隠されていたもの
あれからエピフールは神と言葉を交わすことをずっと求め続けていた。神からの返事がない度に、何故か影の存在を身近に感じるのだった。王の間にはトリデンと二人、なんとも重い空気が漂っていた。
「神々に何か起こっているとしか考えらないが……神々に何かが起こるということも考えられぬ。一度、行かねばいけないか」
エピフールのこの言葉にトリデンが声を荒げた。
「何を仰るのですか……! 空へ向かうということは肉体と魂を切り離すということなのですよ。魂が離れれば肉体は滅びてしまう。貴方は王なのですから——」
「王だからだ、トリデン」
エピフールはトリデンの言葉を遮った。
「神のもとへ赴いた後、肉体に戻れる可能性が高いのはより長く世を見てきた者だ。これは王としての役目だと、私は思う」
トリデンは何も言えなかった。
「トリデンよ、私はマトリカを闇の国へ送り、長たちにもあれを見つけるように命じた。後私にできることは神に尋ねることなのだよ」
エピフールの月夜の瞳は不安げに揺らいでいた。
「……神々を、すぐに見つけることはできるのでしょうか」
少し目を伏せ、トリデンは呟く。エピフールは王座の上に輝く星を見て言った。
「遠い昔、まだ私が幼い頃、祖父が神と直接話をしたことがあると言っていた。祖父と神は親しい友人であったのだ。友人の孫である私が直接会いに行ったのに迎えないのは祖父に失礼になるだろう。大丈夫だ、私たちの考えとこれからを——きっと知ることができる」
エピフールの祖父の話はトリデンにとって初耳であった。神の声を聞くだけではなく、神と友人になるとは、王の血筋は正にこの地においての完全なる存在だと思われた。トリデンはもう不安を口にはしなかった。ただエピフールを見つめ、力強く頷いた。
そこはなんとも美しい、真っ白な花が一面に咲いた花畑だった。風に揺られ、光に照らされキラキラと光る花は時折り眩しい程である。
「まあ、美しい! 雪のような花ですわね」
北の長はうっとりしたように言った。彼女の白い髪もまた花のように輝いていた。
「はい、この森で一番美しい花だと思っています。何度もこの花をスケッチしました……」
リルソフィアがそう言うと、南の長は花を撫でながらリルソフィアに尋ねた。
「リルソフィアはこの森に住んで長いの? いつから住んでるの?」
「あ、ええと、物心ついた時にはもうあの家でした」
南の長はまだ花を撫でながら質問を続ける。
「へー。母上や父上はもういないのか? もう長い間1人なの?」
「はあ、父と母は早くに死にまして……」
リルソフィアは苦笑いする。すると北の長も続けて言った。
「まあ、ご両親がお亡くなりに? エルフが亡くなるなんてよっぽどの理由があったのでしょうね。貴方はまだお若いというのに」
そして、また南の長が質問を続ける。
「何故ずっとこんな離れた場所で一人、暮らしていた? 何か理由が?」
リルソフィアは答えなかった。
「ただ不思議なのですよ、リルソフィア。わたくしたちは、不思議なのです。若いエルフが森の奥で一人、何故ひっそりと暮らしていたのか。何故ご両親は貴方がいながら早くに死を選んだのか……不思議でたまらないのです」
その言葉と共に、北の長から笑みが消えた。リルソフィアは何も言わないが、後退り、まるで逃げるかのような姿勢を見せた。だがその瞬間、リルソフィアは何かに押し倒され花の上に倒れ込んだ。
白い花弁が辺りを舞う。だがリルソフィアの目に飛び込んできたのは花弁ではなく獅子であった。覆い被さっている獅子の爪は今にもリルソフィアの体に食い込みそうである。獅子を見ると同時に、後ろに立つ北の長が目に入ったが、南の長の姿がないことにリルソフィアは気がついた。
「その獅子は南の長……ヴァンフォースですのよ。彼はどんな姿にも変化できる——動かない方がよろしいですわ」
「私が、いったい何をしたと? 何なのですか?」
リルソフィアは叫んだ。だが北の長は答えず、ぽつりと呟いた。
「……そろそろヴィンブローサが見つけた頃かしら」
リルソフィアはその言葉を聞いた途端、急に寒気に襲われた。そして、瞼がゆっくりと降りていくのを感じたのだった。獅子の息遣いだけがリルソフィアの耳に残っていた。
「……少々手荒だったかしら」
北の長は意識のないリルソフィアを見て言った。
「あー……少なくとも君はね。俺はちゃんと手加減したよ。少し脅かす気持ちもあったけど。これ、見てみなって。耳に霜が付いてるじゃん」
南の長、ヴァンフォースは頭を振りながら獅子からエルフの姿へと戻った。
「ソルフレイ、君は手加減というものを知った方が良いね。彼女は北方のエルフでもないんだから、凍えるだろ」
北の長、ソルフレイはくすくすと笑った。
「わかっていますわ。さ、彼女の家へ戻りましょう。ヴィンブローサが待っていますわ」
ソルフレイは目でヴァンフォースにリルソフィアを運ぶように訴える。ヴァンフォースは少し面倒くさそうに、馬の姿となりソルフレイとリルソフィアを乗せて歩き始めるのであった。
「……戻ったね。もうこちらは終わっているよ」
リルソフィアの家ではヴィンブローサが椅子に座り皆を待っていた。ソルフレイはリルソフィアをソファーに寝かせると、自身も椅子に座り、尋ねた。
「どうでした? 王が思った通りでしたの?」
ヴィンブローサは壁にあった絵をソルフレイに見せる。そこには森の風景ではなく、文字がつらつらと書かれていた。
「リルソフィアはこの文字を消そうと何度も塗り重ねて絵を描いたようだね。風を騙すことはできなかったようだけれど」
ヴィンブローサは笑みを浮かべる。同時にヴァンフォースが馬から姿を戻し、家に入ってきた。
「あー疲れた。で、わかったの?」
花浅葱色の髪を掻きながらヴァンフォースは絵だったものを覗き込む。
「……この女、こんな事を隠してたのか」
ヴァンフォースは顔を顰めた。文字はこう書かれていたからだ。
私を描く代わりにその魂を私に捧げ
私の子を自分たちの子が育てるようにする
この全てのことを鼠一匹にも言わない
以上を誓う
リイヤ エリーシャ
「……このリイヤとエリーシャというのはリルソフィアのご両親ですわね」
ソルフレイが呟く。
「これは魔王との誓約書になる。彼女の両親はどこかで魔王と接触し、この誓約書を書いたんだね。彼女が何かを隠しているという王の見立ては当たっていたわけだ」
ヴィンブローサは眉を顰めた。
「当たってたって言っても……王は魔王が千年以上前からエルフに接触していたことを知らないんじゃないの?」
ヴァンフォースは少し焦ったように言った。しかも、と言葉を続ける。
「この時期って、ちょうど神が口を閉ざした時と被るよね」
「嫌な偶然ですわね。ヴィンブローサ、このことは——」
ソルフレイの言葉に、ヴィンブローサは静かに頷いた。
「もう鳥に伝えてある。じきに王に届くはずだ」
三人は一斉に溜息をつく。ソルフレイは眠るリルソフィアを見て言った。
「わたくしも、暇ではないのですけれど——彼女に詳しいことを聞かなければいけませんわね」
ヴァンフォースは苛立った様子で、叩き起こそう、と呟くのであった。
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