あんぱんと少女


 疲弊しきった体を引きずって家の扉を開けました。部活は日々過酷さを増していき、一年の我々はへとへとにしごかれます。大会前は毎度こうなのかと考えると、二学期以降の活動は考えないといけないと思いますが、今は考えられません。とにかく疲れました。


「ただいまー」


 鍵は開いていて、電気がついていたのに母の姿は見えませんでした。きっと近所へ買物にでも行っているのでしょう。私は手も洗わずに冷蔵庫をあけました。


「あ、あんぱんあるラッキー」


 少々体重が気になる昨今の私の体内カロリー情勢ですが、部活終わりの夕飯までの間くらい小腹を満たしてもバチはあたらないはずです。五個入りの小さなあんぱんは三個になっていたので、きっと母が二個食べたのでしょう。残りは私のです。父の分は……きっといま母が買ってきています。


「あんぱんには牛乳牛乳」


 お気に入りのマグカップに牛乳をいれて、リビングのソファに座りました。テレビを付けてもやっているのは世間のどうでもいいことばかりなので、私はスマホを片手にあんぱんをくわえました。


「あ、また動画あげてる」


 私は写真や動画などはまだ投稿したことは無いのですが、見るのは好きです。普段は小心者な同級生や部活の仲間がネットの中では華やいだ姿を見るのは心躍るものがあります。私はグッドボタンを押して画面を何度かスライドさせました。


「私も何か上げようかな」


 私が放課後の大半の時間を使っているダンス部はこれとは相性が良いように思えます。現に私と共に汗水を流している部活仲間は練習風景や流行のかわいいダンスをアップしています。


「んーでもどういうのにすればいいんだろ。皆と一緒の上げても意味ないし」


 悩みながら二個目のあんぱんを口へ放り込み牛乳で流し込みました。もぐもぐと咀嚼しながら考えます。この調子ならあんぱんはすぐ無くなってしまいます。最後の一つくらいは味わって食べようじゃないかと最後の一つに手を伸ばした、その時です。


「食べないでおくれよ」


 そう、聞こえました。手元のスマートフォンはなにやら有識系配信者が生きるための知恵を字幕付きで流しています。今の声はこの動画内から流れてきたようには思えません。動画の内容はベーシックインカムという難しい単語の説明です。もしかしてベーシックインカムとはどこかの国の郷土料理か何かなのでしょうか。


「食べないでおくれよ」


 また聞こえました。今度は間違いありません。繰り返し流される十秒程度の動画にはそのような字幕はついていませんでした。三周目にかかろうという所で、私はもしやと思い伸ばしかけて止めていた手を、再度あんぱんへと伸ばしました。


「食べないでったら」


 妙な汗がぶわりと出てきました。そうです、先程の流れから何かを食べようとしているのは私で、食べられようとしているのはあんぱんです。でもまさか。そんなわけはありません。母が驚かそうとしていると一瞬頭がよぎりましたが、母はこんなに中性的な声ではありません。


「貴方が喋ったの?」

「ぼくが喋ったんだよ」


 返答が返ってきてしまっては仕方がありません。私はなんとか現実を受け止めようと質問を投げかけてみることにしました。


「貴方、あんぱんなのに何で喋れるの」

「君は、人間なのに何で喋れるの?」

「……人間だから?」

「だよね。ぼくは喋れるあんぱんだから喋れるんだよ」


 なんだかとんちみたいなことをいい始めました。頭がおかしくなりそうになったので、私は牛乳を一度にあおって大きく息を吐きました。次に何を言えばいいのかわかりません。


「あ! ……その、あの、同胞を、食べてしまい、なんというか」

「別に気にしてないよ」


 どうやら優しいタイプのあんぱんのようでした。しかしながら、思うと我々人間だって、今この瞬間にも亡くなったり殺されたりしている人間のことを真摯に考えようなんてことはしていません。よく考えればわかることでした。私は自然に移行した敬語で問いかけます。


「あの、貴方は何の目的で私に話しかけてきたのでしょうか」

「話しかけなきゃ食べれられてたから」

「たしかに」

「君は変なことを言うね!」

「変なあんぱんに言われたくないなあ」

「もっともだ!」


 なんだかおかしいやつのようです。自然と親族が飼っているボーダーコリーを思い出しました。彼(彼女だったかもしれません)は、犬のくせに人の表情を伺ってきたり、いじけたり、調子に乗ったりと中々に人間みたいなやつなのです。


「お話しようよ。ぼくはお話するのが好きなんだ」

「お話、ですか」

「その手に持ってるのはスマートフォン?」

「スマートフォンをご存知なんですね」


 博識なあんぱんなんて初めて見ました。その前に色々「初めて」が多すぎるあんぱんですが。


「それを見て悩んでいたようだけど」

「悩みっていうか、ちょっと動画を撮ってネットにアップしようかなと」

「なるほど。流行りの盛り動画でバズを狙って自己顕示欲を満たしてやろうと」

「めっちゃ俗やんけこいつ」


 思わず友達に使うような言葉遣いが出てしまいました。自然と移行してしまったタメ口で問いかけます。


「なんであんぱんのくせにそんなこと知ってるの?」

「好奇心が旺盛だからさ」

「うーん、求めている答えとなんかずれてる」

「ところで、どんな動画を上げるの?」

「それは、悩んでるけど……ダンス?」

「いいじゃない。JKには価値があるからね」

「こいつJKとか言い出しよる」

「制服でやるとバズるよ。スカートは短くして」

「なんなんこいつ」


 中身はネット文化に詳しいおじさまなのかもしれません。あんぱんは私のおツッコミにも動じること無く続けます。


「流行りの音楽に乗せてあとは個性を少し出せばバズるかもね」

「個性?」

「流行りの音楽にただ乗るだけだったらつまらないでしょ。君が君だと認識してもらう個性を加えると覚えてもらえるよ」

「へー」


 なんだか非常にためになる事を言い始めます。一体さっきからなんなんでしょうかこのあんぱんは。


「……うーんでも、スカートはこれ以上短くしたくないので、他は?」

「他、そうだなあ。君、部活は?」

「ダンス部」

「じゃあやっぱりそれに絡めたいね。オタクに媚びて今流行りの美少女が出てくるアニメかソシャゲのテーマ曲を勝手に使って踊ってみるとかどう?」

「提案いかつ」

「あざとさを『あざとい』とわかってやって良いのは今の年齢の時だけだよ?」

「なんか名言みたいなこと言い出したでこいつ」


 しかしながら、少し考えを巡らせると悪くないのかも知れません。しかも昨今はネットの動画が流行るとお金につながるといいます。どういう経緯で儲かるのかはわかりませんが、おこづかい稼ぎになるならやぶさかではありません。もしかしたらこのあんぱん、喋るなんて気味が悪いですが使いようによっては素敵になるかもしれません。


「あんぱん、あんた面白いね」

「ありがとう! どんどんお話しようよ! 何か悩んでることは無い?」

「んー……じゃあ、今部活で悩んでて」

「なになに?」

「ダンス部練習激しめなんだよね。特に他の部活の大会があると応援とか行くから練習きつくなって」

「ふむふむ」

「そもそも友達が居るからダンス部に入った感じであんまりやる気起きなくて」

「なるほど」

「一年の一学期で他の部活いくなんてヤバいかなあ?」

「全然ヤバくないよ!」


 あんぱんはもし手があったら両手をあげてそうなくらい勢いよく答えました。


「他にやりたいことがあるならすぐやりたいことをやったほうがいいよ!」

「友達とかと変な感じにならんかなあ」

「本当に友達ならちゃんと話してわかってもらうべき」

「……正論だなあ。んでも先輩とかと気まずい感じするけど」

「じゃあこんなのはどう? 最初に友達に言ってみて、ちゃんとわかってもらう。それで友達と先輩に話に行く。一人で行くより全然いいと思うよ」

「あー……それ、良いかも。先輩と仲いい友達おるし」

「良かった!」

「……うん、そうだね、うん。明日友達に言ってみる。ありがとあんぱん」

「……」

「あんぱん?」

「あ、ごめん。それで? 次の悩みは?」


 このあんぱんの興味は尽きないようです。先程言っていた「好奇心が旺盛だから」は伊達じゃありません。


「……部活の先輩に気になってる人いるんよ」

「……」

「辞める前にちょっとお話してみるべきかな?」

「……あ」

「ちょっと、聞いてんの」

「……ご、ごめんごめ」


 なんだか口どもるようになりました。冷静に私も考えてみますが、なぜあんぱんに恋愛相談などしているのでしょう。外から見たらかなり奇妙だし、なんだか少々情けなくも感じます。


「恋愛相談とかはちょっと違う?」

「そんなこと……な、いよ! 恋愛、相談……とく、い……」

「あんぱん?」

「……こんなのは、……ど、う……」


 どんなのはどうなのでしょう。あんぱんはそれきり喋らなくなってしまいました。つんつんとしてみてもさっぱりと動きません。いや、動かないのはもともとなのですが全く口を開きません。いや、口も無いですけど。あるのは黒いごまだけです。


「おーい、あんぱん。あんぱーん」

「ただいまー」


 扉を開ける音と母の声が聞こえてきました。どたどたと歩いてリビング前に二つの買い物袋をどすんと置きました。


「あー重い」

「おかえり。鍵開いてたよ」

「えー本当? ごめんごめん、親子丼作ろうとしたのに鶏肉無くて」

「……そんなことある?」


 二つの買い物袋には鶏肉が大量に入っているのでしょうか。そんな事はないと思いますが。


「あ、そのあんぱん」

「え、ああ、うん。……ねえそれは」

「最後の一個もらい」

「あー……」


 母は私の目の前の喋らなくなったあんぱんを一口に放り込みました。いたずらっ子のように私を見て笑います。ですが、少ししたら怪訝そうに首を捻りました。


「あら、何よこれ。何も入ってないじゃない」


 母はそう言って買い物袋片手に台所へ行ってしまいました。先程のあんぱんとのやりとりは夢だったかのように、一気にリビングは静まり返ります。一体今までの事柄は何だったのでしょうか。部活に疲れた私が見た幻覚か、それとも現実か。それはもうわかりません。母のお腹に眠るあんぱんは、もうこれきりしゃべらないでしょう。私はソファに横になり、眉に皺を寄せてしばらく考えました。動画の事、部活の事、友達の事、友人の事。そしてあんぱんの事。

 そしてある事に気付き、「あ」と声を漏らしてしまいます。


「……『案』が無くなった?」


 静かになったリビングに響いたその言葉はあまりにバカバカしくて、なんなら夢であってもいいやと思い、私は夕飯までの少しのひとときを眠って過ごそうと、目をつむるのでした。


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短編の少女ら ばかのひ @ikiC1884

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