第5話
都会のようで、都会と言ってしまうとなんだか味気ない夜景。そこそこの高さのマンションから見える景色は、タバコの煙に薄く靄がかかる。
喫煙者は僕と佐々城さんのふたり。尤も常用してるのは僕の方で、佐々城さんは久々だと背を丸めて火をつけた。さっきまで抱き合っていた男と並んでタバコを吸うなんて新鮮な気がする。大紀はタバコを吸わないし、何より一度寝たら目が覚めなかった。三十歳を超えるとやたら寝つきが悪くなる。二時間くらいで目が覚めて、日中まで睡眠不足を引きずる。
「大紀まだ寝てます?」
「まだ寝てる」
「やっぱな」
「体はつらくないか」
「別に。いやーでも三人は初めてだったんで、楽しかったな。よかったです」
佐々城さんはタバコを吸うふりをして返事をしなかった。どう返答したものか明らかに迷っていた。良かったとも、もうしないとも言いたくない様子。掠れた目元には疲れが僅かに滲んでいて、あんまり無理させるのも良くないな、と思った。
「日常的にやってるのかと」
「そんなわけないでしょ、なかなか人を選びますよ」
「常識がわからねえよ。人と付き合うの自体、十何年ぶりとかで」
「愛がなくてもやっていけるんでしたっけ」
僕がからかっても、佐々城さんは特に何も言わなかった。昼間のギスギスした反論が嘘みたいで、何かしらこの偏屈な主治医の考えを揺さぶれたのかと思うと少しだけ溜飲が下げられる気がする。指輪のないはだかの薬指はしかし、他の指に比べるとやや細いように見えた。何年もそこに、同じ金属をつけ続けた証拠だ。僕がメガネを直してその見えない痕跡を凝視していると、佐々城さんは長く煙を吐きながら言った。
「死別だよ。仏壇も位牌もないけど」
「それ大紀に言いました?」
「言ってない。まあ言わなくてもいいかなと……黙っておいてほしい」
「了解です」
大紀にも告げていないことをなぜ僕に打ち明けたのだろう。僕は佐々城さんの腰を抱き寄せて、好きなのは本当です、と呟いた。それが彼の求める言葉でないことを知って。愛されてもどうしようもない。なぜなら愛したくて仕方ないから。僕と同じ生き物なのだ。知っているから、そうした。
「大紀に言ってやれよ」
「大紀のことは愛してます。でもそれとは別に佐々城さんのことも好きで、並立してるんですよ」
「昼のあれはなんだったんだ」
「同じ人を愛してるって気が合うと思いません?」
佐々城さんは黙って、それから満更でもない顔でタバコを咥えた。呼吸とともに赤く火が燻って、夜明け前の都会に見えない灰が散っていく。愛されるのなんて御免だという、その一点とっても僕らは気が合う。皮肉なくらいに似た価値観で生きている。もっと若ければ同族嫌悪を抱いていただろうが、お互いにそれなりの年齢で、細分化した考え方が重複するだけでもじゅうぶんなにかを培える気がした。
「三人で付き合うのって成立しますかね?」
「さあ、やったことないけど、どうにかなるんじゃないか。今夜みたいに」
「ですね」
「大紀が怒るだろうな」
「あの子の愛は僕らには重すぎるから……二人でシェアするくらいでちょうど良さそう」
「そういうあれで別れたんじゃないだろ」
「いいんです、もう。僕一人で耐えて被害者ぶっても仕方ないし。これからは理人さんがいるからね」
タバコを遠ざけて、完全に雰囲気だけに呑まれたキスをする。僕の大紀を幸せにできるとしたらこの人くらいだけど、この人のことをここまで理解してるのもまた僕くらいなんだろう。僕は携帯灰皿に短く燃え残ったタバコを押し当てて、佐々城さんの首筋に鼻を埋めた。相応に枯れた男の匂いがして、こういう愛だって悪くないと思った。
「そういえば……アルバイトの年収であのカードって維持できるもんですか?」
思い出したので思い切って疑問をぶつけてみた。間近で俯く目尻に皺が薄く浮かぶ。彼は笑っていた。なんだか良からぬことを訊いた気がした。
「弟にこき使われてるだけだ」
「弟さん?」
「ただのろくでなしだよ。東京で野垂れ死にそうだからたまに手伝ってる。そこのキックバックがでかい」
「これ聞いていいやつですかね」
佐々城は答えなかった。部屋に戻って、暗い部屋でいびきをかいて寝ている大紀を撫でながら、明け方に近い夜がゆっくりとその濃度を失っていくのを待っていた。
これが愛だったら、これも愛だったら。そういうことを初めて考えた冬だった。僕はもうすぐ、三十五歳になろうとしていた。
終
***
「で、三人で付き合うことになった」
報告を受けた相手はたっぷり沈黙し、それから長い溜息を吐いた。ケンちゃんとオレが別れてからずっと相談してきただけに、決着を喜んでくれてはいるものの複雑そうなのは隠さなかった。そりゃそうだろうな。
「じゃあ何? 彼氏二人いんのかよ」
「そういうことですかね」
「お前マジ、すげえな。あらゆる意味で」
「褒めすぎ」
「かけらも褒めてませんが……?」
学食のカレーよりも断然辛口なコメントを残す友人は、これから科目履修の授業がある。今日のオレは珍しく研究室に顔を出しているので、落ち合うついでに近況報告をしたというわけだ。B4もM2も卒業を控えた連中は忙しなく忙しい。自分も暇ではないのだ、決して。ただ研究の性質上、自分一人が気持ちばかり焦らせたところで成果の出るものでもない。のんびりしたものである。ゲイフレンドリーなシェアハウスを運営する友人も、このご時世ですっかりシェアハウス人気が下がってしまい、副業の資格を得るべくこうして社会人受講生として大学に通っている。到底その辺の学生には聞かせられない話をするのもいつものことだ。それでも、友人が絶句したのは初めてのことだった。彼自身もなかなかに経験豊富なゲイで、ただ惜しむらくはオレより年下というのがあって一度もそういう仲にはなってない。彼も彼でスポーツマンでないと食指が動かない。タイプから綺麗に外れたゲイ友はいかにも信用がおける。
「ひとつだけわかんねえのがさ、新しい方の彼氏、理人さん。塾講バイトでウーバーやってて他にもなんかしてるっぽいんだけど、財源がマジで謎。犯罪沙汰じゃないといいんだけど」
「リヒトっていうの? その人」
「そ。亮ちゃんなんか知ってる?」
「いやあ……まだ確証ないけど」
「何それ」
聞き覚えあるんだよなあと頭をかく友達。まだ繋がったばっかりのよくわかんない縁は、意外なところで円を描くことになるって、オレは全然気づいてなかったし、知らずにいた。
第一部 完
Alternativ; Tri juno/ミノイ ユノ @buki-fu-balla-schima
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