コクハクの海姫

ねこみや

コクハクの海姫


淡い月明かりに照らされるのは夜の海と彼女から伸びる白い腕。

彼女の漆黒の髪は暗闇と区別がつかないほどに溶け込んでしまい、その光景すら美しいと思ってしまった。


.


「いつきくーん!私たちこれから夫婦旅行に行ってくるから」

「だからお前は父さんに見てもらうことになった。…と、いうわけで泊まる準備をはやくしてきて欲しいんだよ」

高校一年の一学期終業式という一段落できる節目を迎えた樹が自宅へ帰宅した途端告げられた母と父の言葉。

母と父共に突然予想もつかない行動をとるのは今に始まったことではない。

だが、…ここまで急だったのは初めてであったため樹は素直に流石に驚いた素振りを見せた。

「はぁ!?なにが"だから"なんだよ!僕はこれから夏休みなんですけど?」

「おう、知ってるぞ。これからパパとママも夏休みだ」

な〜ママとかね〜パパとか言い合っている両親は年相応という言葉を知っているかと頭を抱えたくなったが今はそんなこと樹にとって些細な問題であった。

「それならさ夏休みなのになーんで僕がじいちゃんのとこに行かされなきゃならないんだよ!」

「だってお前、こっちに一人でいても家事なんてろくにできないし」

家事ができない。

それは悔しいが正論であるため反論できなかたがそうではない、そうではないのだ。

「僕は16歳唯一の夏なんだけど!?青春真っ盛りなのに島に行かされるって断固拒否するね」

「んーっとね…ママだってそうやって思ってパパと話し合って譲歩したうえで塾の夏期講習受けてくれるならこっちに残らせてあげてもいいかなーって思ってたの。だからママ何回も樹くんに塾の夏期講習勧めたじゃない?でも樹くんいらないって言うから…ね?」

どうやら十六歳というこの貴重な夏には2つの選択肢が用意されていたようだった。

一つは現実として叩きつけられている祖父の住んでいる島へと預けられること。

そしてもう一つは…樹が今望む通り島へ行かなくてもいい代わりに塾の夏期講習に追われる選択肢。

まず旅行が以前から決まっていたと知っていれば選びようもあったかもしれない。なんて愚痴はでてしまうが結局選択肢の中には樹が求めていた青春なんて欠片も入っていないのだからどちらにせよあまり希望があるモノではない。

「なんだよ…その最悪の譲歩」

「だけどなもうお前には夏期講習を受けるという道はない!よって、父さんのとこに行く準備を十分でしてこい!」

「……はぁ、ちなみに何泊なんだよ?父さんたちのフウフ旅行の予定は」

こうなってはもう自分に抗うすべはないと諦めフラフラとした足取りで自身の部屋へ向かう中その旅行は何泊の予定なのかという希望に気づいた。

両親が計画する旅行は長期旅行と一泊二日か二泊三日程度の短期旅行があるのだ。もしかしたら今回は短期旅行かもしれないと少しでも可能性を求めたのが運の尽き。

「聞いて驚け〜??なんと三週間ヨーロッパ旅行だ!」

聞いてもない行き先までご丁寧に教えてくれたが三週間という夏休みをほぼ全て浪費する長い時間に目眩がする。

あぁ自分は大切な一夏を何ひとつの娯楽などない島で終えてしまうのか、と。


そこからの両親の行動は異常なまでにはやくボーッとした息子にさっさと支度させて車へと乗り込んだ。

車の中はまさに天国と地獄。

これからの旅行に思いを馳せる両親と比べこれからの休みに絶望する息子。その空気はまさに耐え難いものだった。

けれどその時間も直ぐに終わりを迎え、樹だけポイッと放り出されるように船乗り場へと降ろされるのである。

血の繋がった息子に対してなんと無常。


何度か利用したことのある船乗り場へこんな形でまた足を運ぶなんて憂鬱だ。なんて思いつつ船に乗り込み両手に抱える自身の荷物を置いて座席へと座ればドッと疲れの波が押し寄せて少年はいつの間にか眠りの中へと誘われていた。


そんな日から一週間、樹は言わずもがな怠惰な生活を送っていた。最初の数日は暇すぎるが故に夏休み課題に手をつけてみたが長くは続かなかった。

そもそも夏の暑さは異常だというのに祖父の家にある暑さをしのぐものといえば扇風機と団扇程度。

涼める環境が整っていない暑さの中で夏休み課題なんて捗るわけがなく、そう!これは全て暑さのせいだ!と理由をつけて問題を後回しにしたのである。

そうして課題というものを忘れてしまえば後はスマホと持ってきていた家庭用ゲーム機で遊び気の向くままに眠りにつくくらいのことしか叶わない。


…そんな孫に呆れてかついに祖父から外出するように命令が下されてしまったのだ。

樹だって最初はもちろん抵抗したが行かぬなら晩飯を抜くという祖父の鬼畜の所業ともとれる発言により嫌々ながら外へと足を進めた。

「外出って言ってもさぁ、この島なにもないじゃんか」

ショッピングモールのような場所があればそこで涼めるわけだが、この島にそんな店はもちろんない。

「はぁ…海にでも行って帰ればじいちゃんも満足か」

どうせすぐに帰ったとしてもまた外へと放り出されるのがオチなのだ。それならば最初からある程度時間を潰した方がいいとふんだ樹は進行方向を海へと向けた。


そして海の浜辺より高く作られている堤防についた頃、樹は海辺に一人の少女の影を見つける。


砂浜を1人踏みしめながら歩き、時折跳ねながらその感触を確かめるように海風に当たる白いワンピース姿の大人びた雰囲気を漂わせる少女がいた。

その少女の漆黒の長い髪は少女の白くきめ細かい肌と引き立て合っており、それは今までないほど美しいという感情を湧きあがらせ初めて少女を見て思わず息を飲んだほどだ。

そしてこんなにも"美しい"という言葉が似合う少女が同じ世界に存在している事実は飽き飽きとしていた世界を彩り、自身の足はそうすることがまるで自然かのように無意識の中で少女へと吸い寄せられるように動いていった。


「ねぇキミはどこからきたの?」


夏だというのにこの砂浜には少女と自分だけ。本来なら海水浴で賑わっていてもおかしくない程の綺麗な海が地平線まで広がっているのだが人影がこんなにもないのはこの島が小さく、若者がいないということ以上に他の島との行き来が1ヶ月に2回の船しかないからだろう。

…島の外の行き来がもう少し便利であればこの美しい海には大勢の観光客が溢れかえっていたはずだ。けれど今はこの広い海と2人しか存在しない空間のおかげで少女は容姿が平凡な自分に興味を持ってくれたんだとしたら好都合なんて思ってしまう。

「僕がこの島の人間じゃないって分かるん…ですか?」

「そりゃ分かるよ。だって小さな島だし顔くらい誰でも覚えちゃうよ」

少女は当たり前だと言うように微笑めばキミ名前は?と問いかけてくる。

「田中樹、です」

「たなかってことは…んー、神社の田中のおじいちゃんのところの子かぁ。田中のおじいちゃんも孫が来てくれるって嬉しそうにしてたし、キミの事だったんだね」

少年の苗字は有り触れたものであり、実際に島をフラフラと歩いている時にもいくつか田中という表札を見かけたわけだが少女はすぐに祖父の名前をだし、家まで言い当ててしまった。

島の人間が分かるというのは本当なんだと関心していれば彼女から向けられるなんだか楽しげな視線に気づく。

「どうしたんですか?」

「ほら…、私はキミの名前を知った。だからキミも私に聞きたいことがあるんじゃないかなーなんて思ってね」

聞きたいこと、そんなことあっただろうかと思い首を傾げれば少女はもどかしそうにキミは私の名前に興味がないのかとボソリと呟いた。

「ち、違います!興味がなかったんじゃなくて、なんでしょう忘れてたというかなんというか」

先程までの笑顔から一転し少女の少し寂しげな顔に慌てて口を動かせば樹よりも小さな背丈の彼女が上目遣いで見上げる。

「あはは、そんなに慌てなくてもいいんだよ。興味がなかったんじゃないなら私の名前聞いてくれる?」

「…はい。あのお名前を聞いてもいいですか?」

「私の名前はね、まりん。柳まりんって言うのよろしくね、樹くん」

名前を尋ねるとそれは嬉しそうに答える少女…、まりん。

その笑顔はどこまでも澄んだ海よりも、都会のマンションから顔を覗かせていた空とは違う天然の青と白が混ざり合う空よりも樹の世界の中で輝いていた。


.


まりんと初めて会った日から早数週間、樹は毎日砂浜へと足を運ぶようになっていった。

祖父にはそんなに海が好きだったのかとなにか勘違いをされているけれど『まりんさんに会うため』なんて理由は気恥ずかしくて言えないのだから樹は仕方なく頷いた。

…毎日3時頃には海へと歩きにでている、と彼女から教えられたのは初めて会った日の別れ際だった。

樹だって運が良ければまたまりんと会いたいと思いつつ、こんなに小さな島なんだから自分がこの島から出る2週間後までにはまた会うことくらい出来るだろうなんて考え込んでいたわけなのだが、まりんからその事を教えてくれたことが嬉しく思ったのは記憶に新しい。

彼女からしたら珍しい外からの来訪者だったからかもしれない。歳の近い存在があまりいなかったからかもしれない。

変に浮かれてはダメだと思い"かもしれない"という可能性を何個も何個も自分の中に作り出したがそうだとしても樹と会いたいと思ってくれたかもしれない彼女のココロが純粋に嬉しかったのだ。


そして今日も例外ではなくまりんに会いに海へと足を運んでいた。


「やっときたねー、樹くん。ダメだよお姉さんを待たせたら!」

「お姉さんって…まりんさん一歳違いじゃないですか」

「えーそれでも私はキミのお姉さんでしょ?」

ことある事にまりんは自分をお姉さんだと言い張る。その理由はこの島に彼女と仲良くできるくらい歳が程々に近いものがいないから、らしい。

それに付け加えるように聞いたのは自分も年齢の近い相手に年下扱いというものをしてみたかったそうだ。

今日も真っ白なワンピースを纏ったまりんは海に足を浸し楽しそうに歩いている。その姿は相変わらず美しいと感じるが明るい彼女の姿を知ってからというもの彼女自身の天性の愛らしい可愛らしさとのアンバランスさを感じるようになった。

まりんの笑顔は誰が見ても可愛いらしいだろう。けれどたまに浮かべるなにもかもを見通したような微笑みは彼女の中に底知れないなにかがあるのではと感じてしまう。


「ねぇ樹くん。今日も聞かせて、この島の外の話」


島の外の話が好きなのか同じことを何度も尋ねてくるまりん。…樹は他の同年代の相手と比べても特別な16年間を過ごしたわけではない。そう自覚しているが彼女に聞かせられるような面白い話を懸命に絞り出し、身振り手振り毎回別の話を彼女に少しでも楽しんでもらえるように伝えた。

そして話の終わりには彼女は必ず一言呟く。

「いいなぁ」

そう一言だけ。

「まりんさんはこの島の外に出ないんですか?」

ただなんとなく質問をした。こんなにも島の外に関心を向けている彼女ならこの夏にでも島の外へ出ることは出来たんじゃないだろうか、そう思ったから。

「私は…出ないよ。一人ぼっちは寂しいんだもん」

子どもみたい?と微笑む少女。

あ、まただ。と彼女のいつもの笑顔との違和感を感じるけれど樹はその先には触れられない。

捉えることはできるのに捕らえることはできない。

まるで海の飛沫のひとつひとつである泡のように。

「まりんさんって寂しがり屋?」

「そうだよー。私はね、寂しがり屋でキミみたいな優しい人がいないと生きていけない寄生虫。優しいキミのこといつか私が食べ尽くしちゃうかもしれないんだから!」

"寄生虫"と自身のことを表現した少女の顔は背を向けられていたせいで見ることは叶わなかったけれどきっと彼女はまたあの微笑みを浮かべているんだろうと直感的に感じ、心の中にその言葉を大切にしまう。

「でもそうだなぁ。樹くんとならここを出るってのも悪くないかな」

「僕となら?」

「そう。キミがここから帰っちゃうよりもっと早くに2人きりで島の外にいくの」

まりんも樹もこの時間が長く続かないことを分かっている。樹が帰るまでの残り一週間と二日がタイムリミットで、この関係の終わり。

まだたかだか数日の付き合いだというのにこの関係は樹にとって心地がいいものだった。高校という狭い狭い世界でのノリに同調しただけのごっこ遊びのような男女関係とも、ふざけることが生きがいのような男同士の友情とも違う。

もっと安らぎを与えてくれて寄り添い合い、時間に身体を委ねるだけのこの関係が好きだった。だからこそ勇気を振り絞ってまりんに連絡先を聞いた時もあったわけだけどまりんはスマートフォン自体を持っていなかったのだ。

この小さな島でのコミュニケーションなんて足を運んで会えばすむ話。島の外の情報もテレビやラジオで満足。

そんな彼女の世界の中でスマートフォンというのはただの平べったい箱同然なのだろう。樹なんてスマートフォンを落としてしまうだけでも一喜一憂するのにまりんはそれをしない。

お互い違う点しかない二人だからこそこの心地いいバランスが保たれているかもしれない世界。それを今、壊さないように大切に過ごすのが樹の精一杯であった。


「…島の外にもしでたら、僕が案内しますよ。まりんさんが迷わないように手を取って」

「へー。手を取って、ね…つまり、こういうこと?」

少年の右手に細く長い指を絡ませ最後にぎゅっと握るとその感覚に違和感を覚えたのかまりんはにぎにぎと指の根すら互いについてしまうほどくっつかせる。

「へ!?」

「んーなんかちがうんだなぁ」

所謂『恋人繋ぎ』を平然とやってのける彼女を他所に今までかつてないほどに近いまりんとのキョリ、そして初めての女のヒトの手の感覚に驚いてしまう樹。我ながら男のくせに情けないと感じるがこれはまりんのような整った女のヒトに触れられたことによる当然の反応だと言い訳しておきたい。

「やっぱり私とキミなら、…こっちかなぁ!」

うん!やっぱりこう!と満足そうな彼女と樹の手は幼稚園の子どもがそうするような繋ぎ方へと変わっている。

「まりんさんはやっぱり子どもみたいですね」

「なに言ってるの、私以上にお姉さんと言う言葉がピッタリな女なんていないと思うけど」

ドヤと胸を張るまりん。その胸は幼い子どものように慎ましく張るものなんてないに等しいなんて言わない方がいいことは彼女なんて無縁だった虚しい16年間の中でも学んでいるわけで樹は目線をその胸元から自然とフェードアウトさせ話題をそらす。

「…だってほら、僕と初めて会った時にまりんさん名前を聞かれるだけで楽しそうにしてたじゃないですか」

「そうだけどさ…えっと、あれはあれだよ。だってねこの島で私が島の人たちの名前を覚えてるのと同じで島の人たちにもありがたいことに私の名前を覚えてもらってる。じゃあもう私が自分で名乗る機会なんてないわけさ」

「…だから久しぶりに名乗る機会があって嬉しかった、ってことですか?」

そういうことだよワトソンくん!なんて意味のわからないことを言いながらビシッとこちらを指さすまりんはやはり幼い子どものようで眩しくて夏の太陽がよく似合っていた。



.



「じいちゃん、僕さぁこの島にずっといてもいいかも」

「なにを戯けたことを言っとるんじゃ、このアホ孫が。ワシより先にボケおるなんてジジイ不幸じゃのう」

なんなんだそのジジイ不幸はと反論したくなるが祖父はこういうヒトなのだと樹自身理解している。

こんな小さな島で誰も使わない小さな神社を管理するなんて一般的に見れば変人の部類に当てはまるんだろうが樹にとってはたった1人の祖父。それだけの理由があれば祖父を尊敬するには十分だったし、樹は"じいちゃん"のことを人として好きだった。

「最近楽しいんだ」

「…そんなこと見ておれば分かるものじゃ。お前さんこっちに来た時より生き生きしておるし、来た時には絶対手放さなかったケータイだってろくに触らなくなったしのぉ」

祖父に言われ気づいたが最近は確かにろくにスマートフォンを触っていない。その証拠にメッセージアプリからの連絡は常に+となり溜まる一方。通知はいつから溜め込んでいるのか分からない。

まりんに会う以前なんてメッセージアプリの通知が表示されているのが嫌いで公式アカウントからの特に興味もない夏のバーゲンセール情報をひとつひとつ既読をつける作業をしていたというのに。

「それがお前さんにとっていい変化なんか悪い変化なのかは知らんがなぁ、こんなとこ若いうちからいるもんではないからやめておけ」

ほら晩飯でも食うぞと祖父が座っている位置から反対の座布団を指さされ自分も席に大人しくつく。


「いただきます」


ふと思えばこちらに来てからというものほぼ毎日の主食は魚だ。樹が肉を食べたいと言えば好き嫌いするでないなんて言う小さな文句は言いつつ結局は出してくれるだろうがこの島の中では肉は高値で買取されている。

そもそも一般客や島民が海を渡る船が1ヶ月に2回なのだ。食料など島民全員の暮らしていけるだけの生活用品たちを運搬する船は1ヶ月に2回以上訪れるだろうが本土よりも高値になるのは当たり前であった。

樹が祖父に遠慮したのかと問われれれば半分正解で半分違う。確かに最初は遠慮していた気持ちもあったけれど今はあまり明日の食、次の食に興味がない。あるのは今自分の目の前にある食事のみ。

島へ来てから数週間の間で思考自体がもっと違う美味しいものが食べたいというものからこの食をどうやってもっと美味く食べてやろうかと考えるようになっていた。

「確かに島の外には島にないもよがいっぱいあるけど僕がイイって思ったのはこの島の生活だったんだよ」

…この言葉だって半分正解で半分違うのだ。樹がイイと思っているのは"まりんのいるこの島での生活"なのだから。

彼女が島の外へ出ないというなら自分が島の中にいようなんてあさはかな考えではあると我ながら思うけれどそれは今樹自身が本心から望んでいたことなっていた。

「お前さんがそんなことを言うとはおもっておらんかったわい、明日は大雪かのぉ」

「うるさいな、でも僕だって無理なのは分かってるよ」

たかだか高校生一人ができることなんて限られていて、この島への移住なんて夢物語だ。現実的に考えて高校の退学届すら1人ではままならない上に両親が許すはずもなかった。

そもそもこうしてこの島へ来たのだって両親が3週間の長期旅行へとでかけたせい。樹だって人並みには高校初めての夏に心踊らせていたのにそれを全て親の都合で台無しにされ振り回されていたからこそこの島に来た時は不本意であり、早く時間が過ぎないかとカミサマなんてものに願っていたほどだ。

けれどそれが今ではここにいたいと願っている始末。ヒトというのは本当に厳禁な生物ですぐに答えを変えてしまう。

その答えがコロコロと変わってしまうからカミサマすら追いつけなくて叶えてくれるはずの願いも叶わなくなってしまうのではと思ってしまうくらい。

「出来ぬことが分かっておるなら言うでないわ」

「言ってみるくらいいいじゃんか。だって僕まだ若いんだし」

「なんじゃ?まるでワシをジジイのように扱って?」

喧嘩でも売っておるのかとか尋ねてくるけど元々ジジイと自分のことを称していたのを忘れないで欲しい。これは樹のせいではなくて祖父のせいだろうと主張してもよかったがそう反論するとややこしくなってしまうことが目に見えていたため残りのご飯を早々にかきこみごちそうさま!とその場を足はやに去っていった。


祖父にすら樹が変化したと指摘されて、自分でも感じる以前とは違うこの感覚は間違いではないんだと再認識できた。人間変わることは難しいと言うがそれは違うのだ。

常に同じ状態、同じ場所にとどまるからこそきっかけが生まれず変われないだけ。そして樹の場合変わるきっかけになったのは間違いなく毎日3時海辺で樹を待つ彼女。

自身の意図から変化した訳ではないが樹は今の自分の考えや感じ方は以前の自分よりもそれなりに気に入っているのだ。



.


「あーもう全然だめっ!」


まりんのことを見ていて飽きないヒトだとは思うがそれは今日も例外ではないようだと海辺へ下りながら彼女の姿をとらえる。

「今日はなにしてるんですか?まりんさん」

「やっときたんだね。樹くん、お姉さんは暇すぎて砂のお城を作っていたわけなんですよ。でもね、でもね…すぐに崩れちゃうんだ」

悲しそうにまりんが指さす先に残るのはただの他よりも砂が積もった砂の山もどき。

きっとそこには彼女が言う『砂のお城』があったんだろうとは思うけどここで砂の城を作るのはやはりいくらなんでも無理があった。

「…まりんさん、こんなとこで作ってたらそりゃすぐに崩れますよ」

「なんで?砂の城って濡れてるじゃないと作れないじゃない。ほら、こうやって掴んだだけでもすぐに逃げちゃう乾いた砂意味ないよ」

この人は本当に島育ちなのかと疑いたくなるような発言だが理屈的な面で見れば言っていることは合っている。けれど…

「確かに濡れてる砂じゃないと作れませんけどこんな波がくるかもしれないギリギリの位置で作れるわけがないでしょう!?というかもしかしたらせっかく作ったものが流されちゃうかもしれないんですよ?」

「?別にいいじゃない。流された時はまた1から作ればいいだけだし」

「…けど砂の城ってバケツとかスコップとかで作るものなんじゃ?」

まりんの周りを見回してもそれらしき道具はなにもなくいつも通り彼女が纏うのは白のワンピースだけ。

「それもいらないかなぁ、だって私が砂のお城!って言い張ったら樹くんは今みたいに最初は違うって言っても最後はあーそうですねって言ってくれるでしょ?」

今度はなにを思ったのか彼女が砂のお城だと言いはるのは先程指さしていた砂の山もどき。砂の山ではなくて本当に砂の山もどきであることは樹の勘違いではない。

「そうしたらねこれは私とキミだけの砂のお城なんだよ!誰がなんと言おうとこれは私と樹くんにとって砂のお城。これが絶対じゃない?」

こんな小さな島だし誰も文句なんて言わないし言われなさそうだけどと笑う彼女。

いつもは真っ白な指も砂をつついていたせいか茶色く汚れてしまっている。

「それでもいいですけど、砂遊びするならせめて洋服くらいは汚さないようにしましょうね」

砂の山もどきの前にしゃがみこむまりんさんの手を取り立ち上がらせると彼女のスカートについていた砂を優しくはらってやる。

「…ありがとっ!おばあちゃんに怒られちゃうのは勘弁だもん」

少女はよく祖母の話はする。だけど他の家族の話は聞いたことがない。

『自称空気を読める男』である樹はあまり立ち入るのも野暮な話だと思って聞かないでいたのだがなぜか今日は口を滑らせ尋ねてしまった。

「まりんさんっておばあさんと2人で暮らしてるんですか?」

「…そうだよパパもママももういないから私の家族はおばあちゃんだけ。でもね暗い話とかじゃないから安心して!私は今の生活なんとも思ってないからさ」

暗い話ではないと明るく言い切る口調に反してなんとも思ってないという彼女はまた"あの微笑み"を浮かべる。そしてその姿はいつもに増して寂しげで樹の心の中が静かにざわめいた。

「それに私にはねパパとママから残された大事なものがある、それで十分なんだ」

先程まで砂遊びをしていたせいで汚れていた指先を気にせずなにか大切なものを慈しむように互いの指を握りしめるまりん。

「大事なもの?」

「名前だよ、…名前はねヒトが産まれた際に初めて送られるギフトなの。だから私はそれがあったら2人のことを忘れないでいられるってわけ」

樹はそう得意げに話す彼女のことを『強いヒト』だと感じた。そして同時に両親からの形あるなにかではなく自分の中にある形のないものに価値を見いだし共に歩もうとするその姿は17の年頃の少女がすることではないように思えた。

「そういうこともあって、私自分の名前を言うのが好きなの。あーゆーあんだすたんど?」

覚えたての言葉を使いたい幼い子どものようにひらがな英語で問いかけるまりん。

樹にとってはまりんは初めて会った時感じた綺麗な少女というだけではない。まりんのことを強いヒトだと認めているが、こういう部分は幼いと思っていた。

その強さと幼さが歪に…けれど確かに存在している奇妙さがまりんの魅力だといえるだろう。

「……そういえば聞いたことなかったですけどまりんさんの名前って漢字で書くとどんな名前なんですか?」

「私の名前は漢字じゃないよ〜。本当は漢字にするつもりだったんだけど結果的にひらがなになったみたい」

樹の中でまりんという名前は特段珍しい訳でもないと思っていた。実際に中学の同級生で同じ読み方をする『真凜』という名前を名簿上で見かけたことがあったから興味本位でまりんさんの名前にあてられる漢字が気になったんだ。

「その漢字って?」

「海に姫。ほらこれでまりんって読むんだって」

まりんさんが砂浜に落ちていた小さな流木で海姫と書いた地面を指さす。

「綺麗な名前ですね」

この漢字でまりんと読むのはいささか難しいとは思うが彼女に限ってはこの名前が似合うと思った。

「でも『うみひめ』だよ〜私はさ姫とか言うがらでもないしひらがなに落ち着いたのは助かっちゃった」

それにね、うみひめなんてまるで人魚姫みたいじゃないと少女は少し不満げにつけ足すのだ。

「人魚姫嫌いなんですか?」

「う〜ん嫌いっていうかね自分の声を奪われてまで人魚姫は王子サマに会いに行ったけど、結局最後は海に一人消えてサヨウナラなんて寂しいでしょう?」

一人で消えた人魚姫を寂しいと言う目の前の寂しがり屋のまりん。

「それならまりんさんが人魚姫だったならどうします?」

「わたし?私は…そもそも海から出ないかなぁ。誰かを好きになったとしても今の自分を捨てるのが怖いんだよ、臆病だからさ」

樹より小柄な彼女にスルッと自然な動作で頬に手を伸ばされると勘違いしてしまいそうになる。人魚姫にとって王子が心を寄せた相手であったようにまりんにとってのその人物は樹なのではと。

「ねぇキミは私の望みを叶えてくれる?」

静かに問いかけてくるまりんは樹になにを望んでいるかは告げない。

「まりんさんの望むこと…って、」

「……そんなものなーいよ!」

沈黙の後まりんの纏う空気がガラリと変わればそこにいるのは無邪気な彼女の姿。

「なんなんですか僕をからかってます?」

ため息をひとつつけばそんなことはないとクスクス笑うまりんはやはり楽しげで歳が一つしか変わらないまりんにここまで振り回される自分は情けない、と樹は思った。

けれど樹をここまで振り回せるのは目の前のまりんだけなのだ。今まで出会った誰よりも美しく、ナニかが違うまりんだけ。

「僕はありますけどねまりんさんに望むこと」

ポロリと口から出た言葉は拗ねた子どものようだったかもしれない。樹はこの日の自分の幼稚さに後から後悔することになるのだがこの時は全て吐き出してしまいたかった。後から思えばもうこの時には樹は手遅れだったのかもしれない。

なにせ自分の理性なんてものまりんの前では無いに等しくなってしまっていたから。

「ほぉ〜??なになに?お姉さんに言ってみなさい!」

「まりんさんとずっと一緒にいたい、とか」

言葉を実際に口から出してハッと意識が戻った時には手遅れ。

自分は何を言うんだと戸惑うがそれ以前に驚いたのはまりんを見てしまってから。

目の前にいるのは無邪気な彼女ではなく頬を赤く染めた彼女。

まりんの今までに見たことの無い動揺を感じ取り樹自身の体も熱が内からフツフツと湧き上がってくるようだった。

「ほんと、?」

「…はい」

「キミは本当に私なんかといたいって…、思ってくれるの?」

「…私なんかとか言わないでくださいよ。まりんさん」


白い頬に伝う雫に気づいた樹はまりんを抱きしめるしか出来なかった。

それ以上のなにかを言ってしまえば自分は彼女に期待以上のモノを与えてしまう。出来もしない不確定なことへ無責任に言葉をつむぐ事はまりんと樹互いのためにならないと直感的に悟っていたのだ。


「あしただね、キミがこの島を出るの」

「そうですね」


端的な返事をしてしまったせいか再び気まずい沈黙が二人の間に流れ、それを打ち切るようにまりんは自身の頬をパンッと勢いよく叩いた。

「よし!決めた!今日は花火だよっ!」

「花火?花火大会なんてこの島ありましたっけ?」

名案だと言いたげにまりんは今日は花火と言うがこの島には夏祭りなんてものがない。正しくは昔はあったのだが年を重ねる事に島から若者はいなくなり、島に残った多くの年配者だけで開催は難しくなってしまっている。

「ちがうちがう。私が言ってるのは手持ち花火とかそういう花火のこと!私の家にいーっぱいあるからそれ使って二人だけで花火しようよっ」

楽しそうでしょ?と言う彼女に樹はそうですねとしか返すことが出来なかった。


.


夜にまりんと会ったのは初めてだった樹だがまりんは昼間と変わらず白いワンピースを着ている。

昼間と違う点といえばその両手に抱えている二人で使いきれるか分からないほどの花火とバケツであった。

「ほらほらお姉さん張り切っちゃったよ」

そう言いながらビリビリ袋を開けていくまりんを見ているとあぁこの人は案外雑なんだと新たな気づきができて嬉しくなる。

「僕、手持ち花火とか久しぶりかもしれません」

「どれくらい久しぶりなの?」

「うーん数年前とか、かなぁ」

たわいのない会話でもまりんと言葉をかわせるこの時間は樹にとって大切な時間であり、花火を用意するまりんをじっと見つめていた。


「じゃあまずはコレだよねー!」


まりんが手に持つのは簡易の打ち上げ花火のようなもの。だいたいそういうのは終わりにパァっとやるものじゃないのか?と考えが過ぎる樹だったがまりんは自分がこうだと決めたらすぐに行動してしまうのだ。

樹は自分の考えを飲み込み今日は彼女の決めたことに全て身を流してしまおうと考え、そうですね。とだけ答えた。

「わーきれい!」

「ですね」

「キミも楽しい?」

まりんにそう問われ樹は楽しいですよと笑う。それならよかったとホッとしたように彼女も笑みを返すがこの時間は有限。

明日にはもうまりんと別れてしまう。

楽しいと思う反面その寂しさはどうしても樹の心の中で次第に大きくなってしまっていた。


「私ね樹くんが好きだよ」


「…!?」

手持ち花火も残り数本となってしまった時に告げられたその言葉は樹の心を揺らすには十分すぎる衝撃を与える。

樹だってなんとなく感じていたまりんからのほのかな好意。

だが感じていたからと言って実際に本人から伝えられるのは別の話というものである。

「ぼ…っくもまりんさんがすきです」

動揺のあまり言葉が詰まってしまうというお世辞にもかっこいいと言えない告白でもまりんは真っ白な頬を紅潮させる。

「ふふ、両想いだね」

「…そうですね」

気恥しい思いで口元を隠し立ち上がると勢いよくまりんが抱きついた。

「まりん、さん…!?」

「ずっとこうしてたいなぁ」

その言葉は波の音に溶けていく。

寂しがり屋だと自分で言っていた彼女の本心からの言葉。それに答えるように樹はまりんの背へと手を回そうとしたのだがその気配を察したのかまりんは自ら抱きしめていた腕をスルりと解き暗い海へと歩いていった。

その姿はあまりにも自然で思わず見とれてしまっていた樹だったがまりんはどんどん海の中へと入っていく。

波があたる浅瀬ではなく、暗いくらい闇の中へ。

「まりんさん!!」

これ以上彼女が先へ進んでしまっては危ないと思い白い腕を掴んだがまりんはそれでもなおその足をとめないのだが少女の力では男の力には敵わないため、先にも進めない後にも進めないという膠着状態へとおちいってしまっていた。

「まりんさん危ないですよ、帰りましょう」

背を向けたまりんは樹を見つめることはない。

だから目の前のまりんが今なにを思っているのか分からない事が樹は不安で仕方がなかった。


「わかってるんだぁ、樹くんが帰っちゃったら私はもうキミとは二度と会えなくなるって。だから…、キミを好きなままいなくなっちゃうのもアリだなって思っただけ」


涙を我慢するような震えた声でまりんは呟く。

「…長期休みにはまりんさんに絶対会いに来ます。それに手紙だって書きます。二度と会えなくなるなんてことは、ないんですよ?」

本当は樹だってまりんと共にいたい。

その言葉をグッと押し殺し、彼女を寂しくさせないようにするための案を自らにも言い聞かせるように伝えればまりんは小さく首を振った。

「ダメなの、それは。…だって、…っ」

途切れ途切れにまりんからつむがれるダメという言葉がこの時樹は本当の意味で理解していなかった。

けれどまりんの次の一言でその本当の意味は正体をあらわした。

「私のきおくは…無くなっちゃうんだから」

「どういう、こと…ですか?」

記憶がなくなる。

まりんは確かにそう言ったが樹にとっては信じ難い話。この夏の二週間毎日のように会い、時間を共にした彼女が今まで記憶をなくした素振りなど見せたことがなかったからそれは当然の反応であった。

「…私の記憶はね十五歳の夏で止まってるんだよ。それ以降はなんでかなぁ3ヶ月経ったら記憶が全て消えちゃうの」

お医者さんに話されたことだしホントなのか私には分からないけど、確かに記憶は十五歳までの夏と今年の六月、七月、八月しかないんだよ…バカみたいな話でしょと辛げな声で吐き出したまりんは体の力が抜けてしまったかのように寄せては引いていく波に身を任せどんどん深くなる海へと流されていく。まりんを引き止めていた樹の手は…想定なんてしていなかった話を聞いたことによっていつの間にかまりんの腕を離してしまっていたのだ。

「…!」

樹がまりんの姿がどんどん遠くへ行ってしまっていることに気づいたのは彼女の胸まで海水に覆い隠されて離れてしまった頃。

…このままでは本当に海へとのまれ"二度と"少女に会うことは出来なくなってしまうと直感的に感じ少年は慌てて追いかけた。

そして後ろから樹が自分を追ってくることに気づいたまりんは海へとその身全てを投げ出したのだ。

なにも考えず、ただ身体を任せ沈んでいく。

これではまるで自分が好きではなかった人魚姫みたいだと思う反面、その脳裏に浮かんできたのは自分が初めて好きになった男のコの姿。

樹と過ごした楽しい時間が徐々に駆け巡りこれが走馬灯なのかと朧気に感じた。

その走馬灯のおかげで咄嗟にまだ死にたくないと思ったのか、自分を追ってきてくれた少年が目に入ったことで死にたくないと思ったのかは分からないがまりんのか細い腕は月明かりに照らされた海面へと伸ばされる。


まりんの身体が海へと全てのまれてしまうと樹も後を追うように海の中へ沈んでいく。

そして、満足そうに微笑みながら海面へと手を伸ばすまりんの姿をようやくとらえたのだ。

淡い月明かりに照らされるのは夜の海と彼女から伸びる白い腕。

彼女の漆黒の髪は暗闇と区別がつかないほどに溶け込んでしまい、その光景すら美しいと思ってしまった。

その腕をパシッと掴みまりんを引っ張りあげ、彼女の身体を浅瀬へ引きずり込むと樹はまりんに聞かせたこともないような大きな声を張り上げる。

「アンタはなにしてるんですか!本当に死ぬ気だったんですか!」

「ゴホッ…ぅッ」

海水を飲んでいたのかゲホゲホと咳き込むまりん。

けれどそんな事も気にできないくらいに樹は怒っているのだ。

「なんでまりんさんが一人いなくなろうとするんですか、あなたが、もし、いなくなったらって…思ったらどうしようもなく怖くなったんです」

樹の頬に伝うのは海水ではない。

…男なのに 情けないと思いつつもその涙は止まらないのだ。まりんが自分との記憶を失くすなんて耐えられない。

それでも、彼女が自分に二度と姿を見せなくなる未来なんてもっと耐えられなかった。

「僕のワガママかもしれないですけど、僕はあなたに生きて欲しい。それでも…どうしても、死のうとするなら僕も…連れていってください」

寂しがり屋で臆病と自分で言ったまりんを一人で"あちら側"にいかせてしまうくらいなら樹も共に行く。

第三者から見たら若さが暴走したことにより冷静な判断が出来てないと思われても仕方のない発言だったが樹は本気でまりんに向き合っていた。

そしてその結果自らさえも犠牲にしてもいいと思える。


「そんなのズル、いよ…?すきなあいてを自分のせいで殺しちゃうなんて、……わたしは地獄行きにでもなっちゃうね」

「まりんさんが地獄に行くなら僕もついてきます」

「ほんとにっキミはばかだね、こんなめんどくさいオンナすきになっちゃって」

「でもまりんさんの事相手にできるの僕くらいでしょ?」

おどけた態度をとりそう言う樹にまりんは笑みをこぼしそうだねと答えれば二人並んで砂浜へと足を進める。


「まりんさん今日くらい家まで送らせてください」

「んー?大丈夫だよ、もう死のうなんてしないよ?」

明るい笑顔を浮かべるまりんは本当に先程死のうとした少女と同一人物だとは思えないがその事実の有無は二人の濡れた服を見れば分かることである。

「…それについても、心配ですけど……そうじゃないですよ!こんな夜に好きな女の人一人帰らせれるわけないでしょ?」

まりんさん一人帰るなんて僕をそんな甲斐性なしの男にさせたいんですかと愚痴のように呟く樹。

「女のヒトねぇ、キミが私のことちゃーんと女の子扱いしてくれるなんて嬉しいなぁ」


照れ隠しのように樹はまりんの手を優しくとり互いの指を絡みあわせ人は夜の海を去っていった。


.


「まりんさん」

「ふふ、やっときたね」


今日は樹がこの島から帰る日。

それでもまた二人はいつも通り海へと互いに会いに来ていた。

「今日でホントにキミとお別れかぁ…」

昨日までの樹にとって"別れ"はこの島に来れない間は会えないもの。

だが今では違う。

本当に今のまりんと会うのが最後になるのだ。

「まりんさん、僕は…やっぱりあなたが好きなんです。だからまりんさんが記憶を戻すまで何度でもあなたに会いに来ます」

「記憶が戻る可能性なんて私は知らないよ?戻らないかもしれないよ?」

「それでも、です」

それでも僕はあなたのことが好きでたまらないから仕方ないじゃないですかと正面から向き合う樹。

「私がまたキミのことを好きになるかもわかんないよ?」

「じゃあ好きになってもらえるように頑張ります」

樹の瞳は内の強い意志を表すかのように真っ直ぐまりんけをとらえている。

いつだって明るい、夏の太陽が似合う少女。

…けれどその本質は月に照らされる闇夜に違和感なく溶け込んでしまうほどの薄暗い一面も持ち合わせていた。


だからなおさら樹は隣にいたい。


これ以上まりんを一人ぼっちにさせたくない。そのためなら、まりんに忘れられることによって自分の心がこれからの未来何度折れかけようが構わないのだ。

「お姉さんは期待…、しちゃうよ?」

「…してください」

まりんと樹は顔を見合わせ唇を重ね合う。

「じゃあね、樹くん!」

「また会いましょうね、まりんさん」

別れの言葉をつむぐのが今日までは怖かった。

けれど今はそんな言葉すら二人にとって同じ未来を指し示す希望へと変化していた。



.


十七の夏、少年はまたこの島へ足を踏み入れる。

そしてまた見つける。海辺を歩くたった一人の少女を。

けれどその少女は明らかに去年の少女の姿と異なり、長かった黒髪は肩につくかつかないか程度の長さで揃えられている。

それでも少年はあの時と同じように海辺へとおり少女に近づく。すると少女は不思議そうな顔をして少年へ話しかけた。


「ねぇキミはどこからきたの?」


___少女と少年の今年の夏はまだ始まったばかり。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

コクハクの海姫 ねこみや @nekomiya03

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る