決意

 リルソフィアの両親は国中を回り、美しいと思ったものを描く絵描きであったという。両親はよく東の篝の谷へ行っていたが、同行させてくれたことはなかった。どんな絵を描いているのか、東の篝の谷の時だけは決してリルソフィアに見せてくれず、帰ってきた二人はまるで何かに取り憑かれたかのような恍惚な表情をしていたという。

 ある時、東の篝の谷から帰ってきた母、エリーシャが焦ったように小さいキャンバスを隠すように床下に仕舞うのをリルソフィアは偶然見た。今よりも随分若かった彼女は、両親のすることに対する好奇心が溢れ、眠りの刻にひっそりとそのキャンバスを手に取った。

 そこには、黒い絵の具で両親の誓いが記されていた。誰との誓いなのか、書いてある内容はどういう意味なのかリルソフィアにはわからなかった。思わずキャンバスに見入っていると、背後に父のリイヤが立っていることに気がついた。リイヤは酷く怒り、このことを口外しないよう強くリルソフィアに言いつけた。エリーシャもこの騒ぎに気づき、リルソフィアを酷く罵倒したという。両親のあまりの変わりように、リルソフィアは泣いて謝った。キャンバスはエリーシャが塗り潰した。そして、両親はそれから程なくして死を選んだ。リルソフィアは両親が亡くなる前に何故死を選ぶのか問い詰めた。若い娘がいるのに、と。

 両親の答えは実にシンプルであった。死にたいからだ、と。それだけでだった。リルソフィアは両親が死に包まれるのをその目で見ているしかなかった。両親の表情が酷く嬉しそうであったことが、死ぬほど悔しかった。

 リルソフィアは両親が東の篝の谷で描いた絵を、死を見た後に見つけた。それは美しい青年の姿であった。その絵から目を離すことはできず、気付いた時には何日も経っていたのだった。リルソフィアは両親が隠し続けた絵と誓いの書かれたキャンバスが両親を奪ったように感じ、恐ろしくなり、それぞれを家の奥にしまった。キャンバスには森の姿を描いておいた。悲しみの染み込んだキャンバスに両親との思い出を描くことで記憶を上書きできるような気がしたからだ。

 赤子のマトリカを見た時、リルソフィアは両親の誓いを思い出したが、放っておくことはできなかった。マトリカが本当にそうなのか自分では確信は持てなかったこともあり、ひっそり暮らしていけば問題ないと考えた。何より、寂しさを抱いていたリルソフィアは家族ができることが嬉しかったのだった。




 目覚めたリルソフィアから真実を聞いた三人の長たちは、リルソフィアに王からの指示が来るまで家で大人しくしているように伝え、それぞれの土地へと戻っていた。だが、神と対面したエピフールはまたすぐに長たちに集まるよう東西南北に伝達した。あまりの早い再会に一抹の不安を抱きながら、長たちは王の間へと集まっていた。

「やっと各地へ戻っていたところ申し訳ない。皆察している通り——とても、良くないことがあった」

 王座に座るエピフールからは、仄かな怒りの色が漂っていた。傍らに立つトリデンも、いつもより重い空気を纏っている。長たちは何も言わずエピフールを見つめていた。月夜の瞳が不安気に揺れるのを見逃さなかった。エピフールは僅かに沈黙した後、重い口を開く。

「神はこの地上やエルフに言うことはないと——あろうことか、魔王を消すことはしないということだ」

 エピフールの言葉に、長たちは思わず顔を見合わせる。

「今まで信じてきたものはもう、ないってこと……?」

 西の長、ヴァンフォースが震えた声で言った。

「魔王の中に創造の神の娘、つまり若緑と清明の乙女がいると神は言っていた。魔王の中にその存在があるのだと……神の力を頼りにはできなくなった」

 エピフールは苦しそうに言葉を紡ぐ。北の長、ソルフレイが不安そうに尋ねた。

「エピフール王、わたくしたちエルフは、死を選ぶしかないということなのでしょうか」

「……それか、神の加護が消え去ったのだから、永遠はなくなり……この身が滅びゆくのを待つかだろうね」

 西の長、ヴィンブローサは悲しみを帯びた声でソルフレイの後に言葉を続ける。すると東の長、アスキュフラーミュが口を開いた。

「――加護がないのなら、むしろ闇の国への道を通ることができるのではないか?」

 長たち皆が彼女に驚きの視線を向ける。これに対して、ヴァンフォースは怒りを露わにした。

「おい、ふざけるなよ。あそこがエルフには暗すぎることを知っているだろ。あんな所を通ったらどうなるか。大きな闇の中では、小さな光はすぐに消える」

「神の加護がないのなら、もう我々は完全な光の存在でもなくなる。消えるものがなければ闇はただの暗い道となり、エルフでも通ることは可能になるだろう」

「黙れ! お前は境目の近くに住んでいるからそんな可笑しなことを言えるんだ! 闇の道を通る? エルフは光の存在ではなくなる? そんなことあり得ない!」

 ヴァンフォースはアスキュフラーミュの胸ぐらを掴んだ。興奮して息を切らすヴァンフォースに、アスキュフラーミュは顔色一つ変えなかった。

「現に今そうなっている。王の言葉が嘘だと、貴様は言いたいのか」

「エルフの光がなくなるなんてあり得ないんだ! 俺はお前とは違う! お前が平気なのは闇の近くに住む東のエルフだからだ! あそこは緑のない、荒れた土地だ。あんな場所に住めるのだから、お前は何とも思わないんだ。俺は違う、俺は光溢れる地に住まうエルフだ! 俺は——」

「こんな者が完全であるはずがないというのだ!」

 胸ぐらを掴まれたまま黙って聞いていたアスキュフラーミュが、怒鳴りつけるようにヴァンフォースの言葉を遮った。アスキュフラーミュは自分を掴む腕を払いのけると、燃えるような瞳をヴァンフォースに向ける。

「東の民は闇の力がエルフの国を犯すことがないよう、常に近くで見張って来た。緑が死に鮮やかなものがない土地となっても、我々一族とその同胞はエルフのため、その土地に住み続けてきたのだ。平気で住んでいるとはよく言えたものだな。光は東にも確かにある――恥を知れ。貴様の無知さにも、王に対する失礼な発言にも」

 ヴァンフォースは、燃える瞳から目を逸らすと項垂れた様子で、嘘だ、嘘だと言葉を漏らしていた。

 エピフールは立ち上がると、ヴァンフォースの顔を両手で包み、エピフールの顔を見るように向けた。目に涙を溜めたヴァンフォースの顔は、まるで幼い少年のようであった。

「ヴァンフォースよ、確かに今までエルフは神の言葉を信じ、それに従ってきた。だが、この美しい国をここまで作り上げたのは誰だ? 神ではない、私たちエルフなのだ。今までの軌跡を信じるのだ。ヴァンフォース、南の煌めく水辺を思い出せ。あの煌めきは神ではなく、お前の祖先たちが守り抜いたもの。そしてこれからもお前があの光を受け継いでいくだろう。私は神と会って思ったのだ。神さえも完全ではない、完全などこの地上にも、空にも最初から無かったことを。ヴァンフォース、今こそエルフが変わる時なのだ。長として強い心を持て。与えられた光は忘れ、自ら光を放つのだ。もう闇を恐れるな」

 金色の髪がヴァンフォースの頬を撫でた。ヴァンフォースはエピフールの意思を持った姿が自ら光り輝くのを見た。今までに見たことのない、何かを訴えかけるような強い輝きだ。

「……王の仰る通りですわ。ヴァンフォース、貴方は長として南の民に死を選べと言えるのですか?」

 ソルフレイはヴァンフォースに厳しい目を向ける。続けて、ヴィンブローサも口を開いた。

「あの娘――マトリカの方がよっぽど強いとは思わないか、ヴァンフォース。君がそんなに受け入れがたいことを、彼女は取り乱すことなく、一人闇の中へと進んだ。僕たちもやるべきことをやらなくては」

 ヴァンフォースは何も言えなかった。エピフールはヴァンフォースから手を離すと、皆を見渡して言った。

「エルフはエルフの生をかけて、魔王と戦う。それぞれ戦の準備に取り掛かれ。アスキュフラーミュを筆頭に、戦える者を集め辺境の地へ集うのだ。人間の血がエルフに交じることを恐れる戦いではない。もはやエルフも不完全な存在だ。これは闇で世を覆う力から地上に生きるすべての者を救う戦いである。魔王の子は、今も一人闇の中で戦っているだろう。我々も恐れず、戦うのだ。そのために、私たちが強くあろう。長たちは民に私のこの声を届け、すぐに戦いの準備をするのだ」

 長たちとトリデンはエピフールに対して深い礼をした。ヴァンフォースもゆっくりと、涙を流しながら跪く。彼らの目にはこれまでにない強い光を持つエピフールの姿が、神々しく映っていた。




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インコンプリート・ストーリー 紺道ひじり @hijiri333

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