暗闇の出会い

 そこは強い風の吹く暗闇の道であった。マトリカは着の身着のまま、時折風に目を瞑りながらひたすら歩き続けていた。どのくらいの時間が経ったのかもわからない。ただ前に進むことしかできなかった。闇の奥へと続く厳しい道はマトリカを疲弊させていた。歩けば歩くほど、あの光の照らす故郷の森がマトリカの頭の中に広がる。リルソフィアの顔に、美しい絵、自分の作った膝掛け……。どれも遠い出来事のようであった。何もかもはっきりとした答えの無い中でのこの道はマトリカに漠然とした不安を与えていた。とにかく家に帰るには魔王を殺さなくてはいけない、わかることはそれだけであった。

 しばらくして、とうとう疲れ果てたマトリカはその場に座り込んだ。座り込み、急に悲しくなったマトリカは暗闇の中にあるはずのない星を探し、思い出した。すると、不思議なことにマトリカは星が見えたような気がした。小さな小さな星だ。だがその星は鈍い光を放ち、小さな光からどんどん大きくなってこちらへ近づいているようであった。

「……星、じゃ、ない?」

 マトリカはその光を目で追い続けた。光はマトリカの前まで来ると、少し点滅しその形をゆっくりと幼女の姿へと変えた。

「——わたしはエインフェリナ。あなたのなまえは?」

 幼女は体を発光させており、一瞬はエルフのようにも見えたがどうにも違うようであった。その背中にはエルフには見たことのない蜻蛉のような羽が生えており、お世話にも美しいとは言えない顔をしていたからである。

「わたしはエインフェリナ。あなたのなまえは?」

 なんとも不気味な幼女であった。笑顔は少し歪んでいるようで、体は光っているのに目に光がない。マトリカは単調に質問を繰り返す幼女に、何か返事をしなくてはいけないと咄嗟に答えた。

「——あたしも、エインフェリナ。エインフェリナよ」

 するとエインフェリナと名乗った幼女は手を叩いて喜んだ。

「いっしょのなまえって、はじめて! エインフェリナ! あなたもわたしもエインフェリナ!」

 マトリカは何となくこの闇の中で自分の名を言いたくなかった。リルソフィアがくれたエルフの名を。咄嗟のことだったので他に名も思いつかず、エインフェリナという同じ名が口から出たのだった。

「ね、どこへいくの? エインフェリナはどこへいくの?」

 エインフェリナは座るマトリカの足をつついた。それは何かを確かめるかのようであった。

「……その、この先に国があるらしいから、そこへ行きたくて」

 マトリカはぎこちなく笑って答える。エインフェリナは口を大きく開けて驚いたように言った。

「あそこにいくの? じゃあむこうからきたの? かえりたいんじゃないの?」

 エインフェリナは顔をマトリカに近づける。光のない目は底のない井戸のようだった。マトリカは恐怖を感じながらも、答えずに尋ね返した。

「ひっ、エインフェリナ……あなたこそ何故こんな所にいるの? ここは真っ暗なのに」

 エインフェリナは顔を近づけたまま驚いた顔を怪しい笑みに変えた。

「にんげんをからかうのってたのしいの。このくらーいところにくるひとはみんなおもしろい。みんななきそうなかおをしてる。かえりたいよって」

 まさに今のマトリカの顔であった。エインフェリナはまだ喋り続ける。

「だからきくの。なまえは? どうしたの?って。それでちがうみちをおしえちゃうの」

 違う道を教えるという言葉にマトリカは疑問を抱いた。

「……あたしに、そんなこと言ってもいいの? それじゃあ、騙せないわよ」

 するとエインフェリナは何がおかしいのか、大笑いし始めた。マトリカは怪訝な表情で近すぎるその顔を見た。

「だってあなたはエインフェリナでしよ? わたしがわたしをだますことなんてできないの。あなたはエインフェリナ、わたしもエインフェリナ。わたしにそんなことしないわ。わたしはきずつきたくないの」

 マトリカには理解できなかった。エインフェリナに名前を聞かれて咄嗟に同じ名だと答えたことが、何故同じ者だということになるのか。エインフェリナは尚も続ける。

「わたしにはふたつゆめがあってね。ひとつはわたしにあうことなの! わたしのすがたはわたしにはみえないでしょ? でもきょう、わたしをみることができたわ」

 途切れることのない言葉にマトリカは思わず後退りする。

「じゃあ、エインフェリナ。教えてくれる? この先にある国はこのまま真っ直ぐで良いのかな?」

 エインフェリナはそうだよ、と大きく頷いた。

「まっすぐだよ。まっすぐ。エインフェリナはまよっちゃだめだよ。あとね、エインフェリナ。このさきのおうさまにいっておいてね、いつおねがいがかなうのかって」

「王様って……魔王のこと?」

 マトリカが初めて自分からエインフェリナに近づいた。二人の顔が更に近づく。

「しらない。なにかはどうでもいいの。エインフェリナ、いっておいてよ。とんぼのはねはもろいんだよって。やくそくまもってるよって」

 最後の言葉と共に、エインフェリナの目から黒い液体が流れた。その異様な光景に、マトリカは恐ろしさと驚きにながされように慌てて言った。

「あたし、もう行かなきゃ。エインフェリナ、王様には会えたら伝えておくわ。ええと、また、その……さよなら」

 足早に、真っ直ぐマトリカは道を走った。背後から声が聞こえる。

「もういくの。エインフェリナはせっかちなのね。エインフェリナ、いっておいてよ、いっておいてよ……」

 マトリカは走りながらエインフェリナの目から流れ出た液体のことを考えていた。あれが涙だとしたら、なんとも醜い涙なんだろうかと思った。エインフェリナは一体何だったのだろうか——

 息も切れ、彼女から離れたことで、またマトリカの視界には闇以外何も見えなくなっていたが、微かに悲しげな声が聞こえたようなきがした。だが、それはすぐに暗闇の中へと溶けて消えていったようであった。



「エインフェリナはなんでこわがっていたのかな? ここがくらいからかな? そうよね、むかしはこことはぜんぜんちがうところにいたもんね、わたしは。エインフェリナは」

 一人光ながら立つエインフェリナは、目から出た液体を手で拭うと顔を歪め、おかしいな、おかしいな、と言葉を繰り返していた。エインフェリナの光は鈍く汚くなるばかりで、彼女は自分自身の歌を歌い嘆くのであった。


 のこった わたし

 くらやみに にげこんで

 まおうに おねがい

 きれいな はねを

 きれいな ちょうのはねを

 きっと くださいなと

 なんて かなしいの

 かみは ひとつの

 ひとつの いきものだけをゆるした

 わたしは のこった

 くらやみに にげこんで




 

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