っていった。


 理不尽に怒鳴られるようなら養護してやるつもりだったゼガロだが、残念ながらどうやら庇い立てする余地が見つからないくらいには店主が正しい。


 それなりに忙しい店のようだ、月にそう何回もこのレベルの失敗をされては損失もかさむというものだろう。むしろ今までよく雇っていたものだ。


 叩き出された少女は泣きながらトボトボと歩み去ってしまった。


 ゼガロたちもひとまず服屋へ向かおうと立ち上がる。

 そこに先程の店主が駆け寄り、持ち帰り用に包んだ盛り合わせを2人前渡される。もちろんお代はいらないと言い、さらには服を弁償すると申し出たがリネットの服はおそらく彼の数日分の生活費を超えてしまうだろうし、洗えばまた使えるだろうと辞退した。


「彼女は前からあんな調子で?」

「え、ああ、アイナですか?あれは数ヶ月前にどうしても雇ってくれと頼み込んで来ましてね。あまりの根性と気迫に負けて雇ったは良いのですがあの鈍くささでして」

「それほど鬼気迫る理由はお聞きしても?」

「いえ、それは私も知らないのです。裕福な家庭では無いようですし、このご時世誰も何かしら事情は抱えているでしょう」


 追い出された彼女も気になるが店主の事情も同情の余地がある。

 うまく生きるというのはいつの時代も難しいものだ。



 帰りがけ、男女4人が駆け寄ってきてゼガロはしきりに礼を言われた。

 どうやら席を確保する際にリネットが彼らの食事代を払ったのだろう。


 仕事中の出費に私財を使うなともう何度も言っているのだが。リネットは優秀であるにもかかわらず、どういうわけか何度言っても覚えられない指示がいくつかあるらしい。



「それで、服屋にはどういったご用事で?」

「どういったも何もリネットの服を買いに行くと言っているだろう」

「いえ、ゼガロン様が私共のような者の服を買うためだけに自ら実地に足を運ばれるなど考えられません、もとい、あってはなりません」

「一体俺を何だと…」


 思っているんだ、と言いたいところだったが、実は新人の使用人たちの制服について相談したいことがあったので全くの無実を証明することができないと判断したゼガロは弁明をやめた。


「リネット、君の使用人としても身分は?」

「はい、マクロイ様以下ゼガロン様の従者4等級です」


 ゼガロの屋敷では使用人は職能別に分業されており、従者に於いては侍従長マクロイを筆頭に5等級が3人、4等級が15名などとなっており、3等級以上が従者としてゼガロに同行を許される。


 具体的には、5等級は管理職、4等級は熟練者、3等級は上位技能者、それ以下はゼガロに直接合うことのない無い部分の雑用をこなす見習いと言った具合だ。

 直接会わないというの具体的には、ゼガロの外出中に執務室のペンのインクを補充するなどだ。インクの補充はできるが、直接ゼガロに渡さなければならない場合には上の者を通さなければならない。


 ただそれらの等級とは別に個別の準指揮権を持つ者たちがいる。

 たとえば、清掃担当の処分係は4等級で指揮権はないが、ゴミ出しのタイミングや種類の指定を行うためにどうしても各所に指示を出すことになるというような具合だ。


 こういった制度は主にマクロイが指揮しておりゼガロ自身は関知していないが、以前から彼らにも何らかの服飾的な認識票を与えることを考えていた。


「なるほど、そうしますとなにか簡易なものでかつ常時着用可能なものということになりますね。人数を考えればそれなりにまとまった出費にもなります」

「まあそうだが、それを今から相談しに行くというわけだ」

「……ん?そうしますと、出入りのベリーヌ服飾店に連絡するのがよろしいのでは?今我々が向かっているのは……」


 そう、二人が今向かっているのは、あくまで当座のリネットの服の替えを用意するための最寄りの服屋である。断じて天下の豪商ゼガロに使える使用人のお仕着せを発注するような店ではない。


「いらっしゃい」


 店の扉を開けると小柄な店主の男が何やら手を動かしながら声を上げた。

 古着屋や作業服などの店を除き、いわゆるお洒落着をおいていると思しき最寄りの店がここだった。


「すみません、連れが服を汚してしまいまして、なにか彼女に似合う当座の服を見繕っていただけますか?」

「あー、はいはい。すぐお伺いします。少々お待ちを」


 店主はあと少しで作業に区切りがつくのか手元をせわしなく動かしながら返事を返す。

 しばらくもしないうちにカウンターの方へやってきた店主は二人を見て丸メガネを指で摘んだまま仰天した。


「ゼガロン・ゴルドゴート様……!?は、あ、あの、本日はこのような店に一体どういったご要件で…??」



 その後、本題までの道筋が難航したことは言うまでもない。


「しかしゼガロ様、どうしてこのような店に発注を?」

「特に意味はない。特に意味はないが、富とは分配されてこそ意味がある」


 帰り道のリネットは始終その言葉の意味を考えているようだった。










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