神と王
暗闇を進むマトリカとは反対に、エピフールは光溢れる空へと赴いていた。沈黙する神に会うために。
エピフールの光は神の場所ではか弱いものであった。仄かな光を纏いながら、強すぎるとも感じられる光満ちる場所に降り立つ。神の居る場所は思ったよりもすぐ近くにあった。目の前には地上にはない巨大な白い扉が聳え立っていたのだ。
エピフールはその偉大さに思わず溜息をついた。だが、見惚れている時間はない。魂だけでこの場所へとやってきたエピフールは、肉体と魂が完全に離れてしまう前に神と話を終えなければならないからだ。
エピフールは声を張って言った。
「私は地上に住まうエルフの王、エピフールである! どうか、この扉を開けていただきたい!」
一瞬の静寂の後、扉は地鳴りのような音を立ててゆっくりと開いた。エピフールは迷わずに足を進める。地上のために、エルフのために、暗闇を歩んでいるマトリカのために。
そこは、見たことのない美しい宮殿のようであった。存在する神々の姿が壁一面に、彫刻のように刻まれていた。
——エルフの王よ、何用か
暖かな風が吹き、歌うような声がこだまする。浮かび上がるように現れたその姿は、白く輝き、はっきりとは見えなかった。エピフールはあまりの神々しさに圧倒されたが、心を整えて口を開いた。
「創造の神よ、初めてお会いします。私は、伺いたくて参ったのです——何故、千年以上もの間沈黙しておられるのですか? 地上が不穏であることは知っておられるはずです」
——もう、言うことはないからだ
エピフールには理解できない言葉であった。古くから、エルフは神の声と共に生きてきた。それなのにもう言うことがないとはどういうことか。
「それは、どういう意味なのですか。地上ではエルフに危機が訪れているのですよ。エルフを創ったのは神々、貴方様なのに……言うことがないとは、おかしいではありませんか」
——言葉通りの意味だ
——もう何も言う必要はないと判断した
それはエピフールの心に冷たく刺さるものだった。エルフがどのような道を辿ろうと、神々は手を差し伸べないということだと捉えられたからである。
「……魔王が地上に闇の国を作り、魔王と人間の間にできた子がエルフの国に入り込んでいたのですよ。神々が探していた魔王が地上にいたというのに、何故放っておくのですか! 私はエルフの国で育った魔王の子に、魔王をその手で殺せと、エルフの国から追い出しました。まだ若い少女ですが——そうするしかなかった。私にはそんな考えしかもう浮かばないのです……」
エピフールは最後に肩を落とした。己の無力さを自らの言葉で痛感したからだ。
——魔王は憎いが、消すことはしたくない
——悪いがエルフはこのまま流れに身に委ねる他ない
「魔王を消したくない? 何を言うのですか! 神々の仇ではないのですか? 創造の神、貴方の子の仇でしょう!」
エピフールは叫んだ。耳を疑う言葉であった。神ともあろう者が、悪を消したくないとは、信じ難いことである。すると創造の神は突然赤く光り強風を吹かせ、声を荒げた。
——魔王の中には我が娘の魂があるのだ!
——娘の魂を完全に消すことはできぬ
「魔王の中に……?」
エピフールは唖然とした。また、こうさせた魔王の卑劣さに恐怖も感じた。
——魔王の中であっても魂が残っていれば娘は生きているのと同じ
——それを消すなど到底できぬ
——ならばこの地上を手放す方を選ぶ
エピフールの瞳からは涙が流れていた。受け入れ難い言葉は彼を酷く傷つけていた。
「神は完全なるエルフを創った完全なるものだと父から、祖父から教えられてきました。ですが、今のお言葉はとても、そうとは思えません。正しいことをするのが貴方の役目だ!」
——完全なる私の考えを理解できないのは当然だろう
——お前の祖父ならまだわかったかもしれぬが
神はあろうことか、エピフールを嘲笑うように言った。今まで信じていた神に失望したエピフールは、吐き捨てるように呟いた。
「……貴方達こそ、不完全だ。咎の王国の愚かな王子と変わりない。私たちは玩具ではないのだ——今では、かつての人間も不憫にさえ思える」
——お前には到底理解できないと言ったはず
——魔王の子とて、魔王を殺すことなどできないであろう
また風が吹き荒れる。だが怯む事なく、エピフールは神に向かって言い放った。
「私は王として、神々からの運命に抗おう。これで、魔王を殺せるのは魔王の子だけ。私たちエルフはそれを全力で助ける」
その瞬間、エピフールの魂は強い力で外へと押し出されてしまった。固く閉ざされたその扉がまたエピフールのために開くことはなかった。
「エピフール王! ご無事でしたか、ああ、良かった……」
王座で眠るようにしていたエピフールのが目を開けると、トリデンは心底安心し喜んだ。エピフールは自分の手のひらを見つめ、また涙を流した。様々な感情が彼を襲っていたのだった。真珠のような粒がエピフールの瞳から落ちるのを見て、トリデンは慌てふためく。
「エピフール王、どうされたのです! 何か良くないことがあったのですか?一体何が——」
「戦だ」
エピフールはトリデンの言葉を遮る。そして涙を流したまま、真っ直ぐに前を見て言った。
「……魔王はリルソフィアの両親どころか、神まで惑わせていた——エルフは、もはや魔王と戦う他ない」
エルフは長きに渡って、完全なる存在として地上に平穏をもたらしてきた。だが自分たちは知ることもないまま魔王に欺かれ、遂には神に見放された。滅びゆくのを待つしかないと。
しかし、エルフは生きているのである。エピフールは自らで全てを考え始めていた。エルフが先に進むには、エルフ自身が未来を考えるしかないことを、この時エピフールは初めて知ったのだった。
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