第1話 偶然の勧誘

 ゼガロには幼少のころより前世の記憶のようなものがあった。


 そこでの彼は貧しく、そして金持ちたちがどのような生活を送っているのか垣間見ることができる程度には裕福であった。


 様々な媒体で垂れ流されるそういった記事を見るたびに思ったものだ。


 どうして使えもしないほど金を溜め込み有意義に使おうとはしないのか。

 余剰分だけでも貧するものに分け与えようとはしないのか。


 まるでステータスであるかのように意味もなく、ただ大きい方のおもちゃを欲しがる子供のように金を集め、その金を使って金を稼ぐ虚像の愉悦に溺れるのはそんなにも楽しいものなのだろうか。


 それは富める者の立場を得たことのない前世のゼガロには預かり知ることのできぬものであった。


 前世の彼はよく考えたものだ。

 もし自分にそれだけの金があれば何をするだろうか、と。


 街にいる浮浪者たちに家を買い与えるだろうか?

 貧困国に出向き食料を配って回るだろうか?


 もし自分が次々と金を稼げる立場にあったなら、彼はおそらくそういう道を選んでいただろう。

 収益を得るための実務は信頼の置ける者に任せて、自分は誰かのためになる、誰かを助ける活動をしていたかもしれない。


しかし生憎と実際の彼の家は低所得者層であり、多くの人と同様に彼自身にも商才の有無を知るような機会すらなく、その思い――夢が実現の道をたどることはなかった。


もちろん私財を投げ売っていくらかの貢献や施しをすることはできたかもしれないが、彼は何も慈悲の人間というわけではなく、高い志を持ってそんな事業をやろうと思うような慈善家というわけでもなかった。


前世においてそれはただ、もし過剰なほどの資産があるのならば何をしただろうかという空想の話だ。


 そして今生。

 何の因果かゼガロは国を買えるほどの巨万の富を手にしていた。


 祖父は鉱山で富を成し、父は潤沢な資金をもとにあらゆる商売において成功を収め、ゼガロもまたその父の教育に従って更にその資産を増やし続けた。


 しかし彼がそれに喜びを覚えることはなかった。


 ゼガロ自身は特別倹約家というわけではない。

 人並みに良い生活がしたいとも思っている。


 だが付き合いで招かれる貴族邸で見るように、いりもしない舶来の壺を飾ったり、食べもしない料理をテーブルに並べさせたりすることに意味があるとは到底思えなかった。


 家はしっかりとした壁と屋根があり、ベッドは柔らかく清潔。食事は旨く十分な栄養が取れれば特段それ以上は望まない。


 ところが働くことは好きだったため、その商才と手腕によって結局のところ彼の資産は増え続けている。


 ――これではかつて理解不能と切り捨てた金の奴隷と同じではないのか


 そんな想いも抱きこそすれ、仕事はする、浪費はしない、大きな金を使う暇もない。


それが全ての金持ちのスタンダードな思考とは到底思えないが、働くことが好きで浪費癖がなければ勝手に資産は増えていくのが摂理である。

そんな一つの答えにゼガロはたどり着いていた。


 つまるところ、彼は自身の持つ莫大な資産の使い道についていささか苦慮しているのだった。




 執務室で朝の書類整理を進めながら何かいい方法はないものかと考えていたゼガロがノックに応じると、執事長のマクロイが慇懃な礼をして部屋に入ってきた。



「おはようございます若、ご気分はいかがでしょうか?」

「ロイ、いい加減”若”はやめてくれと言っているだろう、俺はもう10年も前に成人して今では家督も継いでいるんだぞ」

「これは失礼を。このマクロイといたしましては若はいつまでも若……いえ、以後気をつけましょう」


 彼は幼少の頃よりゼガロ付きの執事として仕えているのだから無理からぬことではあるが、ゼガロからしてみれば耐え難いものがある。


「それで、要件は?今日は来客の予定はないはずだが」

「いえ、午後から一件。炭鉱夫の組合長がお見えになる予定です。なんでも火急の用向きだとか……。昨夜早馬が来たばかりで」


 通常現場の者である組合長や監督者が直接ゼガロのもとに来ることはない。何かあれば炭鉱事業全体をまとめる総括長が処理を行い、ゼガロのもとには報告のみが届くことになっている。


 もとより数多ある事業それぞれを社長自ら指揮できるはずもないからだ。


「炭鉱部総括じゃなく組合長が?」

「はい。詳しい用向きは記されておりませんでしたが至急お会いしたいとのこと」

「まあいいだろう。準備をしておけ」

「準備といいますと……」


 マクロイが自身のスーツの襟元を正す。

 現場の者は叩き上げのものが多く、身なりや礼儀にはあまり頓着しない。


「ああ。用はそれだけか?」

「いえ、若……旦那様が昨夜お連れになった女性が目を覚まされたようです。世話を言いつけられたメイドが食客として対応中とのことですが、その後はいかがいたしましょうか?」

「わかった、俺が行こう。食堂に朝食を二人分用意させてくれ」

「かしこまりました」


 再び慇懃に頭を下げると、マクロイは音を立てずに扉を締めて部屋を後にした。




 少し後、ゼガロが食堂に入ると20人掛けの大テーブルの置かれた広間には給仕のメイドが一人壁際に控え、そして、その横に昨日の女が所在なさげに視線をさまよわせながら立っていた。



「……フィーナ、これは?」

「おはようございます、旦那様。そちらの御婦人は指示通り食客として対応しているのですが、私より身分が低いため私が立っているうちは席につくことはできないとお考えのようです」



 確かに、彼女が貧困層であるなら労働階級のフィーナよりは身分が低いと言えるかもしれない。が、実際には下流階級は下流階級であり、それ以上に細分化した身分は国が定めたものではなく単なる世俗的な認識にすぎない。



 ――まあ、昨日の自身の身なりとフィーナを比べたなら卑下するの無理からぬことではあるか



「おはようございます、レディ。昨晩はよく眠れましたか?」

「は、はい、それはもう。過分なご配慮をいただき……」

「それは良かったです。よろしければお名前を伺っても?」

「し、失礼しました!私はアンナと申します!……それで、その、汚してしまった寝具につきましてはなんとか弁済さていただきますので――」


 昨日からのことではあるが、彼女はゼガロに迷惑をかけることを過分に気にしているフシがある。無理からぬことではあるが、これでは人間的な会話というものが成立せず、それはゼガロの望むところではない。


 一度話題を変えるべきだろうな、とゼガロは思案する。


「アンナさんはどこかで教育を受けられた経験が?」

「え?」



 薄汚れた着衣や痩けた体のせいか見た目は客観的にみてよくはない。それは事実として、その先入観を排してみると彼女の言動は貧民層としてはやや粗野さに欠けるのが気になった。



「ああ、失礼。まずは朝食を食べましょう。そちらの席へどうぞ」

「ですが…」



 アンナはなおもフィーナを気にしている様子だ。

 あるいは何か助けを求めているのかもしれない。



「フィーナ、朝食は?」

「使用人は皆すでに済ませております」

「だ、そうです。すみませんね、どうやらうちの使用人は主人やお客様より先に食事を摂るらしい。どうぞ、ご遠慮なく」


 場を和ませこちらの非を詫びることで立場関係を整えるためのジョークだったがダシにされたフィーナからの視線が痛いゼガロだった。


 彼がその視線に込められた不満の意味を真に理解することは当分ないだろうことは想像に難くない。


 当主の勧めを断り続ける事の方が礼を欠くと考えてか、ようやく諦めたといった様子でアンナも席に着く。


 本日のメニューは白身魚の香草焼き、野菜のポタージュ、ポーチドエッグとカリカリベーコン――これはゼガロの好みであった――それにパンと上品な量のフルーツ。



「どうぞ、ご遠慮なく。それで、先程の話ですが、子供の頃学校には?」

「いえ、学校に通うようなお金はありません。ただ、10代の頃に数年お屋敷勤めを……といっても雑用と給仕番を少々したくらいで」


彼女の言う給仕番というのは主や客に対してのものではなく、使用人たちに食事を配する役職のことだ。上職ではないが、人間関係の折衝や互い違いにやってくる使用人たちへの配膳の調整など意外と苦労の多い職である。


「そうでしたか、いえ、ずいぶん言葉遣いが綺麗だと思ったもので。すいません、詮索するつもりはないのですが」



 ゼガロには言葉通り詮索の意図は一切なかった。


 本当に、文字通りただ気になったというだけだったが、相手からしてみれば突然屋敷にまで連れてこられて何か裏があるのではないかと疑うのは当然のことだろう。


 しかしこれもゼガロの商才の一端というべきか、彼女のその背景は彼にとって都合のいいものだった。


 彼は昔から”自身の求めるものを掴み取るための要素を見つけ出すこと”に非常に長けている。



 疑心暗鬼か諸々の心配からか、アンナの手元を見ればお世辞にも食が進んでいるとは言えないようだ。



「お口に合いませんか?」

「め、滅相もありません!ただ、もしお許しを頂けるのなら持ち帰らせていただく許可をいただけないでしょうか?」

「私がいると落ち着かないというのでしたら席を外しますが……」

「いえ、いえ!」


 アンナは華奢な体からは想像できないほど力強く手を振って否定する。

 招かれた豪邸でその主を退席させるなど彼女からしてみれば狂気の沙汰だろう。


「家に娘を残しているのです。こんな商売をしている身で、いつ誰に授かった子か……いえ、それは想像はつくのですが父親はとおに行方も知れません。娘自身も今年で16というのに器量も悪く日々喧嘩に明け暮れる始末で……。ただそれでも私にとっては、親にとっては子は子なのです。こんなお料理、頂ける機会も二度とはないでしょう。一生に一度の思い出をあの子にも分けてあげたいのです」


家族思いな性格からか、今までになく饒舌に訴えるアンナ。

そしてこれもまたゼガロにとっては都合の良い要素であった。


「なるほど、お子さんが……。でしたらお気になさらず。帰りにいくらか用意させましょう」


 ――家族がいるのなら昨日その場で連れてきてしまったのは下策だったかもしれないな


 自分では働かず、妻に体を売らせるような下劣漢の亭主というのも居ないわけではないが、通常娼婦に家族がいるとは考えない。


 しかし娘がいるのであれば揃って招待するべきだったとゼガロはわずかに後悔する。

 そうすればこの不安そうな女の居心地も今よりはましにできただろう。



「……どうして私などにこれほど良くしてくれるのでしょうか?‥‥私に返せるものなど何も……食べるに困り春を鬻いで来ましたこの身ですが、それも旦那様を満足させられるようなものでは到底……」

「なッ!?それこそ滅相もない!決してそんなつもりで屋敷へ招いたわけでは……!」


 フィーナが彼女の職にわずかに反応したことにもゼガロは気づく素振りはない。


 もちろんゼガロはそういう目的で彼女を招いたわけではない。

 女が買いたいのなら王都一の娼婦を今すぐここへ呼びつけることもできるし、それ以前に悪友から朴念仁などと不名誉な称号をつけられているゼガロにそんな気はさらさらない。


 それに何より、困っていそうだから助けると言うのは彼の性分のようなものだ。

 それは慈善などという高尚なものではなく、単に余裕があるのであれば施しをすることに何の抵抗もないというのが彼の性分だ。


彼からしてみれば水瓶に水が余っていたから軒先の花にかけてやるだとか、道で荷物を落とした見知らぬ人の手伝いをする程度のことでしかない。



 逆にいえば、身を削ってまで誰かを助けたいと言うほどの意欲があるわけではないのだが、相手からすればその辺りの違いに意味はなく、何の見返りもなく助けてくれる相手は総じて聖人に見えることだろう。あるいは単に不気味だ。


「それはさておき、生活に困っているようですがどうでしょう、よければうちで働いてはもらえませんか?」


アンナの顔はまさに鳩が豆鉄砲を食らったそれだった。


「ゼガロン様のこのお屋敷でですか!?……夢にもない申し出ですが、私には特別な技能もなく容姿もこの通り……ましてやこのように貧相な見てくれではご家名に傷をつけてしまうのではないかと……」

「それでしたら大した問題はありません。メイドは常に募集しておりますし、特に技能を求める職種でもありません。お体の心配でしたら食事付きなので徐々に回復するかと思います。無理強いはしませんが、少なくとも今よりは安定した収入になるのではないかと思いますが」


 実際には彼女にはとある役職を任せたいと言うのがゼガロの本心だが、ここで無闇に責任を乗せるような情報を出すのは良くないだろうという判断で、さしあたり使用人ということにした。


 ゆくゆく彼女のお屋敷仕えで得たというマナーや教養は役に立つだろう。


 ゼガロ自身は気づいていないが、彼は大抵のものは金で手に入るということをもうずっと前から感覚として知っている。



 ●


 アンナは地頭のいい女だった。

 この話が言葉通りに使用人になれという話ではなく何か裏の目的のようなものがあることも、それを差し引いても言葉通り夢にもない幸運であることも正確に理解している。


 しかしおそらく給金は多くはないだろう。

 道端で拾った場末の娼婦に召使いの身分を与え、その上まともな給金を渡すメリットがかの豪商にあるとは思えない。


 まさしくいくらでも替えの効く道具でしか無い。


 ゼガロンといえば孤児でも知っている大陸一の大金持ちと噂される豪商だ。

 商人は稼ぐことも大事だが不要な出費を嫌う。自分のような身分のものであれば理不尽に扱っても誰にも文句を言われることもなく、使い潰してもいくらでも用意できる。


 それでも大陸一の商家に使える者と場末の娼婦では干からびたミミズと大蛇くらいに立場が違う。


 それゆえに朝起きてメイドをつけられたときは流石に動転した。


 ――だって、大蛇に身の回りの世話をさせるミミズだなんて……


 考えうる最低の待遇だとしても食事が出るだけで御の字だ。

それに、使いっ走りだろうがその身分だけで街でぞんざいな扱いを受けることは金輪際なくなるだろう。


 商人は嘘をつかない。

それに本来一生目が合うことすらないはずだった豪商は話しみると意外なほどに物腰の柔らかな男だった。

 答えは考えるまでもなかった。


「私でよろしければ、どうぞお使いください」

「引き受けていただけますか」

「はい。ですが、不躾ながら一つ願いを聞いていただけたらと」

「願い?なんでしょう?」


 こちらを見るゼガロンの目から感情を読み取ることは難しい。


 興味、不安、苛立ち、牽制、余裕、猜疑。

 アンナにはどれも違うようにみえる。


「さきほどゼガロン様は常に使用人を募集しているとおっしゃいました。では、娘もともに雇ってはいただけないでしょうか?」

「なるほど……。娘さんは確か……」

「はい、器量も悪く粗野で手もつけられません……それでも優しいところもある子なのです」


 ダメだろうか。

 どう考えても自分以上にゼガロンに娘を雇うメリットはない。


 雇うどころかこれは体の良いお守りだ。

 雇うのであれば当然使えるように教育する必要がある。


 要は娘の矯正をしてくれと言っているようなものだ。しかも給金を出しながら。


 無謀なことを言っていることはもちろん理解しているし、相手がそれを察していることも当然わかっている。

 これが断られたとしてもアンナ自身が今回の申し出を拒否するというわけでもない。


 それでも、こんな機会は本当に夢にもない。

 その夢に賭けてみても良いのではないかと考えたのだ。


 でなければ、このままでは娘の人生に先はない。


「いいでしょう。では、3日後に二人で屋敷の前まで来てもらえますか?」

「あ、ありがとうございます!どうか娘を、よろしくお願いします。どんなにつらいしつけを頂いても構いません、どうかあの子を一人の人間に……!」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る